『霧深き宇治の恋』

田辺聖子さん訳の、
「霧深き宇治の恋」上、下
(平成五年)新潮文庫

11、蜻蛉 ⑥

2024年07月22日 08時08分52秒 | 「霧深き宇治の恋」田辺聖子著










・匂宮は、
侍従が参りましたと聞くと、
それだけでお胸が一杯になる

中の君には、
このことはお話にならない

ご自分の部屋へ行かれて、
人目を避け、
渡殿に侍従を下ろされる

侍従は浮舟の日頃の悩み、
あの夜のただならぬ、
泣きいっていたさまなど、
語る

侍従の詳しい話に、
宮のお悲しみはまさった

自殺とはまた・・・

病死というなら、
前世の因縁とあきらめられようが、
どんなに思いつめて、
身を投げたのであろう

「お手紙など、
焼き捨てていらっしゃいました
その時、なぜ、
私ども、ご決心のほどを、
気付かなんだので、
ございましょう」

侍従は夜っぴて、
宮のお相手をして話し明かした

宮は今までは、
侍従のことをお心に、
留めてはいられなかったが、
浮舟亡きのちは、
なつかしく思われて、

「私のところへ仕えないか
亡き人は中の君の異母妹だったし、
縁のないことでもないから」

といわれる

「ありがとうございます
仰せのままに従いますとも、
当分は悲しい思いを、
するばかりで、
ともかく御忌を過ごしまして」

と侍従は申し上げた

薫も気になってならず、
真相が知りたくて、
自身宇治へ行った

そもそも、
どんな前世の因縁で、
故八の宮のもとへ、
お伺いするようになったのだろう

故宮の仏道ご修行の、
深さを慕い、
仏のお導きで後世を願うことより、
ほかは考えなかったのに、
いつしか恋に心奪われ、
あさましい煩悩に、
捉われてしまった
仏はそれをおさとしに、
なったのだろう

などと薫は思う

薫は右近を呼んで、
事情を聞いた

どんな最期だったのか、
どんな病気だったのか

忌明けを待って、
と思ったが、
とても待っていられなくて、
来てしまった

(もうつくろえない)

右近は思う

(ただ、
宮さまとのことは、
口が裂けても漏らすまい
覚悟の入水自殺だったことだけを
弁の尼も知っていることだし
なまじ隠しだてしても、
あとで具合悪いことになる)

右近の語る話は、
薫に衝撃を与えた

信じられない

頼りないほどぼうっとして、
なよやかだった浮舟が、
どうしてそんな思い切ったことを、
決行したのか

あるいは、
女房たちが口裏を合わせ、
宮のいうまま、
どこかへ隠したのではないか、
という疑念が萌したが、
しかし、
宮のあれほどのお悲しみ、
この山荘の人々の様子を見れば、
そうとも思えない

今は浮舟の死を、
信ずるしかなく、
涙があふれる

「私は、
思うままに振る舞えぬ、
不自由な身なんだ
何をするにも、
世間に目だってしまう
浮舟のことは気にかかりながら、
いずれは京に迎えて、
末長く添い遂げよう、
そう思って過ごしてきた
それを彼女は、
薄情な、と取ったのか
それともほかに、
心を分けた人でもいたのか
二人だけだからあえていう
宮のことだ
一体、いつから始まったのだ
宮が原因ではないのか
浮舟はそれで、
身を亡きものににたのではないか
率直に話してくれ、
右近
私には隠さないでくれ」

右近は

(まあ、ご存じなのだ)

