むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

10、浮舟 ⑫ 

2024年07月08日 08時04分58秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・理性と本能の間で、
浮舟は悩み続けている

(やっぱり、
薫さまに疎まれるのは悲しい
過ちを犯した女と、
薫さまに嫌われたら、
どんなに辛いだろう)

薫の信頼を裏切る罪の重さが、
今になって浮舟にはわかった

思い乱れている折、
薫から手紙が来た

浮舟は読む気になれない

二人の男からの恋文を並べるのも、
色好みの浮気女のような気がして、
やはり宮のお手紙ばかり、
見入ってしまう

こまごまと書かれた長い手紙、
愛の言葉を並べた手紙に、
心は傾かずにはいられない

いつまでも、
宮の手紙に見入っている

右近と侍従は、

(やはりお心が移ったのね、
薫さまから宮さまへ)

と言い合った

右近一人で心配していたよりは、
侍従という共犯者ができたおかげで、
嘘をつくにも都合がよくなった

薫の手紙には、

「気にかかりながら、
ご無沙汰してしまいました
ときにはあなたからお手紙が、
あると申し分ないのですが、
あなたのことを、
私がおろそかに思いましょうか」

宮のお手紙は、
いかにも秘密の恋文めいたお手紙

それぞれに人柄をあらわして、
面白いのだけど・・・

「先に宮さまにお返事を
人目の立たぬうちに」

<里の名を
わが身に知れば山城の
宇治のわたりぞいとど住み憂き>

(ところは宇治
わたくしは運命もそのまま「憂し」
人生でこんな辛い思いをするなんて)

浮舟は思わず泣いてしまう

宮との仲が続くはずはない、
と思いつつ、
それでは宮のお手紙を、
手の届かぬところへ移して、
ふっつりと縁を切っていいか、
となると、
それもどんなに淋しいだろう

思い切れるかどうか、
浮舟に自信はない

薫のもとへも、
浮舟の返事はもたらされた

<つれづれと
身を知る雨のをやまねば
袖さえいとどみかさまさりて>

(川の水かさがまさるばかりか、
私の袖もいっそう濡れています
わが身の辛さを知らされる、
雨が降り止みませんので)

薫はその歌の裏にある、
浮舟の苦悩を知るすべもなく、
のんびりと返事を見た

(かわいそうに
ずいぶん途絶えてしまって
さぞ物思いをしたことだろう)

と不憫だった

実直な薫は、
浮舟のことを決して、
打ち捨てているわけではなく、
彼女を京に移す計画は、
着々と進めていた

ことがここまで進んだ以上、
正室の女二の宮に隠しておけない

薫は打ち明ける

「無礼な仕打ち、
とお思いになるかもしれぬと、
今まで申し上げずにいたのですが、
実は、
私のような者でも、
それなりに、長年、
かかわりを持ったひとがいます
片田舎に抛っておいたので、
たいそう嘆いているのが哀れで、
近くに呼びよせようと考えています
私は昔から、
この世に背を向けて、
世捨て人として過ごそう、
と思っていた
それがあなたと結婚することになって、
世捨て人を夢見ることも、
許されなくなった
今まで日陰者として、
人に存在を知らせなかったひとも、
捨てておくのは罪作り
どうかその点、
わかって頂きたいのです」

女二の宮は、
慎重な話ぶりに、
おっとりとお答えになる

「怒る?
なんてどうして・・・
あなたのおよろしいように」

「主上(父帝)にも、
悪しざまにお耳に入れる人が、
あるかもしれない
世間にはひどいことをいう人がいます」

薫としては、
考えられるかぎりのところへ、
着実に手を打っておいて、
ことを運ぼうと思う

浮舟を迎える邸は、
新築された

しかし世間には、

「あの邸は、
女を引き取るためだった」

と言いふらす人が、
いるかもしれないと思い、
内装工事などごく内々で、
進めさせていた

襖障子を張らせる仕事を、
薫は大蔵の大夫にいいつけた

この男は仲信といって、
薫の家司で気心の知れた者だったから、
内密のことも相談しやすかった

ところがこの仲信の娘を、
妻にしているのは、
かの大内記で、
彼は匂宮の腹心である

大内記は妻を通じて、
その情報を手に入れた

それゆえ、宮には、
薫の動静が筒抜けになってしまった






          


(次回へ)

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