むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「9」 ③

2024年10月07日 08時14分08秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・中宮は晴れ晴れしたお顔、
おそばには、
中納言の君と宰相の君がいた

中宮は宰相の君に、
あちらへ行って、
女房たちと法会をごらんなさい、
といわれる

「大丈夫です
ここでも三人は入れますもの」

宰相の君は中宮が、
私をおそばにお置きになりたいのだ、
と察してそういい、
私を手招きした

「そう、
じゃ少納言、
ここへいらっしゃい」

と中宮はお呼びになって、
下座の女房たちは悔しがって、

「昇殿を許された内舎人ね」

と笑った

関白さまがおいでになる

関白さまは例によって、
少し酔っていられるようで、
感激して涙ぐんでいられた

むりもない、
陣屋を守る三位の中将は、
ご子息の隆家の君、
そして大納言は伊周の君と、
庶腹の道頼の君、
一の姫君は中宮、
何の物思いもおありに、
ならないであろう

まだ十四、五の、
僧都の君、
定子中宮の弟君は、
紫の御袈裟、
うす紫の衣、
というお姿で、
剃りたての、
青いお頭も美しく、
女房のあいだにまじって、
歩いていられた

法会は果てしなく続いた

長い行列が一切経を捧げ持ち、
終日、行道する

大きなおごそかな法会であった

宮中から主上のお使いが来て、
法会が済んだら、
ただちに参内せよとの、
仰せを伝える

主上はしばしの別れが、
もう待ちきれない様子であった

私が主上を、
はじめてお見上げしたのは、
積善寺の一切供養から、
いくらもたたぬ、
春のまさかりの日だった

清涼殿での、
主上と中宮のなごやかな、
おん団欒を目のあたりに拝見した

うらうらとよく晴れた日で、
御殿の高欄には、
大きな青磁の甕がすえてあるが、
そこへおびただしく花をつけた桜の、
見事な枝を投げ込んである

そばには、
大納言・伊周の君が、
坐っていらっしゃる

桜重ねの直衣、
これは上は白、下は赤である

濃紫の紋の浮き出た指貫、
直衣の下には、
更に濃い紅色の綾のあこめに、
白い単衣、
というお衣装

大納言どのは、
桜の花にもまがう、
つややかな顔色で、
美青年ざかり

とすれば、
主上は、
もったいないことながら、
美少年ざかりと、
申しあげてよかろう

おん年十五歳

華奢なお顔立ちでいられるが、
みるからに、聡明、怜悧な、
お年にしては落ち着いた、
ご表情

五歳で立坊、
皇太子に立たれて、
七歳でご即位になった

お年より老成していられるが、
やはり帝王の器、
と申しあげるべきなのだろう

定子中宮と好一対といって、
よかった

主上は上の御局に、
中宮と向き合って、
坐っていられる

御簾をへだてた板敷に、
大納言どのが坐っていられる

弘徽殿の上のお局の、
御簾の内には、
女房がいっぱいいた

御局に続く廊にも、
女房たちが控えており、
それぞれ、桜重ね、藤重ね、
山吹重ねの衣装に晴れやかに、
ひしめいているのだった

主上は正餐を、
清涼殿の母屋の御座所で、
お一人でおとりになる、
決まりである

主上を昼の御座まで、
お送りした大納言どのが、
戻って来られる

「美しい桜だこと」

中宮は御几帳を押しやられて、
長押のそばまで、
膝をすすめられる

桜も美しく、
中宮もお美しく、
この世すべて満ちたり、
輝かしくまばゆいのでは、
なかろうか

いま、このいま、
この瞬間のめでさたを、
永遠にとどめたい

月日は移ろうても、
中宮をめぐる御栄は、
久遠にとどめたい

あまりのめでたさに、
私は反って不安をおぼえる

満ちた月の幸せに、
むしろ不吉な危惧さえ、
おぼえるほどである

むろん、
そんな危惧は、
なんの根拠も、
ないものであるけれど

中宮が何かお投げになる

それは私の手もとに落ちた

結んだ紙である
開いてみると、

「あなたを一番に思おうか、
思わずにおこうか、
どうしようかしら
もし一番じゃなければ、
どうする?」

とある

思わず微笑がこぼれてしまった

この前、
何かの話のついでに、
私は、

「相手から一番に、
愛されるのでなかったら、
つまらないわ
そのくらいなら、
ひどく憎まれるほうがましだわ
二番、三番に思われるなら、
死んだほうがましだわ」

と女房たちにいったことがある

中宮はそれを聞いていられて、
からかわれるらしい

「どう、少納言?」

と中宮はおっしゃって、
筆や紙をお渡しになる

私は困った






          


(次回へ)

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