と思うと気の毒であったが、
はじめに言ったことを、
ひるがえせなかった

「何と情けない・・・
右近はずっと姫君のお側に、
おりましたものを、
そんな事実は決して」

しばらく考え込み

「おのずとお耳に入ったことも、
ございましょうが、
宮さまの北の方さま(中の君)
のところにおいでになりました時、
思いもかけず突然、
宮さまが近づかれたことが、
ございます
そのときはお側の女房たちが、
手きびしいことを申し上げ、
宮さまは出ていかれました
姫君はそれを怖がられて、
かのむさくるしい小家に、
身をひそめられたので、
ございます
そののちは宮さまに、
様子を決して知られるまいと、
用心していられましたのに、
どこでお耳にされたのか、
つい二月ごろから、
お手紙がくるようになりました
お手紙はたびたび来るようで、
ございましたが姫君は、
ご覧になることもなく
それでも、
一度か二度くらいは、
お返事を出されたようで、
ございます
それ以外のことは存じません」

(そういうと思った)

薫は内心つぶやく

仕える女房としては、
そういうほかないだろう

無理に問い詰めるのも、
かわいそうな気がして、
しかし、浮舟と宮との関係を、
否定できない事実として、
薫は信じはじめている

それでも浮舟を、
疎ましく思えず、
思いは断ちきり難い

思えば中の君が、
浮舟のことを薫に告げたとき、
大君をしのぶ「人形」と、
名づけたのも、
このたびの不祥事を暗示する

人形(ひとがた)は、
人の罪やけがれを移して、
川に流すもの、
浮舟は本当に川に流れてしまった






          


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11、蜻蛉 ⑤

2024年07月21日 08時14分19秒 | 「霧深き宇治の恋」田辺聖子著










・(あんなに、
浮舟に執着していられたとは、
あの遊び人の宮が)

と薫は意外に思った

浮舟の葬式も、
簡略に済ませたのを、
薫は気にしていた

宮も、
どうお思いになるであろう

薫も不満である上に、
浮舟の死については、
不審な点も多い

自身、
宇治へ行って確かめたいが、
死穢に触れて長く忌籠り、
しないといけないのも困るし、
といって、
穢れに触れぬよう、
すぐ日帰りするのも、
悪い気がする

薫は迷っているうちに、
月が変って四月になった

浮舟が生きていたら、
今日、京へ移ってくる予定だった、
と薫は思う

丁度、
二條院に宮がおいでになるので、
薫は手紙をやった

宮は中の君とご一緒に、
亡き浮舟のことを、
しのんでいられた

中の君をご覧になって、

(異母姉妹だから、
似ている・・・)

と思われているところへ、
薫の手紙がきた

「ほととぎすが、
忍び音に鳴いて過ぎました
宮も声を忍んで、
お泣きになったのでは、
ありませんか
ほととぎすは冥界に通うという、
死出の田長ですから」

思わせぶりな文句じゃないか、
宮は警戒なさって、

「ほととぎすも、
うかつに鳴けないね、
きみのそばでは」

中の君は、
こんどの浮舟をめぐる事件の、
一部始終をすっかり知っていた

大君といい、
浮舟といい、
二人ともあわれにはかなく、
短い生涯を終えてしまった

どちらもとりどりに、
物思いを尽くして逝った

自分一人は、
苦労を知らずに来たので、
今まで、
生き長らえているのだろうか

(それだって、
いつまでもこの幸せは続くまい)

姉妹を失って、
いよいよ一人ぼっちに、
なってしまったと思うと、
中の君は心細かった

宮は、
やや落ち着かれてみれば、
やはり浮舟の急死が腑に落ちず、
詳しい事情がお知りになりたくて、
時方らを宇治へつかわされる

右近を迎えにやられたのだった

宇治では、
浮舟の母君は、
宇治川の水音を聞くさえ、
辛く悲しく京へ帰ってしまった

女房たちは、
念仏の僧ら数人と、
ひっそり暮らしている

そこへ時方たちは乗り込んだ

もはや警備の者たちも、
見とがめたりしない

右近は出て来て、
烈しく泣いた

時方は宮が、
浮舟の死の前後の事情を、
詳しくお知りになりたくて、
説明を求めていられることを、
話した

「今、私が参ったりしますと、
かえって人々の疑いを招きます
この忌籠りが果てましたら、
よそに用がありまして、
と人に言いつくろっても、
疑われはしますまい
その時までは」

