ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

20.ちび猫が描く『第0010号の追伸』~私は『お調子者』~

2011-04-05 | つぶやき
第0020号



*****(制作終了)*****



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・追伸-10:『理性の暴走』が止まらない日本民族(第0019号と重複)


東北地方で発生した東日本大震災のせいか、最近のテレビやラジオの番組やCMで、やたらと「がんばろう!」とか「できる!」とか「信じてる!」とかの、【責任転嫁で、現実逃避で、欺瞞(ギマン)に満ちた、『自分から離れている“問題にじかに接している弱者”を、自然を侮(アナド)った罰(バチ)の当たった“愚か者の末路”の姿(:科学文明が招いた因果応報を被災者が招いた因果応報にすりかえてしまう心情によるモノ)である』とあげつらっていたぶり、彼らにこの未曾有(ミゾウ)の問題解決への早急な対処を無責任に期待している上に勝手に監視して、彼らの“耐え難い肉体的負担”・“長く厳しい精神的負担”・“甚大(ジンダイ)な経済的負担”などをよく知りもしないで、口先だけの励ましや少しばかりの義援金で善人者ぶっている非被災者達やタレントの“無神経なシーン”や、“内面的な集団暴力”の横行】が幅(ハバ)を利かせていて、この先の日本の行く末がとても心配です。
私も、未熟者と自虐して責任放棄しているコトの多い身なので、あまり世間一般の事を悪く言うのも本当は、卑怯な姿勢であるのかもしれませんが。この震災以後の日本人の『理性の暴走』があまりにも深刻な情況なので、この場で発言する事に致しました。





・日本民族の『理性の暴走』について(第0019号と重複)


人間にとっては、“偶然や無策のために強いられる無駄な事”や“他人(ヒト)の思惑のために縛られて取り組む不本意な事”などをさせられて、すぐにイライラして腹を立てたり、何に対しても無気力で投げやりだったり、何時もビクビク・オドオドしてしまったりして、何かに集中して取り組む事が出来ずに、まともに何かをやり遂(ト)げるという事が何一つ出来ないでいるという情況が、多種多様で多岐に渡っていてとても分かりにくい、悲劇的で悲惨な事態の広範囲な進行なのだという事に、少なからずの人が、気が付き、各種の対策が様々の立場の人達によってだいぶ以前から少しずつ進められていたのですが。この震災以後は被災者への精神的なケアとして広く浸透しているように見せかけて、日本人の理性が向上しているとアピールするのに、上手(ウマ)く利用されてしまっているようなのです。

そしてその裏では、【その人には本当に“出来ない事”やその人のその状況では“不向きすぎる事”・“無駄の多すぎる事”へのその人による“誠実に取り組む姿勢”に対する美意識や神聖視】が広まってしまっている事によって、《その意義の無さ・現実認識の必然的な回避・長期化による選択手段の過激化》が問題視されずに無視されるばかりか、「まさにそれこそが『事を成す上での大事・経験・学習』である」と誰もが信じて疑う事が無く。「意味の無いように見えるはた迷惑な取り組みを何時もすぐに始める人」や「視点を変えた先に見える実質的な成果の上がる事に目を向けるコトを変節と言って嫌う人」や「そういう偏った人達を上手(ウマ)く利用して混乱を誘い世界再生の担い手になった気分になっている人」や、そういった人達による集団・組織などが沢山存在していて。そういう人達やその集団・組織による個人の損失や社会的な損失が甚大であるにも拘(カカワ)らず、この問題が、宗教の教義に関わる取り扱いの難しい「絶対的存在性の天(神仏)が創造したこの世界の真理(天の理)そのモノ」である面や、天(神仏)という観念に対する“畏敬(イケイ)の念に似た美意識”という個人的な趣向としての面や、【絶対的存在性の天(神仏)によって創造された“正義の部分としての人間”と“正義へと人類を導く個人の理性の尊厳”という民主主義の根幹そのモノ】である面などの多面性を持っているために、いつまでも野放しの手付かずで放置されていて。この震災以後は、被災者の体と心を被災地の復興に縛り付け、その巨大な負担の担い手に駆り立てる事に用いられているにも拘(カカワ)らず、誰も何の疑問も抱かず、恥ずかしいとも感じず。
その上、科学文明が招いた因果応報と言いながら被災者自身が招いた因果応報にすりかえて、東北の地域における科学を過信して津波を侮ってきた姿勢が被害を拡大させ、福島における生活を豊かにしようと自然を侮って原発が建設されてきた結果が原発事故を招いたのだと、そう言わんばかりの無責任な震災報道が連日まかり通っていて、被災者の傷つき弱った心に追い討ちを掛けているにも拘らず、被災者達が発言の機会が無くて黙っているのをいいことに、非被災者の多くが津波や原発事故の被害拡大を招いた原因を露骨にあげつらってはしゃいでいて。さらには、テレビやラジオでタレント達によって毎日連呼される、「がんばろう!」とか「できる!」とか「信じてる!」とかの上から目線で押しつけがましい、監視者気取りのご満悦シーンを見たり聞いたりしながら、みんなも共感して悦に浸ってしまっているのです。

