・私は縁に出て、簾をあげた
築地も門も壊れたままなので、
往来がよく見わたせる
生意気ざかりの青二才どもが、
こちらを指さして、
「お、出てきた
あの婆の尼が清少納言のなれの果て、
というわけか」
私は啖呵を切った
「いかにも清少納言のなれの果てだよ
いかにも婆の尼だよ
だけど、痩せても枯れても、
あたしゃ清少納言だ・・・」
若殿ばらは、
逃げるように車を急がせて去った
自分でもおどろくほど、
やつれて見るかげもない、
顔になっている
しかし私には、
今も公任卿や赤染衛門や、
和泉式部が手紙や見舞いをくれて、
友人が多いので淋しくない
私は社交界へ出ないものの、
全くの世捨て人でもないのだ
そういえば、
あの美しき情趣深き和泉式部は、
恋人の為尊親王に死に別れ、
その弟の敦道親王にも先立たれた
歌人としての名は、
いよいよ高いが、
いまは道長の君のお気に入りだった、
藤原保昌の君と再婚している
和泉式部は一条帝の御代、
彰子中宮のもとに仕え、
時めいた時代もあったが、
すべては昔ものがたりになってしまった
そういえば、
そのころ共に彰子中宮に仕えた、
れいの為時の娘、
この頃では彼女の書いた「源氏物語」
にちなんで「紫式部」と呼ばれている女が、
世上に流布した日記の中で、
「清少納言というのは、
高慢ちきで箸にも棒にもかからぬ女」
などと書きちらしていた
「利巧ぶって漢学の才を、
ひけらかしているけれど、
まちがいも多く、
浅はかなものである
そうやって他人より、
際立とうとやっきになるような人間は、
長い目で見ると、
必ず見劣りされ、
行く末、ろくなことにならない」
というのは、
「春はあけぼの草子」への、
批判であろうか
「とにかく、
情趣、情緒、風流、雰囲気、
というようなものばかりを、
大切にして気取るような人は、
何ということない殺風景な凡々たることも、
感動的に受け取り、
いちいちに一人よがりで、
大げさな感涙をこぼしたりして、
こちらは白けて浮いてしまう
その感動の中身も実は、
空虚で軽薄なのである
そういうものの見方、
生き方が身についてしまったような、
人間の行く末が、
どうしてよいものであろうか」
これはあきらかに、
私の生き方、私の人生に対する、
嘲笑で挑戦である
しかし私は彼女に怒りをおぼえる、
というのではない
また嘲笑されてしょげる、
というのでもない
彼女が「春はあけぼの草子」を、
読んだように私も「源氏物語」を読んで、
そして私は面白かった
ただ彼女とちがうところは、
「春はあけぼの草子」も「源氏物語」も、
どちらも同じ人生の陰と陽、
凹と凸だと発見したことだった
人生も人間も、
さまざまに変る光陽にみち、
どの面もどの光も真実であるのだった
それからまた、
あの紫式部は、
陰鬱で不平不満のかたまりであり、
ゆえ知らぬ怨嗟につねに、
心を煎られていた、不幸な女、
「足らう」ということを、
知らぬ気の毒な女だった、
という同情である
それは物語作者の宿命みたいな、
ものであろう
物語を創作する人間は、
おのが描き出した宇宙に、
ふりまわされて骨身を削り、
生みの苦しみに肉を殺いで、
それでもつねに餓えつつ、
何かを求めて死んでゆく
死ぬまで「足らう」、
ということはないのだ
そこへくると私は、
書くべきことを書き終えた安らぎで、
いつも満ち足り、
世を楽しく過ごしている
紫式部は気の毒な女だった
・・・「だった」というのは、
もう十二、三年も前に死んでしまった
まだ四十一だったという
その娘がやはり、
彰子中宮、いや、皇太后のもとへ、
お仕えしていて、
これは母に似ず、
伊達男の父の宣考に似たのか、
派手で愛想よい性格で、
男たちにもて、
恋人も多いらしい
そういえば、
安良木もいまだに彰子皇太后に、
いや、落飾されていまは、
上東門院と申しあげるが、
お仕えしている
いまでは小馬命婦とよばれ、
女院のご信頼もあついとのことだが、
ついに結婚しないで終わった
少女でいらした彰子中宮に、
