聖なる書物を読んで

現役JW29年目

統治体崇拝

2018-07-06 | エホバの証人
統治体=忠実で思慮深い奴隷

新たな光として、この教義が打ち出されたのが2013年。

それまでは、油そそがれた者たちが、霊的食物を分配する奴隷級として、
33年のペンテコステの時から任命されてきた、というものだった。
(自分はそう思ってたけど、違うかな)

でも、霊的検分がなされて、小麦が毒麦から分けられて、
1919年に、油そそがれた者たちの中から、奴隷が任命されたことになっちゃった。
(だから、ラッセル兄弟は、奴隷じゃないってことだ)

なんでこうなっちゃったのか?

まあ、終わりの日の預言の中で語られてる例え話だから、
ってこともあるんだろうけど・・でもそれは、1914年の教義ありきのことであって、
普通に読めば、いつ来るか分からないエホバの日に備えるように、
ということを強調するための例え話に過ぎないんじゃないかと思える。
霊的食物を分配する責任は、当時、イエスの言葉を聞いた弟子たちにはあったわけだし。

で、こんなことを考えてみた。

本部にほかの羊が増え、霊的食物の執筆を含め、
ほとんどの仕事を、ほかの羊が担うようになってきて、
このままでは、統治体の権威が危なくなると思い、
霊的食物を分配して、霊的に養っているのは、自分たち統治体なんだ、
と強調したかったのかも。
(最近の霊的食物は、ジャンクフードばかりで、食べたいと思えない)

世界中に、油そそがれた者たちが2万人弱もいるんだから、
その人たちを本部に迎えればいいのに。
それができてない時点でもう、なんのための油そそぎなのか。

でもって、少数の人を通して多くの人を養う、という教義も同時に打ち立て、
その少し後から、ブロードキャスティングを通して、統治体を視覚に印象付け、
結果として、統治体崇拝が推し進められてきた。

最初からそのつもりだったとしたら・・
そうではないと、信じたい。


この教義が出された頃から、組織はおかしな方向へ向かってる。
もっと前からかもしれないけど、少なくとも、自分のような者にまで、
不信感を抱かせるほど、おかしくなって来ているということで。