・妹尼は手ずから薬湯を、
匙ですくって口に入れてやった
しかし病者は弱りゆくばかり
「ああ、このひとが死ぬ
かえって悲しい思いをしなければ、
ならなくなってしまった」
妹尼は嘆き悲しみ、
「どうぞ加持して下さい
この人のためにご祈祷お願いします」
と阿闍梨に頼む
人々は、
「厄介なことをしょいこんだもの、
死んだとしても、
そのままうち捨てるわけにいかない」
「とむらいをなさらなければ、
いかんだろうし、
いや、困ったこと」
「物好きなことをなさるから」
などとぶつくさいう
「静かに
人に聞かれてはなりません
どんな事情のある方か、
わからないから、
下人たちには知られないように
妙な噂を立てられたら、
この人のためにも、
私たちのためにもよくありません」
妹尼は口止めして、
高齢の母尼より、
若い女の看護に夢中だった
女は時に目をあげて、
尼たちを見るが、
その目に涙があふれる
「何がそんなに悲しいの?
恋しい娘の身代わりに、
観音さまが授けて下さったあなた、
もし、はかなくなられたら、
私は辛い思いをせねばなりませぬ
ねえ、どうかひと言、
おっしゃって」
女は口元をわずかに動かした
妹尼が耳を近づけると、
息も絶え絶えに、
「このまま人目につかず、
宇治川へ落として下さい」
というのである
「おお、
何と恐ろしいことをおっしゃる
なぜまた、そんな・・・
どういうご事情があってのことです?」
妹尼が問う間に、
再び女は意識を失ってしまい、
ものもいわない
死にかかっている若い女、
ひょっとして怪我などしてはと、
妹尼は体をあらためてやったが、
疵一つない美しい体で、
もしや、
人の心を惑わすために出てきた、
変化ではあるまいかとさえ、
妹尼は思った
二日ばかり籠っている間、
母尼と若い女、
二人のために加持する声は絶えず、
妹尼はただならぬ心地で過ごした
この宇治のあたりの下人たちで、
僧都に仕えていた者が、
僧都がおいでになっていると聞いて、
ご挨拶にやってくる
世間話をするのを聞けば、
「昨日お伺いしようと、
思っておりましたが昨日は、
お葬式がございまして、
亡くなられたのは八の宮の姫君です
右大将(薫)がお通いだった方で、
これという病気もなく、
急死なさったということで、
大さわぎでございました
お弔いのご用を、
つとめておりましたものですから、
昨日はようお伺いませんで」
僧都は耳と留め、
それでは正体のないあの女は、
そんな死人の魂を拉してきて、
作りあげたのではないか、
あの女は水に溶けるように、
姿を消すのではないか、
とふと恐ろしく思った
僧都のそばの人々は下人に聞いた
「昨夜、
ここから見えた火は、
火葬の火だったのか
そんなに大きくも見えなかったが」
「わざと簡単になさって、
ひっそりしたものでした」
「ほう、それにしても」
一人がいう
「亡くなられた姫というのは、
どなたのことだろう?
大将殿がお通いになったと聞く、
故八の宮の姫君はとうに、
亡くなられたはず
それに今は帝のおんむすめを、
正室にお迎えになっている
まさかほかの女に、
お心を移されるはずもあるまいに」
と世離れた人々も、
上流階級の噂に、
関心を持つらしい
母尼はどうやら持ち直された
方ふたがりもあいたので、
こんな気味の悪い所に、
長居することはないと、
帰ることになった
若い女がまだ弱っているので、
道中、耐えられるかどうか、
心配だったが、
車二輌仕立て、
一輌には母尼と仕える尼二人、
あとのに若い女と妹尼、
もう一人女房が乗って、
道すがら薬湯など飲ませつつ、
小野さしてゆるゆる進んだ
そんなわけで、
小野へは夜更けて着いた
僧都は母尼の介抱に、
妹尼は若い女の世話をして、
抱き下ろしてやっと部屋のうちに、
休ませた
母尼は老いて病がちのところへ、
長旅の難儀で弱っていられたが、
何とかなおられたので、
僧都も安心して比叡山へ帰った
(次回へ)