奉げた安良木の純情は、
幸せにも人生の大半そのまま、
持ち続けることができたのだった
安良木が彰子中宮の御殿にもたらした、
「春はあけぼの草子」が刺激となって、
「こちらでも、
彰子中宮のめでたさをたたえた作品を」
という希求が湧きおこり、
道長の君のお声がかりで、
紫式部が筆を取った、
ということである
おお、それもこれも昔のこと
あの権力者の道長の君さえも、
お亡くなりになってしまった・・・
私は腰をのばし、
やおら外に出る
庭の片隅に作った青菜が、
思いのほか出来がよかったゆえ、
干し菜にしておこうと思う
軒の竹竿にうちかけつつ、
「おお、なんとみずみずしい緑色
昔の男どもの着た直衣の色を、
見るような」
紅梅がさね、
山吹がさね、
桜がさね・・・
美しゅうございましたね、中宮さま
いまも思い出にありありと、
そのままでございますよ
花やかな後宮の色と匂いと笑い声
私は小柴垣の彼方の、
亡き中宮の鳥辺野の御陵に、
手を合わせる
朝な夕な、
中宮にお話し申しあげているが、
目につくたび、
手を合わせ、胸のうちで、
お話しする
中宮もまたおこたえになる
瞼に浮かぶお姿は、
むろんお若く美しい中宮である
そしておん年二十一でいらした主上と、
二つの敦康親王、
お生まれになったばかりの、
美子内親王・・・
極楽浄土で、
おむつまじく団欒なすっている、
おんありさまである
折から、
春の空はまるで、
祭りの日の車の裾から、
こぼれ出した衣か、
檜扇の五色の糸のように、
あけぼの色に染まった
あけぼのは、
御陵の深い緑の稜線を、
赤くいろどる
中宮のお美しいお姿、
さわやかなお心ざまを、
私はついに「春はあけぼの草子」に、
とどめた
中宮は老いられない
千年たっても老いられない
私の頬を満足の涙が伝う・・・
(完了)
・不機嫌な顔になった則光はいう
「くだらん本の一冊や二冊より、
田舎にはもっと大きな何かがある
嘘っぱちや泣きごとを並べる、
都の上つ方の腹黒いもくろみや、
ちっぽけな了見を、
ふきとばしてしまうような、
ものすごい力があらえびすの国にはある
あずまは未開で荒けずりだが、
人間は大きく息をつき、
足の続く限り駆けまわれるところだ
そういうよさが、
お前にはわからんのだ
所詮、俺とお前はちがう人間なのだ
・・・ああ、気が悪い」
則光は腰をあげた
私はいそいでいった
「でも、来てくれてありがとう、則光
怒らないで笑って別れてよ」
則光がいい男であるのを、
私は彼の妻たちの誰よりも、
よく知っているつもりだった
「くそ
お前はちっとも変わらんな、
笑って別れるなんてことが、
そもそも都会人のよたっぱちだ
別れるのは、
愛想をつかしたからこそ、
別れるのさ
俺はもうお前が、
野垂れ死にしたって知らんぞ、
愛想もこそも尽き果てた!」
則光は一度もふり返らず、
出ていった
いや、私にしてみれば、
彼は出ていったのではない
私は彼のよさを、
「春はあけぼの草子」に書きとどめ、
しるし伝えて、
のちの世の女たちに、
則光を愛させるのだ
まさしく彼は、
私の書く本の中にひきとめられ、
閉じ込められるのだった
ひと月ばかりして、
則光から便りが来た
「逢坂の関にて 則」
とあり、
珍しく歌がしたためてあった
<われひとりいそぐと思ひし東路に
垣根の梅はさきだちにけり>
(東国へ俺は行くぞ
見ろ
梅は俺の先がけをして、
咲いている
さらばだ
俺とお前は人生がちがう
俺はこせこせした都を捨て、
広い東国の天地に生きるぞ
お前は狭い都の片隅で、
這いずりまわって、
過ごすがいいさ)
しかし彼の気負いは、
無邪気で屈折していないところが、
さわやかだった
いい男だった
いい男や女を、
私はたくさん見た
あれもこれも書きとどめ、
伝えたかった
~~~~~
・いま私は、
故定子中宮の鳥辺野の陵のそばに住み、
亡き中宮の陵を朝夕拝しつつ、
日を送っている
この山荘は、
亡き父の持ち物だったが、
長兄が譲りうけていた
私は中宮のおそばにいたくて、
