むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

10、浮舟 ⑨

2024年07月05日 08時30分59秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・薫は浮舟にやさしくいう

「いま造らせている邸は、
出来上がりかけている
ここよりはやさしい川の流れが、
そばにあって花見もできる
本邸の三條邸も近くで、
心配しながら無沙汰に過ぎることも、
なくなっていい
春になったら、
そこへ移るようにしよう」

浮舟はうなずきながら、
宮のことを考える

昨日の宮のお手紙には、

「誰にも気兼ねの要らぬ、
隠れ家を用意した」

とあった

薫が新邸へ浮舟を迎えようと、
計画していることも、
ご存じなく宮は宮で、
浮舟との隠れ家を設けようと、
していらっしゃると思うと、
浮舟は悲しくてやるせない

薫は端近く横になりながら、
月をながめていた

おのずと亡き大君のことが、
思われる

浮舟はまた、
薫と宮の板挟みになる、
心苦しさに沈んでいた

山の方は霞がへだてており、
宇治橋がはるばる遠くまで見えるのに、
柴を積む舟が行き違うのも、
ほかでは見られぬ宇治独特の風景

薫は大君に似た浮舟が、
洗練された女人になってきたと、
満足であったが、
浮舟はさまざま思い乱れ、
涙があふれる

薫は浮舟にひとしお心惹かれる

ここへ置いて、
帰りがたい

彼の理性は情熱に克った

「何かと世間の口はうるさい
今更ここに長居して、
つまらぬ噂を立てられても
京へ引き取ってゆっくりと」

そう思い直して明け方帰った

(宇治のような淋しい山里に、
住まわせておくのは可哀そうだ
早く京へ・・・)

そう思いながら薫は帰った

匂宮は薫と親しまれながらも、
一方ではつねに対抗意識を、
燃やしてこられただけに、
浮舟を挟んでその愛を争うという、
状況になったいま、
薫にただならぬ嫉妬をしていられる

(薫は今夜にも、
宇治へ出かけるかもしれぬ
こうしてはいられない
そうだ、彼よりも先に)

もう無理やりの算段をなさって、
宇治へ出かけられる

二月十日過ぎ、
雪がにわかに降り乱れ、
風も烈しくなった

雪は山深くなるほど深く、
常よりも危険な山道

お供の人も泣きたいくらい怖く、
難儀なことと思っている

いつものご案内役の大内記は、
今は恋のお忍びの道しるべらしく、
かいがいしくお供する

「えっ
宮さまが、
こんな雪道を・・・」

右近は驚いて声をたてる

お越しになるという知らせは、
ひそやかに右近に、
もたらされていたものの、
まさかこの雪では、
と気を許していた矢先、
夜更けに知らされたのだった

(なんという宮さまの、
深いご愛情)

右近は心打たれて、
浮舟に知らせる言葉にも、
おのずと感情がこもる

浮舟もそれを聞いて、
胸がいっぱいになるのだった

右近は思った

(本当なら、
宮さまを姫君に、
お会わせすべきではない
このままお二人の仲が、
深くなってしまえば、
末はどうおなりになることか
上手に言いこしらえて、
お帰り頂くのが正しい処置かも・・・
でもそうは出来ない
あんなに高いご身分を、
かえりみず雪の夜道を押して、
おいでになった宮さまのご情熱
それをどうしてはばむことが出来よう
あまりにもお気の毒)

いつもの細心な注意さえ、
右近は忘れてしまいそうであった

もうこうなれば、
自分一人の力では、
秘密を支え切れない

もう一人共犯者が要るのであった






          

(次回へ)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする