聖なる書物を読んで

現役JW29年目

輸血

2018-07-10 | エホバの証人
自分としては、学ぶ前から輸血はNGだった気がする。
他人の血を入れることには、かなりの抵抗があったし。

もちろん、献血にもすごく抵抗があったから、したことはない。
日本は、献血だから人道的なイメージだけど、売血の国だってある。
実際、献血は無償なのに、輸血はかなり高額だっていうし。

クリスチャンへの、血を避けるように、という明確な命令。

自分は、輸血も当然含まれると思っている。

でもそれは、自分の良心的な問題であって、
そうは思わない人がいるなら、それはその人の良心でいいと思う。

ちなみに、自己血輸血(貯蔵含め)はOK。
分画も血液だと思えないのでOK。

献血しないのに、分画を受け入れるのは利己的だといわれるけど・・
献血してなくても、輸血受け入れてる人もいるだろうし・・
そこはどっちもどっちということで・・・・・・

良心

2018-07-10 | エホバの証人
組織的に言うと、いわゆる灰色の部分。

自分は、白黒つけたい性分だから、最初っから悩んでた部分。
良心だというのなら、すべて個人の良心でいいんじゃないかと思う。
(バプテスマとは、神に対して正しい良心を願い求めること)

でも、それでは組織として成り立たなくなるから、あれこれ決まりをつくる。

自分の良心と、組織の決まりが一致しないで、もやもやする時が一番困る。
聖書に明言されてないことまで白黒つけられ、個人の良心が傷つく。
(誕生日、乾杯、忌避、その他イロイロ)

決まりのように思わせといて、良心の問題です、って言われるのが灰色の部分。
でも自分の良心で決めると、やっぱり裁かれるから、忖度することになる。
また、個人の良心が傷ついていく。

そして、エホバ神に対する良心が、組織に対する良心になってることに、
気付かなくさせられる。
その狭間で悩んで、病気になったりもする。

エホバ神に対する良心は、善に向かっていくけど、
組織に対する良心は、だんだんと悪に傾いていくと思う。

組織と良心を両立させるのは難しい。