三条の私邸と引き換えに、
ここに移り住んだ
荒れ果てた家は、
近くに住む赤染衛門が、
雪の降る日にこんな歌を、
よんでよこした通りである
<あともなく雪ふる里の荒れたるを
いづれ昔の垣根とか見る>
私は六十歳というとしになった
この年、万寿四年(1027)
長く筆をおいていたのに、
ひさかたぶりに、
この草子のうしろに、
書き加える気になったのは、
このほど、
道長の君や行成の君が、
相次いで亡くなられてしまったからだ
あの左大臣どのがついに・・・
この二十五年のあいだに、
なんと多くの人の死を、
見てきたことか
主上がおん年三十二のお若さで、
崩御されたのは、
もう十六年前のこと・・・
そのとき、
彰子中宮はまだ二十五のお若さだった
かの定子中宮の亡くなられたお年と、
同じだったが、
すでに皇子をお二人挙げていられた
東宮はその兄皇子、
ついで新東宮も弟皇子が立たれたため、
定子中宮のお生みになった、
敦康親王はとうとう、
皇位におつきになれずじまいだった
伊周の君は、
すべてに望みを断たれ、
絶望のあまり消え入るように、
亡くなってしまわれた
美子内親王は九つで、
敦康親王も二十歳のお若さで、
母宮父宮のあとを追われた
おお、そういえば、
私は指を折る
花山院も、
明順の君もすでに亡い
有国も隆円僧都も方弘も
経房の君は、
任地の大宰府で都恋し、
と泣きつつ逝かれとか
彰子中宮は落飾され、
脩子内親王も仏門に入られた
定子中宮のおん子としては、
脩子内親王のみ、
お残りになったのである
ただ、敦康親王のおん子、原子(女偏)姫が、
ただいまおん年十歳で、
道長公のご長男の頼通の君に、
養われていらっしゃると聞くが、
どうぞご無事にお成人あそばし、
お幸せな生涯でいられるように、
と祈らずにはいられない
則光はどうしているやら、
死んだという噂はまだ聞かない
則光と仲のよかった私の兄、
致信は悪たれ侍らしく、
頼光の手下どもに攻められて、
斬り殺された
私もその場に居合わせて、
おそろしいことであった
危うく巻き添えになるところだった
こいつもやってしまえ・・・
とはやり立つ侍どもの、
白刃にかこまれ、
震えながらも、
「あたしゃ、女だよ
まちがえないでおくれ!」
と大声で叫び、
「それに尼なんだ!」
といいつづけた
やっとのことで、
放たれたが世間では、
そのとき私が前をまくって、
「この通り」
と見せたというようにいわれている
(清少納言らしい・・・)
と侮蔑とも憐憫ともつかぬ、
笑いの石つぶてを投げられた
引退して一人住みの私は、
世間の好奇のまとであるらしい
私が逼塞して暮らしていると思い、
人々は憫笑の目を向ける
このあいだも、
若殿ばらが数人、
私の家の前で車に乗り過ぎつつ、
声だかにいった
「ここがかの清少納言の、
住み家らしいぞ
どうだ、この荒れたさまは
時めいて誇り顔の才女も、
こう落ちぶれ老いさらばえては、
もうひと言半句も、
気の利いた言葉は出まいな」
「男を男と思わず、
傲慢にふるまった罰じゃないか」
「夫も子も持たぬ、
女の末路はこれなんだなあ」
(次回最終章)
・父の遺産は、
いまも細々と生きるくらいはある
中宮のお亡くなりになったとき、
中宮の兄君、伊周の大臣と、
弟君、隆家中納言が、
女房たちにおかたみの品や、
財物をお下げわたし下すった
それも手をつけずにある
老いた女房の右近とともに、
静かに年をとっていけばいい
遠くから中宮一家を見守りつつ・・・
しかし定子中宮のお妹姫たちは、
幸薄かった
四の君は内裏で、
いつしか主上に愛されるように、
なっていられた
定子中宮にいちばん似ていらしたので、
主上のお気持ちを動かしたので、
あろうけれど、
まだ十七、八というお若さで、
身籠られたまま亡くなられた
それは中宮が亡くなられて、
二年目の夏であったが、
月を越えてその秋、
東宮妃の淑景舎の女御が、
突然亡くなられた
鼻や口から血があふれ出て、
急死なさったというので、
(毒を盛られなすったのでは?)