右近は迎えに応じる気配も、
なかった

「宮さまが、
わざわざお車をつかわされた、
お気持ちを無になさっては、
お気の毒です
せめてもうお一方でも、
いらして下さい」

というので、
右近は侍従を呼んで、
行かせようとした

侍従はしぶっていたが、
参上することにした

侍従は黒い喪服を着て、
なかなか美しい女であった

鈍色の裳の用意がなくて、
薄紫色の裳を、
お供の女に持たせて、
車に乗った

侍従は道中、
泣く泣く、京へ来た






          


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11、蜻蛉 ④

2024年07月20日 08時42分49秒 | 「霧深き宇治の恋」田辺聖子著










・薫は妻の女二の宮へ、

「身近の者に不幸があった、
と聞きましたので、
気持ちがおさまりますまでは、
失礼します」

と伝えさせた

一人になると、
浮舟とのはかない縁が、
しみじみと思われた

浮舟が生きていたとき、
なぜもっと会わなかったのだろう、
と後悔に胸を噛まれる

いずれゆっくり、
とのんびり構えていたおのれの痴愚、
薫はあきらめきれない

「大君を失い、
中の君を人のものにし、
今また浮舟を失ってしまった
おれは女のことで、
悲しい思いをする宿命なのかも?
おれは世の常の人と違って、
仏道修行に心を傾け、
立身出世や愛に恵まれることは、
はかないことと思い、
仏の道にいそしむつもりだった
それが思いもかけず、
こうして世の常の人なみに、
栄華を求め、
愛を満たそうとしている
仏はそれをお憎みになったのかも、
しれぬ)

(道心を起こせとて、
このような辛い目にお遭わせに、
なるのかもしれぬ)

薫はそう思い、
涙を払って、
一心に仏前で勤行する

匂宮もまた、
お悲しみは薫に劣られず、
うつし心もないおありさま

事情を知らぬ周囲の人々は、
どんな物の怪がおつきしたのか、
と騒ぐ

お気持ちが静まってくると、
浮舟がいっそう恋しく、
せつなくなられる

周囲には、
ご病気が重いようにみせて、
涙顔を悟られるまいと、
装っていられるが、
ご愁嘆のさまはおのずとあらわれ、

(何をそんなにお悲しみに?)

(お命の危ないほど、
悲しみにくれていられるのは、
なぜ?)

人々はささやき交わす

その噂は薫の耳にも入った

(推量したとおりだ
二人は手紙のやりとりだけの、
仲ではなかった
もし、浮舟が生きていたら、
おれはさぞ馬鹿な目を、
見ることになっただろう)

そう思うと、
浮舟への恋も、
少しさめる心地がした

宮のご病気見舞いに、
参上しない者はなく、
世間は騒いでいる

薫も引きこもっているのも、
拗ねたようにみえるかもしれぬ、
と思って、
宮のお見舞いに参上した

折しも式部卿の宮が、
亡くなられて、
この方は、
薫の叔父宮に当られるから、
薫は薄鈍色の喪服をまとっていた

叔父宮のためとはいえ、
まるで浮舟のために、
喪に服しているようで、
哀れに思えた

人々が退出した夕暮れ、
宮の御前はひっそりしていた

宮はご病気ということに、
なってはいるものの、
真実は精神的打撃を受けられた、
というだけなので、
見舞客にもお会いになれぬ、
というほどではない

親しい人には会ったりされる

しかし薫の見舞いと聞いて、
ためらわれた

会われないわけにもゆかず、
薫のお見舞いの挨拶に、

「大したことはないのだが、
皆が大事をとるように、
というものだから」

宮は薫に対して、
きまり悪くもあるが、

(まさか浮舟の死を、
悲しんでいるとは、
薫も思うまい
病で気が弱っていると、
思うだろう)