東日本大震災以後の日本を短く説明すると「まさに『理性の暴走』が止まらなくなってしまった日本民族」といったところでしょうか。





・追伸-11:笑いますか?


以前に、「最近の新興宗教は、お金(御布施)で人の命や運命が左右出来ると言わんばかりの事を言っていて、【他人(ヒト)よりも病気に悩まされずに長生きして、他人(ヒト)よりも幸運に恵まれて成功を手に入れるには、他人(ヒト)よりも高い割合(:その人の収入や資産から見た割合)のお金(御布施)が欠かせないと言い。お金(御布施)を納めていながら子供が病死したとか、事業に失敗したとかと言ってこられても、それは、あなたよりも高い割合のお金(御布施)を納めた人の子供の命が救われて、事業が成功しているからだと言って開き直り。さらには、もっとお金(御布施)を納めなさいと、もっと悪い事が起こると言って、不安や恐怖心をあおる】というような手法でお金(御布施)集めをしているが。そういった集団が宗教法人として認められて、税制上の優遇を受けているのはおかしいだろう!」と力説した直後に、「仏教やその宗派の儒教は優秀で、スマートで先進的なキリスト教と共存しながら世界を共にリードしているのに。ヒンズー教やその宗派のイスラム教は、ドロドロしていて時代遅れな教義を信者に強制し、さらにはテロを強いていて。ヒンズー教やイスラム教の信者はそんな宗教を信仰している事をよく恥ずかしいと思わないものだ!!」とさらに熱く力説していた紳士がいて。
さらにもう一人、海外赴任も多くて色々な国の風俗や習慣をよく知り、日本の若者の無知や礼儀の悪さを嘆(ナゲ)いていながら、公園などに頻繁にやって来る《・・・福祉財団~~~学園》とロゴの入ったマイクロバスに乗ってやって来て、ゆっくり草刈りをやっている若者達の集団を見つけた時に、「いい若い者がこんな所で何をやっているんだ!!」とわざと聞こえるように大声で言って憤慨(フンガイ)していた紳士がいて。
その二人の立派な紳士が、最近発生した東日本大震災の事で意気投合していて、「近いうちに、東海・南海・東南海連動型地震がもし発生したら、本当に日本沈没だな。しかし、今回の震災では、“アメリカ軍のトモダチ作戦”が有効に機能したようだが、日本がアメリカの属国でいて助かったな。ということは、日本列島に何があっても日本は安泰だ(!)富士山が噴火したって大丈夫(!)これで沖縄の連中もアメリカ軍に出て行けとはいえないだろう(!!)」と笑っていました。

これをみなさんは特別なケースだと笑いますか?