という噂だった
もうお一人の宣耀殿の女御のせい子方の、
人々が策動したのではないか、
というものの、
まさかそんなことがあろうはずは、
ないけれど
それにせい子女御は、
何人もの皇子皇女を産み続けていらして、
東宮御殿ではならぶ者なき勢い、
淑景舎の君は姉君と同じく、
圧されなすっていた
そんな方をいまさら、
どうこうするということなど、
あろうはずはない
かつてこの淑景舎の君が、
定子中宮の御殿、登華殿へ、
訪れられてご一族が集われた、
あのときの花やかさにくらべ、
何という悲しい最期であったことか
あれは正暦六年、
七年も昔のことになる
女御は二十二というお若さで、
姉宮、妹宮のあとを追われた
ある日、
三条の私の邸に、
男の声や馬の蹄の音が聞こえ、
中年の男が入ってくる
ふと、棟世かと思ったが、
「俺だよ
しばらくだった」
則光だった
見違えるほどたくましく、
筋骨が張って日焼けしていた
そうして老けていたが、
その老け方は私にとって、
他人じみたものに映った
彼が老けるまでの年月、
私と彼は、
他人として暮らしていたのだから
彼は簀子縁に坐り、
「なんてまあ、
こう、昔のままなんだ」
と無遠慮にあたりを見廻した
そのいい方に、
昔のままの則光が出ていた
素直さが、
悲しいほどの素直さ、
それは相手の心を傷つけることに、
無関心な酷薄な素直さだった
「家は昔のままだが、
お前は変った
ずいぶん婆さん顔になった
シミが出てるぞ、顔に
しかし顔に老人斑が出ると、
長生きするという
お前は長生きするだろう」
則光は大声で笑った
その笑い声も話し方も、
傍若無人に高かった
広大な原野や、
田舎の館でははばかるものなく、
大声を張り上げて、
暮らしてきた人の、
抑えることを知らない高調子だった
供の者たちの顔ぶれも、
半分は知らない顔だった
私と別れてからの則光の人生は、
私と関係なく過ぎていったのだ
「吉祥と会ったんだって?
お前の大好きな中宮さまに、
先立たれて、
めげてるのじゃないかと思ってな
棟世のことは聞いたよ
致信(兄の)さんとはちょくちょく、
会うのでな
お前も男運の悪い奴だ、
それを思うとあわれでねえ」
たぶん、
その言葉にうそはないのであろう
則光は昔から、
決して悪意のある人間ではなかった
しかし則光が私をあわれむのは、
とんだ見当ちがいというもの
「あたしが?
とんでもないわ
いまほど最高に、
ご機嫌なときはないわ
棟世とも、
よく添い遂げたって感じよ
そりゃ、
短い仲だったかもしれない、
だけど、
時間が短い長いなんて、
主観的なものでしょう?
あたしの心の中では、
長かったの
楽しんだわ
面白かった、って、
思ってるの
いえ、それは今も、
続いているのよ」
私は話すうちに、
説得口調になっているのに、
気付いてやめた
則光はそんな抽象論に、
興味はさっぱりない男で、
「そうだろうけど、
子供もいなくて、
どうするつもりだ?
