こちらのブログで、
田辺聖子さん訳、原作の、
作品を読みながら書き進めてきました
毎日、楽しいひとときでした
が、先日、グーブログサービスが終了との、
お知らせを受けて、
昨日で「姥」シリーズも終えましたので、
私のブログも終わりにしたいと思います
長い間、いいねをつけて下さった皆さま、
ありがとうございました
グーブログ終了時までは、
皆さまのブログ訪問させて頂くつもりです
よろしくお願いいたします
🌺 🌺 🌺
・「ちゃんとケジメつけへんよって、
あいつらにつけ入られるねん、
早いこと伏見町へ行って、
取り返してこんかいや、
ベンツ乗りまわりくさる奴らから、
取り上げたらんかい!
ウチの財産くすねくさって!」
この次男の口の悪さも直らぬ
伏見町はいつの間にか、
悪道無道の盗っ人にされてしまう
「あたしゃ文晁や呉春なんか、
それほど好きやない、
いうてんのに」
「好き嫌いですまんわいっ
ベンツかかっとんのじゃ、ベンツ!」
何も伏見町の一族が文晁持ってるのと、
ベンツ乗ってるのとは、
関係なかろうと思うのに、
次男のあたまの中では、
文晁の絵=金目のもの=ベンツ、
という回路ができあがっているようだ
「ようし、絶対取り返したるからな」
「なんでそう、
あんたら、欲ぼけやねん、
なさけない、大の男が文晁ぐらいに」
よほど文晁の絵に、
惚れてるというのなら別、
金目のものというだけで、
奔走するとは何とあさましい
私ゃそんな欲ボケに育てたつもりはないが、
現代みたいに経済観念の狂った社会に、
住んでいるとおのずと感覚も、
歪んでくるのであろうか
金目のものには敏感だが、
いちばん大切な身近にいる妻の心、
というものは見えて来ぬように、
なるのではあるまいか
(今まで養うてやったから、
妻が看病するのは当たり前)
というのも、
経済観念だけで人間を見ていることでは、
ないか
長男・次男も。
脇田氏や脇田ジュニアと、
ちっとも変わらないのだ
私は今や、
姥大荒れという心境である
そこへ電話
三男の嫁である
欲にかまけた三兄弟、
なぜか横の連絡は密である
「おかあさん、
いいものをくれるんですってね
文珍と春蝶が・・・」
「えっ」
「さっきお兄さんが、
ウチのおとーさんに、
電話してきはったそうですわ
文珍と春蝶がどうしたんですか?」
「どうかしたのは、
須美子さん、あんたのあたまですよ」
腹を立てて電話を切ったとたん、
また鳴る
「先生
・・・『ふたり酒』が
・・・『ふたり酒』が・・・」
と泣き声を立てているのは、
長谷川さんではないか
「歌えなくなってしまったんです
あたし、あんなに練習して、
たのしみに、たのしみにしてましたのに」
「あら、どうして
一週間先でしょ、カラオケ大会は」
「主人が出るな、というんですわ
『わしは病人やぞ、病人ほっといて、
気楽に歌うてる場合か』って
『病人大事にせい、
そばに居れ』なんて」
「えっ」
「『なんのための女房じゃ、
女房が亭主の看病するのん当たり前、
そのため今まで養うたんじゃ』
と」
夫人はすすり泣いていた
「舞台衣装のドレスを見つけたからで、
ございますわ
・・・けしからん、
病人ほっといて歌、
うたいに行くなんて、
と怒って、
ハサミでドレスをずたずたに・・・」
「まあ、そんな・・・」
「ずいぶん道楽をしてきた主人で、
飲むわ、女の人つくるわ、
さんざん苦労かけられた人ですけど、
あたしは夫婦や思うて、
わがままも慈悲の心で、
きいてきたつもりですのに
先生
何やもう情けのうて・・・
たった一つの楽しみまで」
私の心に嵐が吹き荒れる
私はいう
「長谷川さん、
かまいませんわよ
当日はいつもの落下傘ドレスで、
出場なさいよ
家政婦さん頼んで
あたしたち、応援しますよ」
「えっ・・・」
「ご主人が文句いわれたらね、
ちめちめしてやりなさい」
「はい?」
夫人は一瞬耳を疑った様子
「どうせご主人は動かれへんのでしょ?」
「あ、はい」
「怖がることありません
うんとちめちめしてこらしめてやりなさい
それでも黙らなければ、
どつきまわしなさい
ちめちめとどつき、
あなたが昔からどれだけ苦労してきたか、
諄々と説き聞かせつつ、
ちめちめとつねってやりなさい」
夫人はついに、