・追伸-12:飛んで火にいる夏の虫


今回の東日本大震災では、直接的な揺れと津波の被害以外にも、福島の原発事故で深刻な被害を出していて、毎日大きなニュースとなっていますが。その中で「東電の隠ぺい体質」や「今後の原子力政策の見直し」などが話題となる事はあっても、議論は何時も、電気の使用量が減らせない以上は、温暖化対策や石油の枯渇などもあって、今後も発電の主要部分を原発に頼らざるをえないという事が必ず大前提となっていて。どんな原発反対の意見があっても、【時間はかかっても科学技術の進歩を続けていれば、人間は(:日本人は)どんな困難も克服出来るはずで。途中でリスクに怯(オビ)えて進歩を捨ててしまっては、その後は何も手に入れられないし。進歩を捨てた事を後悔して後になってから慌(アワ)てても、国際的な開発競争から大きく乗り遅れてからでは、主導権を取り戻す事は二度と叶(カナ)わず、全てが後の祭りとなってしまうのだ】といった見えない壁を作ってしまっていて、決して耳をかす事がありません。

私にはそれが、あたかも『飛んで火にいる夏の虫』に見えてしまって、しかたありません。人間がどんなに自分たちを「天(神仏)という絶対的存在性によって創造された正義の再現である」と信じたところで、所詮(ショセン)は一種類の動物でしかないのですから・・・。





・追伸-13:私は『お調子者』


電力供給の原発依存体質を変えられない人間(:日本人)の事を、ある紳士(:前に書いた二人の紳士とは別人)に話す機会があって、『飛んで火にいる夏の虫』の説明をするのに、『イカロスの翼』を例に上げてしたところ。
その紳士に【テレビ東京系列で火曜日の夜に放映している「開運!なんでも鑑定団」に依頼者としてよく出て来る「昔に作られた“それっぽいニセモノ”を安く買ってきて、家族や友人に本物だと言っても、誰にも信じてもらえないが、自分はそれを本物と信じて浮かれている『お調子者』」に私がよく似ている】と笑われ、【日本最高の学識を持った学者や官僚のトップの人達が、その英知を結集して日本の原子力政策を進めているのに、「ちょっと聞きかじっただけの知識で、自分だけがすごい事を考えていると思える事」の方が、不思議でならない】と言われてしまいました。

私も、それに少し“ム!”として、私が言っているのは【原子力の利用や開発の反対ではなくて、原子力産業の危険性を踏(フ)まえた原子力利用の一定の制限や、透明性と公正さを追求する原子力利用の安全試験の徹底を優先させながら、電力供給のさらなる多様化や、新エネルギーの開発にもっと真剣になるべきだという事】で、今日(コンニチ)の過度の原子力依存は、【誠実さの効果を過信して愚直(:変節の拒絶)を追い求める現実逃避に似た、“進歩万能の幻想”に慢心しての(:成功の鉄則幻想を忠実に厳守する成功する者のこだわりによる)思考放棄的な思索拒否(:「一念岩をも通す」への過信による不自由さ)によるモノではないか】と言うと。
その紳士に【昔から使われてきた、「他者や他国を批難して足を引っ張るための、使い古された言葉や手法をアレンジして、自分の国や国民(:自分の身内)に用いて、自分だけがエライと思っていても、誰も相手にしてくれないだろう】とサラリと言われてしまいました。

そして、ついに私も“カー!”として、私には【この震災による深刻な原発事故でも、日本人が「原発依存に偏ったままでいるコトによる原子力産業の危険性の高まり」を認識せずに、このまま原発依存に偏ったままの原子力利用を進めていって。さらなる大事故が発生して、日本列島に人間が誰も住めなくなるまで原発を造り続けるような選択をする事が、とても正しい選択とは思えないのですが】と言うと。
その紳士はこれが最後だと言って【今まで、私達の前に、原発促進と原発反対の二者択一の選択しか用意されていないと思ってきた事は、間違いであったかもしれないが、たぶん、それでも私(:私達)は、原発促進を選択しますよ。私は頭が良くないのですが。それが、みんなの豊かさや国の繁栄のために、自分に出来る精一杯の気持ちだと思っていますから(!)】と言い、口を閉じてしまいました。