この先」
「いるわ
これが、あたしの子供よ」
私は机の上に、
うず高く積み上げた冊子を示した
それですら、
三分の一だった
このあいだ、安良木が来て、
三分の二を、持って帰ったばかりなのだ
「春はあけぼの草子」は、
彰子中宮の御殿で読まれ、
筆写され、やがては、
内裏にひろまりつつあるという
故中宮のたぐいまれな、
お人柄とお美しさへの讃仰は、
今更のごとく、
口にする人が多くなったという
「春はあけぼの草子」は、
手から手へ写され、
伝えられていた
これこそ私の生んだ子供だった
「いまにあなたのことを書くかも」
と私がいうと、
則光はにがい顔になった
「またか
歌や物語などというのは、
俺は苦手だ
そんなことより、
身寄りのないお前が心配で、
来てみたんだ
どうだ、
俺と一緒に新しい任国へ、
ゆく気はないか?」
「どこなの?」
「陸奥守になった
遠いところだが面白いぞ
東国はいい
俺の性にあう
妻や小さい子も連れてゆくが、
お前がその気なら、
一緒にどうだ
面倒見させてくれ
どうもまずいんだな、
お前が一人ぼっちで、
落ちぶれていくと思うと」
私は笑った
中宮に死におくれてから、
こんなに笑ったのは、
久しぶり・・・
「則光
あんたって好きよ
あたし、男運が悪いなんて、
段じゃないわ
棟世といいあんたといい、
なんてすてきな男を、
持ったもんだろうと思うわ
だけど・・・」
私は笑いながらいった
「もう、田舎はいや
あんたにゃ東国が性に合うように、
私には京が性に合うの
都で生きつづけ、
生きながらえてゆくわ
たとえ、乞食になっても、
都にいるわ
なんでかって?
この草子がもてはやされるところで、
あたしは生きる必要があるのよ
文化のおくれた田舎や、
あらえびすの国で、
この草子を読んでくれる人があって?
もてはやす人があって?
そんな田舎に住めないわ」
「田舎で悪かったな」
則光は中っ腹な声である
則光はみるみる不機嫌な顔になった
その表情も私にはなつかしかった
(次回へ)
・安良木は十一月の終りにはじめて、
一条院内裏に参上した
それから間なしに、
故定子皇后の一周忌の法会が、
法興院であった
私の上京はこの法会も、
目的の一つであった
皇后大夫の公任卿のお姿は、
見えなかったが、
明順の君のお姿を遠くから見て、
老いられたのに胸をつかれた
もとの正三位に復された、
伊周の君はひまなく涙を、
ぬぐっていらっしゃる
しかし私はもう、
現実の帥の大臣(伊周の君)と、
会話したり、
悲しみを確かめあったり、
しようとは思わなかった
私がこれからつきあうのは、
私の筆によってよみがえる、
紙の上の帥の大臣であり、
故関白であるのだった
東三条女院がついに、
崩御されたという知らせと共に、
私にはもっと大きな衝撃が、
もたらされた
棟世が摂津の国庁で急死したのだ
政務を執っていて、
突然倒れたという
その日は京でも寒い日だった
暖かくしていた私邸から、
急に冷えた政庁へ出て、
それが変調のきっかけになったのか、
間もなくして前かがみに、
倒れたそうである
一度意識がもどり、
介抱する男たちに、
「海松子と安良木を呼んでくれ」
といったそうである
すぐさま使者が京に向け走った
それは辰の刻(午前八時ごろ)
しばらくして、
「おそいな」
とひと声つぶやき、
再び昏睡状態におちいって、
二刻ばかりして死んだ、
という
第二の使者はふた所に向けて、
走った
私のもとと、
京の役所・太政官に向かって
第一の使者は馬の故障で手間取り、
第二の使者と同時に、
京の私の邸に着いた
うねうねと長生きしよう、
といったのは棟世だったのに
お前には長い人生がある、
いつだって帰って来られるのだから、
と棟世はいってくれた
でも、もう帰るところなんぞ、
ありはしない、
棟世はいないのだ
棟世に残された時間は、
少なかったのだ
いやしかし、
それもこれも煩悩というもの、
あの数カ月、
棟世と暮らせた幸福を、
大事に思おう
私は安良木と抱き合って泣いた
難波へおもむき、
彼を葬り、彼のお骨を、
安良木と二人で代わる代わる抱いて、
京へ持ち帰った
鳥辺野の葬儀の日は、
一年前の故中宮のときと、
同じように雪が舞った
棟世の死も、
しかし外の世界を知りそめた、
