むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

10、浮舟 ⑱

2024年07月14日 08時32分19秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・匂宮はいら立っていられた

浮舟はどんなに急かしても、
承知する気配はない

返事さえ来ない

薫に説得されて、
薫の方を選んだのかもしれない

それも無理はない、
と思われるものの、
残念でいまいましく、

(しばらく逢わぬまに、
薫の方に思い寄ったのかもしれぬ)

思い沈んでいられると、
恋しさは果てもなく、
またもや無理を押して、
宇治にお出かけになった

邸のぐるりの雰囲気が、
いつもと違っていた

警護の男たちが、
きびしく見張っていた

時方が近づくと、

「誰だ」「何者だ」

と何人もの声がして、
めざとい気配

時方は退いて、
邸の人々と心安くなっている男を、
差し向けた

するとその男まで尋問するのである

今までと様子はまるで違う
男は、

「京から母君の至急のお手紙です」

といい、
右近の名を呼んで、
やっと連絡を取ることができた

右近は自分は会わないで、
取り次ぎの召使いに、

「今宵はとても無理です
そのまま、お帰りください」

といわせた

宮はその返事を聞かれて、
おとなしくお帰りになるような、
方ではない

(なぜそう、
自分を遠ざける
今宵、会わずにおくものか
会って浮舟の本心を知りたい)

と決心なさる

時方に、

「まず侍従に会い、
手配してもらえるようにせよ、
といえ」

と命じられた

時方は機転の利く男なので、
うまく邸内へ入り、
侍従をたずねあてて、
宮のお言葉を伝えた

「警戒がきびしくなりました」

侍従は打ち明ける

「どういうわけか、
殿(薫)のおいいつけとのことで、
宿直の男たちが見まわっています
みな、うっとうしがっています
姫君は物思いに沈んでいられます
どうしても今宵は無理です
もし見つけられたら、
どんな騒ぎが持ち上がるか、
しれません
乳母もめざといものですから、
とても宮さまのご案内は、
今夜は無理と存じます」

夜は更けてゆく

宮はお馬に乗られたまま、
邸から離れた所で待っておられた

おしのびなので、
お供は少ないし、
もしここへ怪しい者でも、
飛び出してきて、
論外なことでもしかけたら大変だ、
とお供の人々は、
生きた心地もしない

そこへ時方が侍従を連れてきた

宮の御前に出て、
ご報告する

馬上では詳しいお話も出来ず、
宮は馬を下りられ、
山家の垣根の、
むさくるしいむぐらの陰に、
馬の鞍の下につける毛皮を敷いて、
宮はお坐りになる

宮は涙を拭われて、

「どうなんだ、侍従
ひと言でも、
話すことはできそうにないか
なぜこうも警戒が厳重になったんだ」

侍従はこのあいだの内情を、
詳しく申し上げて、

「宮さまがお心づもり、
していらっしゃる日のこと、
どうぞ漏れぬようにして、
お計らい下さいまし
こんな危険を冒して、
お渡り下さいました、
宮さまのお志を拝見しました上は、
私も身を捨ててご協力いたします」

といった

宮も人目を忍んでいられる身、
逢えぬことをいちずに、
お怨みになるわけにもいかなかった

夜は更けに更け、
怪しんで鳴く犬の声が絶えず、
宮はお心あわただしく、
お帰りになろうとして、

「それでは、
逢えないまま帰ることにする
私もあのひとに逢えるなら、
身を捨ててもいい、
早く帰って、
私がこういったと伝えてくれ」

侍従は泣きながら、
邸に戻った

右近は、
宮とお逢いできないことを、
申し上げたよし、
浮舟に告げているところだった

浮舟はそれを聞きつつ、
思い乱れて臥していた

右近の処置は正しかった、
と感謝しているものの、
そう思う心の下から、
むなしく宮を帰らせた、
悔いと恋しさで涙があふれる

そこへ侍従が戻ってきて、
宮にお目にかかったこと、
宮のお言葉などを話すので、
浮舟は涙が止まらない

(お目にかかりたかった
今生の思い出に
もう一度・・・
いいえ、でもやはり、
お逢いしないほうがよかった
もしお逢いしていたら、
わたくしの決心は、
崩れていたろう)

浮舟は二転三転する、
決心と恋心に苦しむ

翌朝も浮舟は、
床を離れることが出来なかった

一晩泣き明かして、
目が腫れあがっているのを、
人に見られたくなかったからだった




          


(次回へ)

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