いつもの晴れやかな声になり、
「ふふ、そうですわね
そうやわ、別に怖がること、
あれへんねんわ
どうせ動かれへん人ですもの
やっぱり『ふたり酒』歌いましょか、
先生」
「そうよ、
ありもせぬ、まぼろしの、
やさしい男の歌やけど・・・」
二人でほっと息をつき、
小さく笑いかわす
(了)
・「ボランティアやて
自分も年とって阿呆なこと、
しなはんな
ひとのことほっときなはれ
いや、実はな、
このまえ伏見町のお爺ちゃんとこが、
本宅の跡地にごついマンション、
建てはりましたやろ」
と一族のことをいった
やはり大阪の旧家である
「落成式のお祝いに招かれましたがな
あしこ、最上階とその下のフロア、
丸々取って、結構な自宅にしてはります
屋上庭園作ってな、
丸きり、昔のままの間取りだっせ」
「あしこはもともと地所持ち、
バブルのときにまた儲けはったんやろ
伏見町のお爺ちゃん、
元気でいやはりましたか」
「もう九十二でっけど、
えらい元気でな、
しやけど煙草ぷかぷかや
あれやめたら百まで生きられるのに、
いうて、みないうてましたで
なんぼいうても聞かん」
「そこまで生きたらもう、
ええやろ」
「しやけど、
あれは煙草で死期早めた、
いうことありまっせ」
「早めたってええやないか、
長生きすりゃええってもんやない」
「伏見町のお爺ちゃん、
おかーちゃんのこと、
たんねてはりましたで
歌子はんの七十七の祝いのパーティで、
会うたきりや、
元気でいてはりまっか、
というてはりました」
「何かにつけ、
腹立つ老いの毎日ですわ、
いうといてんか」
「そんなこといえまっかいな、
ま、そらよろし、
座敷見せてもろたら、
結構な掛軸かかってましたけど、
お爺ちゃんいわはるのに、
『これはうちの疎開荷物の中に入ってて、
何や知らんけど、
山本勝商店と包みに書いてあった』
といわはりますねん
もしウチのもんやったら、
返さないかんなあ、
いう口ぶりやった
いっぺんおかーちゃんに聞いときます、
いうたんやけど、
文晁でしたで
ほかに何たらいう画家のもある、
いうてはりました
掛軸の文晁は、
もこもこした山の絵でしたで」
「文晁の山はいつも、
もこもこしとんねん
へえ、文晁がなあ、
伏見町へまぎれこんでたんか
あのころ疎開の荷物は、
親類みなでトラック借り切って、
運びましたよってな、
まぎれることもあったやろ
五十年も前のこと
今頃になってそんなこというのは、
伏見町が取り込むつもりやろ」
「いや、それは筋が違う
ウチのもんなら返してもらわないかん」
にわかに長男は物欲に駆られ、
わめきたてる
「お爺ちゃんの生きてはるうちに、
交渉しとかんと、
息子の代になったら、
知らぬ存ぜぬでつっぱねまっしゃろ」
「べつに返してもらわんかて、
ええやないか、
そんなもん」
私は何しろ日本骨董嫌いになっいるのだ
西洋骨董なら目の色が変わるだろうが
「第一、文晁の絵なんか、
そない好きやない
あたしの好みやない」
「好ききらい、
でいうてる場合やおまへん
えらい値ぇの張るもんや、
いうやおまへんか
取り込まれて黙ってる法はない
もう一つは何や、
酒の名みたいな絵描きでしたで」
「呉春か
文晁と呉春と揃ってるんやったら、
それはウチのんかもしれまへんな、
しゃけど、ま、ええやないか」
「ええことおまへん
何でっか、呉春、わかりました
早速、伏見町へいうたりまっさ、
伏見町も長いこと猫ババするとは、
けしからん
あんなマンション建てといて」
長男は欲に目がくらみ、
あたまに血がのぼったごとくである
しばらくすると、
次男からの電話
「何やてな、
えらい金目のもん、
伏見町に取り込まれてしもたんやてな、
絶対取り返さなあかん
あそこはおかーちゃん、
ベンツ乗っとんねんで
ウチの文、なんたら・・・・」
「文晁
文晁と呉春、やろ」
「そうそう、
それ持っとるよって、
ごついマンション建てて、
ベンツ乗り回しくさるんじゃ、
取り戻さな承知できんぞ!」
「そない、いきまいたかて、
べつに文晁ぐらい、
たいした金になりまっかいな」
と私はいったが、
ことに次男は金銭に関することには、
神経鋭敏な男であるゆえ、
「大体やな、
大体おかーちゃんがいかんねん!」
と吠えたけりはじめた
(次回へ)