安良木の若い心を、
抑えつけることはできないようだ
赤く泣きはらした目で、
彼女は、
「喪が明けたら出ていらっしゃい、
と中宮さまからお言葉がありました
おばさまを打ち捨てて心配ですけど、
わたくし、
中宮さまから、
お目をかけて頂くようになって、
まだ日が浅いのですもの、
あまり長く離れてしまうと、
何だか心の通い合いが、
途切れてしまうようで淋しくて」
というのであった
それは全く、
昔の私と定子中宮の間柄を、
見るようであった
「ええ、そうね、
早く戻ってさしあげて
中宮などと申しあげて、
どんなにみ位が高くても、
まだお若い女性ですもの、
心細くも辛くも窮屈に思われることも、
多いでしょう
そういうときに、
心を打ち割って話せるお話相手の女房は、
どんなにか嬉しいお慰めでしょう
安良木がそんな風になれば、
きっとお喜びになってよ」
と私は涙をぬぐいながらも、
微笑む
安良木は私の言葉に、
力づけられたようであった
「わたくしはね、
御前では『こまやか』という名を、
頂いております
中宮さまが、
『あなたは心づかいの、
こまやかな人ね』
とおっしゃって下すって
『おだやか』とか『みやびやか』とか、
『におやか』などという名を、
つけられた人々がいます
でもわたくしのことを、
中宮さまは『こまやか』を略して、
『こま』なんて、
ときどきお呼びになるの・・・」
話すうちに安良木の目に、
光がみなぎり、
頬が赤みをさし、
唇はほころんだ
「すばらしい中宮さまです
明るくて無邪気で、
そして悪気の一点もないお方!
まだ十四でいらっしゃいますのに、
おん三つの一の宮を、
ご自分のお子のように、
可愛がっていらっしゃいます」
一の宮というのは、
故定子中宮のお忘れ形見の、
敦康親王だった
親王もその姉宮も、
彰子中宮のお手元に、
いまは引き取られなすって、
いるそうだった
安良木は故中宮のことは、
知らない
母宮のお顔も知らない、
幼い宮たちのあわれさを、
深く知るわけはない
でも、それでいいのだ、
世の中はどんどん変わり、
うつろってゆくのだ
棟世の喪に服しつつ、
私は「春はあけぼの草子」を、
書きついでいた
棟世の邸は彼の兄弟が、
遺産相続に名乗り出して、
わずらわしいため、
私は三條の私邸にひきこもっていた
棟世の遺産のほとんどは娘に、
その残りの何分の一かが、
私に与えられた
彼の一族は、
したたかな受領たちで、
遺産相続の手際もあざやかだった
私は私に与えられた分から、
更にいくらかを割いて、
彼の最後を看取ったという、
逢坂の里の女に与えた
どんな女か、
見たことはないけれど、
棟世が最後につぶやいた、
「おそいな」
という言葉は、
もしかしたらその女のことを、
いったのかもしれない
棟世の形見の品は、
一つも残さなかった
私は彼の思い出だけで、
たくさんだったから
(了)
・しかし安良木は、
私に頼んだ宮仕えのことを、
一日も忘れていないらしく、
「まだかしら、おばさま
まだお返事は来ない?」
毎日のようにいう
しかしついにある日、
赤染衛門の君から手紙が来た
夫がこんど尾張の国の守となり、
自分も共に下ることになった、
ついては頼まれていた安良木どののこと、
ちゃんと取り計らうことが出来たので、
その手はずをつけるため、
こちらにおいでを乞う、
とのことである
棟世と尾張の国の話を、
したばかりだったので、
おかしくばあったが、
赤染衛門は忘れずに安良木を、
推してくれたらしかった
彰子中宮のおそばへ、
あがれるかどうかは、
最終的に大殿の上(道長大臣の北の方)や、
その女房にお目通りして、
決まるらしいが、
しかし大殿の上は、
私のことをご存じで、
兵部のおもとの口添えもあり、
「ああ、元輔の娘ね、
あの清少納言の夫の娘というのなら、
素性もよろしいし・・・」
と満足されているという
安良木は有頂天になっていた
彼女の心にはもう、
輝く藤壺のきらびやかな世界しか、
ないらしかった
「お前についていってもらうほか、
ないな
おれには準備してやりたくても・・・」
棟世は娘を手放すのに、
淋しさはあったろうが、
あきらめではなく、
淡々としていた
「かいもく見当のつかぬ世界だから
宮仕えというのは、
どんなふうにやるんだね?