ちょっとハショッタ所もあり、少し分かりづらいとは思いますが、みなさんだったら「このやり取り」から何を感じますか・・・。





・追伸-14:放射能汚染と『ご婦人の違和感』


今回の東日本大震災の報道に必ず付いてまわる、福島の原発事故にともなう放射能汚染問題で、野菜の出荷制限を受けていて「捨てるためにホウレン草を作っているようだ(!)、もったいないな・・・」と福島の生産農家が嘆いている“おなじみのシーン”が、その日も“毎日の日課”のようにテレビで放映されていたのですが。その時に同じ番組を見ていたご婦人が、「この農家の人が、自分が食べもしない放射能に汚染されたホウレン草を、もったいないと嘆くのはスジ違いではないか」と言っているのが聞こえてきたので、私も好奇心からそのご婦人に「私的には特にスジ違いだとは思えませんが」と話しかけると。そのご婦人は「放射性ヨウ素131の半減期は8日であるので、ホウレン草をゆがいて冷凍しておくなどの“工夫しだい”で、後からでも食べられるのに。自分が放射能汚染を恐がって自分が育てた野菜をろくに食べもしないで捨てているのを棚に上げて、もったいないと嘆いて見せているのがわざとらしく見えて、違和感を感じるのです」とスマシテ言うのです。

私も、毎日飽きもせずに同じような被災地のシーンがテレビで野放図に放映されていて、そんな、被災者をエサにして【:大津波や原発の事故の恐怖を大量に垂れ流しして、“災害時気分”を大げさにあおり、日本人の自由な感性や意欲を阻害して、戦時中のように日本中をニュースに引き付けて】いるテレビ(ラジオ・新聞)の“おぞましい姿勢”や、それに踊らされて被災者を見守るという大義名分で監視して【:勝手に「世界一の《日本人》の体現という重い課題の解決」を被災者や被災地域に期待して、既存の価値認識に捉われない個人の自由な復興や地域の多彩な開発といった可能性を露骨に妨害する、“イヤラシイ視線”を向けて】浮かれている芸能人や一般人の非被災者に疑問を持つ事はあっても。被災者や出荷制限を受けている農家や風評被害で水揚げが出来ないでいる漁師さん達を、直接的に批難するような気持ちはあまり持っていなくて、このご婦人のような感性がとても新鮮に感じられたのですが。それは、ただ私がこのご婦人の感性そのものの良し悪しに興味があったのではなくて、そういった感性を持つにいたった経緯に興味があっただけだったので。そのご婦人に、「被災者のようなホウレン草の生産農家を悪く思うようになった(:違和感を抱くようになった)理由は何なのですか?」とあらためて聞いてみると。そのご婦人は「生産農家を悪く思う気持ちはまったく持ってはおらず、それどころか苦労しているだろうと深く同情していて、応援したいのです」と言い、さらには「福島の農産物や魚介類を即売する催しが各地でもっと増えれば、自分も買いに行けるだろうに」と真剣に残念がっているのです。

結局、なぜ初めにそのご婦人が“違和感”を抱いていたのかの理由も分からない上に、その“違和感”の実態を探るコトも出来ませんでした。【:勝手に憶測すると、「応援したいのだから、それなりの覚悟と、行動をしてくれ!」と言いたいのか・・・】
みなさんでしたらそんな『ご婦人の違和感』をどう推測されますか・・・。





