皆さんは何と読みますか?「ごじゅっぽひゃっぽ」?
私はある先生に「ごじっぽひゃっぽ」と教わりました。「10」は「じゅう」だけど「10歳」は「じっさい」なんだそうです。
とても厳しい先生で漢字の書き順はもちろん、かなの書き順を指摘されたこともあります。できの悪い生徒なのですべてを覚えてはいませんが、意外だったことなどはこんな風に今でも覚えています。
「五十歩百歩」・・・大差のないこと、少しの違いはあっても、本質的には同じであるということ。
これは政策について尋ねられた孟子が王に答えた言葉です。
「戦場で怖くなって逃げ出しました者がいます。ある者は100歩逃げて踏みとどまり、ある者は50歩で踏みとどまったとします。そこで50歩逃げた者が、100歩逃げた者を臆病者と言って笑ったとします。王はどう思われますか。」
王は「どちらも逃げたことに変わりはない。」
そこで、孟子は王に「あなたの今までの政策が他の王より勝っていたとしても五十歩百歩」と自身の王道を唱えます。
いい先生ってどんな先生だろうと考えた時、「友達のような・・・」とか「親身になって・・・」とかがまず浮かびます。それは本当にそう思います。だから若い先生はそれだけでも魅力です。
私に「ごじっぽひゃっぽ」を教えてくれたその先生は怖かったので、普段は近づきたくない感じでしたが、他の先生に怒られても「なに言ってんだか・・・」なんてまさに馬耳東風でも、この先生に言われると「確かに・・・」なんて納得してしまったこともしばしば・・・。
豊富な知識と妥協しない教育方法(たぶん)は何も分からない私のような生徒でもその先生から感じられたのだと思います。そういう先生だったら厳しくても生徒はついていくんだと思います。
続編が作られるらしい「女王の教室」のマヤ先生はちょっと極端でしたが、つまりは教師はプロであってほしいわけです。
私はある先生に「ごじっぽひゃっぽ」と教わりました。「10」は「じゅう」だけど「10歳」は「じっさい」なんだそうです。
とても厳しい先生で漢字の書き順はもちろん、かなの書き順を指摘されたこともあります。できの悪い生徒なのですべてを覚えてはいませんが、意外だったことなどはこんな風に今でも覚えています。
「五十歩百歩」・・・大差のないこと、少しの違いはあっても、本質的には同じであるということ。
これは政策について尋ねられた孟子が王に答えた言葉です。
「戦場で怖くなって逃げ出しました者がいます。ある者は100歩逃げて踏みとどまり、ある者は50歩で踏みとどまったとします。そこで50歩逃げた者が、100歩逃げた者を臆病者と言って笑ったとします。王はどう思われますか。」
王は「どちらも逃げたことに変わりはない。」
そこで、孟子は王に「あなたの今までの政策が他の王より勝っていたとしても五十歩百歩」と自身の王道を唱えます。
いい先生ってどんな先生だろうと考えた時、「友達のような・・・」とか「親身になって・・・」とかがまず浮かびます。それは本当にそう思います。だから若い先生はそれだけでも魅力です。
私に「ごじっぽひゃっぽ」を教えてくれたその先生は怖かったので、普段は近づきたくない感じでしたが、他の先生に怒られても「なに言ってんだか・・・」なんてまさに馬耳東風でも、この先生に言われると「確かに・・・」なんて納得してしまったこともしばしば・・・。
豊富な知識と妥協しない教育方法(たぶん)は何も分からない私のような生徒でもその先生から感じられたのだと思います。そういう先生だったら厳しくても生徒はついていくんだと思います。
続編が作られるらしい「女王の教室」のマヤ先生はちょっと極端でしたが、つまりは教師はプロであってほしいわけです。
授業に遅れても先生の前を普通に
通り過ぎていく生徒と、注意をしないで
授業を続けている先生にはびっくりして
しまいました。
授業参観で授業中に携帯で写真を撮る
父兄の方がいることにもびっくり。
ずいぶん昔とは授業風景も違うのですねぇ。
だって体育会系で怖くて逆らえないからみんな一生懸命練習したからなの^_^;
息子が卒業した小学校でも息子たちの2つくらい下の学年は授業が成り立たないようなクラスもあると聞いたことがあります。
昔は中学校であったことが今は小学校で起こっているんだとか・・。
がんばれ、先生!!
でも、「熱い」先生もいいよね。優勝したら生徒より先に泣き出したりして・・・。
どこかに尊敬できるものがあれば、生徒は敏感にそれを感じ取ると思います。