というお気持ちだった

しかし薫は、
宮のご悲嘆の原因を見抜いていた

(やっぱりだ
浮舟の死を嘆いていられる)

と思うと、
嫉妬で胸はにわかにとどろく

(いつからだろう、
二人の仲は
おれのことを、
さぞおめでたい奴と、
嗤っていられたのではないか)

そう思うと、
悲しみも忘れてしまう

薫の冷静な醒めた顔を、
宮は見られて、

(冷たい男だなあ
薫は人の悲しみのわからぬ、
男ではないはずなのに
仏道修行に心を傾ける、
薫のことだから、
世の無常を深く悟って、
身近の者の死にも、
冷静でいられるのかもしれない)

そう思われると、
うらやましくもゆかしくもあり、

「浮舟の残した、
生きた形見・・・」

というお気持ちで、
薫を見つめられる

薫は、
黙っていることもあるまい
という気分になって、

「昔から、
宮には何でもお話してきた、
仲ですが、ゆっくりと、
お話することも出来ませんでした
実を申しますと、
私には隠していた女がいました
昔、宮がお通いになったこともある、
宇治の山里ではかなく、
みまかりました大君の身内の者です
大君の身代わりに、
時々会いたいと存じていましたが、
たまたま私の結婚の折でして、
世間の噂もはばかられ、
辺鄙な田舎に隠し据えていました
私も多忙なもので、
中々行くことも出来ず、
まあ、しかし、
れっきとした正妻というならともかく、
ひそかに隠しておくぶんには、
差支えあるまいと思い、
愛しておりました
それがまことにはかなく、
亡くなってしまいました
宮のお耳にも、
入っているかもしれませんが」

薫はついに涙をこぼす

例になく、
薫の取り乱したさまを、
宮はいとおしくご覧になる

薫の皮肉も、
宮のお心にしみた

しかしさりげない風に装われて、

「それは気の毒なことだった
昨日、ちらと聞いたけど、
君の方では、
内々で扱って人にも知らせない、
と聞いたものだから、
お悔やみをいうのも遠慮した」

宮は平静にいわれるものの、
さすがに辛くなって、
言葉少なになられる

薫は浮舟とのことを、
知っているなと怯むお気持ち

薫は丁重にお見舞いをいって、
退出した






          


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11、蜻蛉 ③

2024年07月19日 08時34分40秒 | 「霧深き宇治の恋」田辺聖子著










・母君はあれこれ考え、
何をどうすればよいか、
呆然としている

右近と侍従は、
浮舟の居間の前に車を寄せさせ、
坐っていた畳やしとね、
身近に使っていた調度、
脱いでいった夜着などを、
車に入れた

それを身内の僧たち、
乳母の子の法師や、
その叔父の阿闍梨、
その弟子で気心の知れた僧、
知り合いの老法師、
忌に籠る人々だけで、
遺骸を送り出す風をよそおった

母君や乳母は、
泣いている、

亡骸を見ぬうちは、
死んだと実感できぬ

「縁起でもない、お葬式なんて」

と泣きくどくが、
右近らは浮舟の変死が、
世間に広まらぬよう、
口さがない人々の、
好奇の噂の的にならぬよう、
という気持ちでいっぱいだった

大夫や内舎人といった、
怖いうるさい連中がやってきて、
御葬送のことはまず、
薫の君に連絡して、
お指図を仰ぎ、
日を決めておごそかに、
行われるべきではないか、
とあわただしい野辺送りを、
咎める口ぶり