・追伸-15:初めてのガーデニング


私は、この東日本大震災直後から、『ローズマリー(めいてつこう:マンネンロウ:迷迭香)』と『薔薇(荊:イバラ)』をメインにした、自分がリラックス出来る“匂い”のする(“香り”のある)ハーブ・ガーデニングを始めようと思い立ち。ガーデニングそのモノをよく知らなかった私は、すぐにインターネットで「初めてのガーデニング大図鑑」という題名の本を購入したのですが。
その届いた本(図鑑:読み物と言うよりも見る物)の内容のカラフルな写真の多さにビックリし、数日の間「この本には、草花の育て方があまり書かれていないし、大雑把(オオザッパ)すぎる!」と不満を抱きながらも、なんとか読もうと悪戦苦闘していたのですが。すぐに、この本の主題は「色々な色の花を用いての多彩な色彩表現の実演」であり、基本的に草花はポットでホームセンターなどから買ってきて用意するモノで、コンテナなどに移した花を枯らさずに長くもたせる程度の育て方しか書かれていないのだと気付き。その本を読むのを止めて、三月中は『ローズマリー』と『薔薇』の“小さな苗”をホームセンターで購入してきて、実際にプランター(:ウインドウボックスという長方形のコンテナ)に植え替える作業をしていたのですが。
四月に入ってからは、暖かくなりプランターも屋外に出しっ放しにするようになったので、そのカラフルな本を食後にチョクチョク読んでいた(眺めていた)のですが。ある時その本の中の色々な色の花による“意味の付けられた色の組み合わせ”が、フッと私が好きになれないでいた「AKB48」に不思議と見えてきて。
以前から「AKB48」(:チームA、チームK、チームB、正規メンバー、チーム研修生、元メンバー:SKE48、NMB48、SDN48)のメンバーを一人々々区別したり、各種チームの構成を認識したり、数人ずつで音楽ユニットなどを形成しているのを理解したりするのが苦手で、「AKB48」を《得体の知れない連中がせわしなく分離・増殖・分裂を繰り返している、芸能界入りを目差す少女達が食い物にされている集団》ぐらいにしか理解していなかったモノが。その本の中にいっぱい出て来る色々な色の花や色彩豊かな花の組み合わせに、嫌悪感を抱く事もあった「AKB48」をダブらせて見てみる事で、「AKB48」のメンバーが色々な色の花に見えてきて、チームやユニットが色彩豊かな花の組み合わせに思えてきたのです。

しかし、だからと言って「AKB48」が好きになりそうかというと、そうでもなくて。単に「AKB48」が好きになれなかった理由が「ガーデニング」と同じであるとハッキリした事で、私の周囲で同じように「AKB48」が好きになれないと言っている人達の事が、「園芸」を例にする事で解明出来ると思い、少し考えてみただけなのです。
「AKB48」が好きな若者達は、さしずめ『プランター派』と呼べる人達で。他人や自分の作った「プランター」の色々な色の花の多様な組み合わせを見比べて批評しながら“自分の色彩感覚の発揮”を楽しむ「プランター」作りのように、大勢のメンバーで沢山のチームを作り、複数のユニットを形成しながらめまぐるしく入れ替わっていく「AKB48」を、自分なりに好き嫌いなどで細かく色付けしたり、好きなメンバーを集めたユニットを勝手に想像したりして、“自分の感性の発揮”を楽しんでいられる人達なのだと考えられるし。
限られた歌手による有名な演歌や歌謡曲を好んで聞いている私の周囲の人達は、さしずめ『盆栽派』と呼べる人達で。評価基準が一定していて見ために反映して評価される「盆栽」のウンチクと収集している「盆栽」を堂々と披露して楽しむように、人気を独占する歌い手の歌う有名な演歌や大物歌手が長年歌っている人気の歌謡曲をよく知っていて、昔からカラオケで歌ったりして楽しんできた人達なのだと考えられるのです。
そして、私が今取り組んでいる「ハーブ・ガーデニング」は“プランター”を使用する園芸だとは思うのですが、たぶん私自身が『盆栽派』のせいか、一つのプランターに一品種のローズマリーか薔薇ばかりを何株も植えていて。私はいまだに「AKB48」が好きになれていません。



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ちび猫のコメント参照
次回につづく。


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