宮さまからのお手当ては、
出るんだろうか、
こちらからはどの方面に、
付けとどけをしたらいいのか、
衣装やそのほかの支度は、
乳母にいいつけておくれ
やれやれ女の子というものは、
金の要るものだ」
私は久方ぶりに、
あれこれと安良木の支度に、
付き添って心が動いた
ともあれ、
京へ戻らなくてはならない
「安良木の身のふり方を、
つけてしまったら、
またすぐに帰ります」
と私は棟世にいった
「たのむ
それにしても、
あんなに夢を持って、
勇んでいる娘を見るのは、
気持ちのいいものだ
何の希望も期待も持てない人間に、
育てなくてよかった
おれが男手ひとつで育てた、
甲斐があった
実をいうと、
お前も皇后の崩御で、
がっくりまいって、
別人のように魅力の無い女に、
なるんじゃないかと心配だった
それがどうだ」
棟世は私に笑顔を向けた
「こんどは草子を書くと、
張り切っている
津の国の海や山、
自然に感動している
安良木の後見に身を入れている
おれはそういう人間が好きだ
お前の書く物語は、
きっと人々に愛されると思うよ」
私は機嫌よく京へ出発した
おびただしい財物と共に帰るので、
棟世は護衛の侍を多くつけてくれた
京は少しも変っていなかった
棟世の留守宅へ入り、
早速、赤染衛門の君に連絡する
ちょうど彰子中宮が、
土御門のお邸へ里帰りしていられ、
そこへ近々、
主上も行幸になり、
東三条女院の四十の賀が、
行われるらしかった
上を下へのさわぎであるが、
安良木は殿の上に、
お目通りを許され、
幸いお気に入って頂けたらしく、
宮仕えを許されることになった
その折、
「清少納言は、
宮仕えする意志はもうないのか
あればこちらへ来ないか」
というお話があったという
そのお志は嬉しかったが、
私は多分、もう二度と、
仕えることはないであろう
それよりも赤染衛門の邸で、
彼女と和泉式部に会えたのは、
嬉しかった
衛門は五十にはまだ間があるが、
どっしり太って、
ふっくらした色白の頬、
声の若々しい人だった
歌人として名声の高い女流であるが、
名声のわりに気取らぬ、
穏健な家庭婦人、
何かというと、
「主人が・・・
主人が・・・」
と学者の夫、大江匡衡のことをいった
和泉式部は、
三十を出たばかりであろうか、
いま京の人々の口の端にのぼっている、
恋愛沙汰にふさわしく、
しっとりと魅力ある女だったが、
美人ではないが、
どことなく捨てがたい、
心残りのような情趣をたたえ、
すこし酷薄そうな、
切れ長の目が美しかった
言葉少ないその人が、
やっとしゃべるひと言は、
こちらの心にいつまでも、
余韻をもたらした
彼女は冷泉院第三皇子の、
為尊親王と恋愛のため、
とうとう夫の和泉守・橘道貞に、
離縁されてしまったそうである
為尊親王の熱は、
ますますたかぶるばかりで、
日ごと夜ごと物狂おしく、
和泉式部につきまとっていられるという
しかしこのごろでは、
和泉式部が歌詠みだという名声も高く、
衛門のおもとは彼女に、
「大殿は、
ぜひあなたにも、
と宮仕えをおのぞみで、
いらっしゃいましたよ
ええ、無論、彰子姫の」
といった
和泉は、
「自分のような者は」
と口ごもっていた
というより、
私にはどことなく彼女が、
放心しているように見えた
恋をしている最中は、
何かに魂を抜き取られているのかも、
しれない
その放心のさまは、
好もしく私には映った
中宮に逝かれた私もまた、
ある放心を味わっているのだから・・・
(次回へ)