「いいえ、
今夜のうちでなければ、
いけません」

と右近はいい、
車を向かいの山のふもとの、
野原へやって、
人も寄せず、
事情を知っている法師たちだけで、
火葬させた

あっけなく火は消えた

田舎人たちは、
葬いというようなことは、
ことごとしくとり行い、
縁起をかつぐものだから、

「おかしなことをなさる
定まった作法もせず、
まるで下々の弔いのように、
あっけなくすませられる」

簡略な葬儀の悪口まで、
いう者もあり、

「ご本妻がおられる方は、
簡略になさるそうだ
それが京の流儀だそうだ」

右近たちは、
邸の下人たちにも、
固く口止めした

いつか時がたって、
人々の心がゆっくりしたら、
これまでのことを話そう

でも今は、
妙な噂が立ったら、
薫さまもどんなにお疑いになるか、
どこまでも、
突然のご病死というていに、
みせていた

亡骸もない変死、
という秘密はかたく秘めておこう

右近と侍従は言い合った

一つの秘密は、
次の秘密を生む

二人は良心の咎めに、
おびやかされつつ、
秘め通さずにはおられない

薫は、
母宮の女三の宮が、
患っていられるので、
その平癒祈願のために、
石山寺に参篭していた

宇治のことが気になっていたが、
てきぱきと薫に知らせる人も、
いないので全く知らなかった

宇治では、
浮舟が亡くなったというのに、
薫の使者も来ないので、
外聞も悪く、
情けないことに思っていたが、
薫に知らせる人が、
いなかったのだった

荘園の内舎人たちが来て、
話したので薫は信じられぬ思いで、
とりあえず使いをやった

使者は宇治へ飛んできた

「こんな一大事は、
聞くなりすぐ宇治へ出向かねば、
ならないのだが、
母宮のご病気平癒祈願とて、
身を慎み籠っているゆえ、
行けないでいる
すでに昨夜、
葬送を終えたよし、
なぜこちらに連絡して、
くれなかったのか
私の気持ちにもなってくれ」

右近は薫の使者というさえ、
悲しいのに、
その言葉を聞いて返事も出来ぬ

涙にくれ、
ようお答えできませぬといって、
はかばかしい返事もせずに、
すませた

薫は、
あまりの別れのはかなさに、
夢のような心地である

(信じられない・・・
まがまがしく草深い山里
鬼に食われたのではあるまいか
なぜあんな所に住まわせたのだろう
おれが悪かった
匂宮とのあやまちも、
あんな淋しい所へ抛っておいたので、
宮も平気でいい寄って手出しされた)

そう反省すると、
自分の迂闊さ、
不覚が悔やまれて、
胸がしめつけられる

(おれが悪かった)

真面目な薫は、
身を責めずにいられない

母宮のご病気というのに、
女のことで心を痛めているのも、
うしろめたくて、
薫は石山から京へ帰った






          


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11、蜻蛉 ②

2024年07月18日 08時45分42秒 | 「霧深き宇治の恋」田辺聖子著










・身軽な時方のこと、
早くも宇治に着く

雨は降り止んでいたが、
険しい山道に、
下人のさまに身をやつして、
邸へ来ると、
人々が大勢騒いでいた

今夜はお葬式だなどと、
話している

(やはり姫君の急死は、
事実だったのか)

時方は呆然とした

右近に連絡を申し入れたが、
右近は会わない

取り次ぎの女房に、

「今は何が何やら、
分かりませず、
起き上がる気力もございません
このように、
お立ち寄りくださいますのも、
今夜限りでございましょう」

とだけ言わせた

時方は、
それで引っ込む男ではない

今度は侍従に会うことを、
強要する

侍従は泣きながら会った

「私どもも驚いて、
信じられぬ思いです
夢みたいで悲しみにくれて、
誰もみな途方にくれています
宮さまに申し上げ下さいまし
少し落ち着きましたら、
日ごろ思い悩んでいらしたご様子、
など申し上げます
お葬式の穢れが過ぎてから、
またおいで下さいまし」

侍従は烈しく泣いて、
やっとこれだけいった

その泣く声の合間に、
乳母であろう、
ひとしお惑乱して泣き叫ぶ老女の、
異様な言葉が時方の注意を引いた

「返せ!返せ!
お姫さまを返せ!
亡骸だけでも返しておくれ・・・」

(亡骸のない死?)

