むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

11、蜻蛉 ⑧

2024年07月24日 07時55分07秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・浮舟の義父、常陸介の驚きは、
ひとかたではない

「何だと!
いま、何と言ったんだ
誰が浮舟をお世話していらした?」

「いったじゃありませんか、
薫の君さまです」

「ほんとか?
あの権大納言で右大将の・・・
まさか・・・」

常陸介は田舎者らしく、
都の貴人や権門の人々を、
むやみとありがたがる癖があるので、
仰天し、母君が見せた、
薫からの手紙をくり返し眺めて、
恐れ入ってしまう

「へ~え
浮舟さまというのは、
そんなご身分の方だったのか」

今は言葉つきさえ変って、

「すばらしいご幸運に恵まれながら、
惜しいことに亡くなってしまわれたとは
右大将さまは、
わしもご家来筋ではあり、
お邸へ出入りしてお仕えしているが、
なかなか、わしごときでは、
おそば近くもお召し頂ける、
ものではない
それはもう雲の上の人だ
それが、
わが家の子供らの面倒を、
見てやろうとおっしゃって頂くとは」

と喜んでいる

母君は、
それにつけても浮舟の死が悲しく、
身をもんで泣いた

浮舟がもし生きていたら、
薫は常陸介一家の子の将来など、
心にもかけなかったであろう

(自分のあやまちで、
浮舟を死なせてしまった)

という自責の念にさいなまれる薫は、
遺族を愛顧せずにいられないのであった

世間体を第一に考える薫であるが、
このことで世のそしりを、
受けようとも気にしないでいよう、
と思い決めていた

薫はいまだに、
浮舟の死が信じられない

もしやどこかで、
生きているのではないかと、
希望を持たずにいられない

四十九日の法要も、
そのことがまずあたまにあったが、

(まあいい、
盛大に行ってやろう)

と思い、
六十人の僧を招いて、
立派に法事をした

中の君もお布施をした

薫に隠された愛人がいた、
ということを正室の父帝も、
今はお耳になさっていた

並一通りではない愛を、
寄せていたひとを、
降嫁された女二の宮に遠慮して、
遠い宇治へ隠し据えていたのか、
と帝は薫を可哀そうにお思いになる

匂宮も薫も、
悲しみは消えない

しかし宮は、
ご執着はあるものの、
ようやくに生来の移り気なお心が、
よみがえって、
他の女に目移りなさるように、
なっていた

后の宮は、
叔父宮の喪に服して、
六條院へお里下りしていられる

二の宮(匂宮のすぐ上の同腹の皇子)が、
あらたに式部卿の宮になられた

重々しいご身分になられたので、
母后のもとへも、
気軽にいらっしゃれない

匂宮は、
淋しさをまぎらわすために、
一品の宮の御殿を、
お心の支えにしていられる

一品の宮(女一の宮)は、
匂宮の姉宮で、
お二人は幼時からとくに親しく、
お育ちになったことでもあり、
宮はこの美しき未婚の姉宮に、
あこがれを寄せていられる

その上、
この一品の宮の御殿には、
すばらしい女房たちが多い

そのうちの一人、
小宰相の君という女房と薫が、
以前から忍び逢う仲になっていた

すっきりした美人で、
才気があり、
琴も琵琶も他の女房たちより、
すぐれている

宮も小宰相にお気があって、
言い寄られては薫を、
あしざまにおとしめられたりし、
二人の仲を裂こうとされるが、
小宰相は手ごわく宮をはねつけ、
耳を貸さない

薫はそんな小宰相が気に入っている

小宰相は世間の噂を聞き、
薫の悲しみをわがことのように思い、
慰めの手紙をやった

「お悲しみをお察しする気持ちは、
誰にも劣りませんけれど、
何とお慰めしたらいいか・・・
亡き方と私が代って、
さしあげたかった」

薫はその風情ある手紙を、
いとしく眺めた

「世の無常を知る私、
悲しみを外にあらわさぬように、
してきたつもりですが、
あなたは察して下さったのですね」

そう返事しただけでは物足らず、
薫は小宰相の局(部屋)に、
礼を言いに立ち寄った

小宰相の部屋の戸口は、
狭い粗末な遣戸、
薫が立つにはふさわしくないような、
はかなげな場所であった

それに薫は、
こういう女の部屋に、
たたずみ慣れた浮かれ男ではない

その薫が立ち寄ったのを、
小宰相は、
決まり悪い思いをしたものの、
卑下することなく薫に相手する

心にくく、
ゆかしい風情だった

(浮舟などより、
気が利いているじゃないか)

薫は思う

(どうしてこんないい女が、
宮仕えに出たのか)






          


(次回へ)

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