・電話の声は思い当たらぬ男の声
「脇田と申します」
脇田ツネさんの息子だという
いつぞや、ツネさんを乗せて、
このマンションへ来たことがあるという
「母が亡くなりました
葬式は一昨日で・・・
心不全でした、
もともと心臓が丈夫なほうではなくて、
葬式は京都でやりましたので、
お知らせが行き届きませんで
生前はお世話になり、
ありがとうございました」
落ち着いた中年男の声であった
ツネさんが・・・
ねえ・・・
私は声も出ない
「ずいぶんご主人の看護に、
くたびれていらしたようですからねえ」
おくやみをいって、
それとなくツネさんの苦労をねぎらうと、
息子は深い心もないさまで、
「はあ、
しかし母はもともと、
父に尽くすのが好きなほうですから
父より先に逝って、
父にすまないと思っているでしょう」
「それでお父さまのご病状は、
いかがですか」
「おかげさまで、
かなりよくなりました
今は京都へ引き取っていますが、
もう近所を散歩できるくらいで」
私は見たこともない脇田氏が、
猛然と憎たらしくなってきたのであった
それから、
のほほんとした息子にも腹が立つ
息子はそつなく、
生前の交際の礼をいって電話を切ったが、
息子の目から見れば、
(父に献身的に尽くすのが好き)
としか見えていなかったのか
ツネさんは、
(ほとけごころ、ほとけごころ)
と唱えつつ夫のわがままに堪えて、
生き届いた看護をしたのに、
脇田氏は、
(妻が看病するのは当たり前
今まで養うてやったんやから)
と言い放ったというではないか
ツネさんは、気も萎え、
毎日の看病も空しくなります、
と手紙に書いていたが、
脇田氏のような蕪雑な神経の人間のほうが、
健康を取り戻し、
ほとけごころのやさしい人間が、
ぽっかり逝ってしまうとは
私はツネさんの手紙と、
遺品になった「貫之うた」を出してみた
(男の人には定年がございますのに、
なぜ女には定年がないので、
ございましょう)
と悲痛を訴えている
(私のほうこそ、
体がえらくて息が切れそうなときも、
ございますのに)
と悲鳴をあげているではないか
(病人にじゃけんなことも出来ず)
という女心のやさしさを利用して、
男たちはやりたい放題、
わがままをしてきたのだ
もう許せない
私は久しぶりにぽっぽと、
腹が立ってきた
ツネさんは書道が唯一の趣味で、
教室へ通うのを、
とても楽しみにしていた人だった
夫の脇田氏は、
ツネさんが申し込んだ習字教室を、
取り消したそうである
昼も夜も、
妻は夫のそばにいるべきだといい、
煙草だ、新聞だ、お茶を淹れろと、
ツネさんに用をいいつけて、
離さなんだそうである
ツネさんはやっと、
夫の眠っている間に清書したという、
作品を送ってきたのだった
私はツネさんの遺作として、
来年春の書道展には、
ぜひこれを額装し、
出品してあげようと思った
その時、息子を呼んで、
それとなし、手紙で読んだ、
ツネさんの気持ちを伝えてやろうと、
思ったりした
女の苦労に男は気づかないこと多く、
あの息子も脳天気で、
母の気持ちなど思いやるということは、
しないのだ
何だか行き場のない怒りをあます
そこへまた電話
ツネさんの息子がまた、
のんびりしたことを言ったら、
ツネさんの悲痛な手紙を、
つきつけてやろうと、
つい、声もぶっきらぼうに出ると、
「あ、ワシや、西宮や」
と長男ではないか
「珍しい、居るねんな
いや、この秋は車で紅葉見物でも、
誘おか思て電話したんやけど、
いつかけても居らへんかったし、
留守番電話でもつけたらどないや」
「居らへんときもある
こっちゃ八十年も生きとるんや、
電話なんかに追い使われて、
たまりまっかいな
留守番電話やて
あれは儲け口逃がそまいとする、
しみったれた根性の小商人がとりつけるもん
八十年生きた人間のすることちゃう
それこそ、せこいわ
紅葉はな、『ひとり暮らし老人の会』
いうのがこの町にあってな、
お互い手とり足とり、
いうのがスローガンやよって、
私も足腰は立つので、
車いすの人や、
足弱の人たすけてボランティアで、
日帰りの有馬温泉で、
紅葉見てきました
それはええが、
連れていってあげた人ら、
ボランティアの私より、
みな若かったんで呆れた」
(次回へ)