時方は緊張する

「誰がお姫さまを、
奪ったのだえ!
人であれ鬼であれ、
返しておくれ、
亡骸なりとも拝ませておくれ!」

乳母の悲痛な叫びは、
川音にもまぎれず聞こえる

「どうか、
本当のところを、
お聞かせ願いたい」

時方は侍従に迫った

「姫君はどうなされたのです?
もしや、どなたかが、
ひそかにお連れして、
お隠ししたのじゃないのですか
亡くなられたにしろ、
隠れていらっしゃるにせよ、
あとあとで、
宮が事実をお聞きになったとき、
違ったことを申し上げては、
私の落ち度になります
宮のご愛情はほんものなのです」

時方の説得に、
若い侍従はたやすく感動する

宮のお悲しみ、
もどかしさ、
不安なお心は、
隠したところで、
いずれ世間に洩れるであろうし、
と思って、

「それが、
どなたかがお連れ出しになった、
と思い当たるなら、
どうしてこんなにみな、
あわてましょうか
日ごろ、姫君は、
ひどく物思いに沈んで、
いらっしゃるようでした
薫の君が、
何かお咎めになるようなことを、
おっしゃって来られたようで、
ございます
お姫さまの母君も、
ああして泣き騒いでいる乳母も、
薫の君さまの邸に、
お移りになるよう、
支度を急いでいたので、
ございます
宮さまとのことは、
お姫さまがお胸一つに秘めて、
心秘かにお慕いになっていらした
わが身は一つ、
お心はお二方に、
お姫さまは悩まれて、
正気を失われたものとみえます」

と遠回しのいい方で、
横死の事実を話した

時方は、
まだ合点がいかなかったが、

「それではまた、
ゆっくり参上します
立ったまま話を伺うのも、
落ち着きませんので」

というのは、
死穢に触れるので、
腰を下ろせないのであった

侍従は早く時方を帰そうと、
心せいていた

姫君の変死を、
人々に知られるまいと、
取り繕っているのだ、
時方に粘られると、
おのずと周囲にも、
悟られてしまいそうである

時方は侍従にせかされて、
帰った

母君は、
雨のひどく降るのにまぎれて、
自身やってきて、
浮舟の失踪を知った

「どういうこと、これは・・・」

と泣き惑い、
それでも母心から、
浮舟が死んだとは思えず、

「目の前で亡くなった悲しさなら、
いくら悲しくても、
世間に例もあること
でも、これはどういうこと?
どこかへ失せたとは」

と取り乱して泣く

母君は、
浮舟が心を二つに分けて、
悩んでいたことなど、
知るよしもないので、
身投げしたとは信じられず、

「鬼があの子を食ったのか、
かの薫の君さまの、
ご正室の嫉妬じゃないの
腹黒い乳母か何かが、
浮舟を憎んでさらったのでは?」

と母君の猜疑心は膨れ上がる

侍従と右近の二人だけは、
浮舟の身投げを信じている

母君には、
ありのままに打ち明けた方が、
よいだろうと二人の意見は一致した

母君の脳乱を静め、
世間体だけでも、
取り繕うためには、
母君に真相を知らせるしか、
なかった

二人は母君に、
浮舟の秘密を打ち明ける

いうほうも、
悲しみに消え入るばかり、
はじめて聞く母君は目もくれ、
心も惑い、
それではやはり、
流れの早い恐ろしい川へ、
身投げして死んだのかと思う

「どこへ流れて行ったのかしら
探し求めて亡骸を見つけて、
ちゃんとお弔いをしてやりたい」

泣き沈む母君に、
右近はいった

「今さらもう、
何の甲斐もございません
行方も知らぬ大海原へ、
流れていらっしゃったでしょう
それなのに、
亡骸をお探ししては、
世間の噂にのぼり、
何をいわれるかわかりません
このままお弔いということに、
いたしましょう」






          


(次回へ)

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