
・実方の君を、
宮中住まいになってから、
しばしば見るようになったが、
そうなるとかえって、
実方の君の魅力は、
薄れていった
実際、
実方の君ぐらいの貴公子は、
掃くほどいるのだった
実方の君を、
宮中に置いてみると、
粒立たなくなってしまう
それにあちこちに、
恋人がいられるらしく、
忙しい人なのだった
ふと人が散って、
辺りに誰もいない時があった
私は寄って笑みをふくんで、
「もう、あたくしのことは、
お忘れになりましたか」
といってみた
実方の君は、
たじろいだように顔色を変え、
私をちらと見られたが、
そのお目の色には、
(お・・・この女、
変貌したな
あの時は地味でもっさりした人妻で、
言い寄ったときには、
ただのぼせて惑乱していたのに、
今では自分の方から声をかけて、
男をからかうほど、
人づれしてきたな)
という嗤いとも、
おかしみとも、
感嘆ともつかぬものが、
動いたように思えたのは、
私のひがみであろうか
実方の君は、
逃げるように立ってしまわれた
しかしさすがに歌人で、
間もなく使いがお歌を持ってきた
<忘れずや
また忘れずよ
瓦屋の
下たくけぶりした
むせびつつ>
私はその儀礼に対し、
同じように儀礼的な歌を交わしたが、
実方の君に関心はなくなっている
男社会の目で、
男たちを見る能力も、
ようやく私に育っていた
実方の君は、
そういう中に置いてみると、
少し線の細い気味があり、
単純であった
複雑で重厚で、
圧迫感のある、
または包容力に富む、
いかにも大物というような、
男も見ることができる
私はそれらの男たちの魅力を、
発見しつつあるところなので、
実方の君は、
やや物足りなく思われる
棟世のほうは、
あのあとも手紙や贈り物がくる
まだ染めていない、
白い絹が五ひき、
染料と共に、
「お好きなように染めてください」
と届けられた
白い絹糸も、
うず高く添えられてあった
「こんなもの、
頂くわけにいきません」
と私は当惑して、
使者に押し返した
棟世はすぐ、
自身でやってきた
「田舎の荘から、
きたものでございます
お心遣いには及びません
田舎の絹でございますから、
雅やかではありませんが、
丈夫でしてな
普段着のお召料に、
お使いください」
そして棟世は、
播磨の荘園のこと、
海山の景色のこと、
食べもの、気候のことなど、
愛想よく話し、
煩わしくならぬうちに、
さっと帰ってしまう
いつの間にか私は、
彼からの贈り物に慣れて、
違和感をおぼえなくなっている
棟世が私に接近してくるのは、
処世的な配慮からかもしれない
権門の邸の女房に、
手づるを得ようと、
男たちは夢中なのだから、
今をときめく定子中宮に、
お仕えする私に、
よしみを通じようとするのは、
ぬけめない男なら、
当然かもしれない
しかし棟世は、
そういう気配を、
これっぽちも見せなかった
私はもし彼が、
何か下心あるか、
取引とでもというかたちで、
接近してきたのなら、
すぐ感知できる人間だと、
考えている
そんなにカンの悪い、
人間ではないはずである
しかし棟世は、
私と話すのを、
純粋に楽しんでいるらしく、
見えた
彼の妻は病弱で、
もう何年も寝たり起きたりの、
状態であるらしい
任地へも妻を伴ったことはなく、
もう一人の妻は、
女の子を生んで、
亡くなったそうである
棟世は家庭的に、
恵まれていないようであるが、
それをひとごとのように、
客観的に告げるのが、
私の気に入った
何度会っても、
狎れたりしないで、
節度のある男であった
私はいつしか棟世のことを、
心うちとけてしゃべれる、
友人のように考えている
宮中であったことを話すのに、
棟世はうってつけの男であった
適度の教養と感受性があって、
私の話を興がってくれた
しかしそれは、
男と女のときめきや、
恋と言うにはほど遠い
そういうことがあるので、
隣の部屋の、
男と女のひそひそ話に、
心ひかれるのだった
あまたの男がいて女がいて、
そしてその中から、
心ひかれる人にめぐりあう、
あるいはなぜか、
一人の人のみ胸が痛くなる、
男女の世の中の面白さ、
あれこれ思うと、
生きていることは、
嬉しくも楽しいことである
私は今までの、
長い家庭生活を、
悔むものではないが、
宮仕えして広い社会を知ったことを、
喜ばずにはいられない
宮仕えを、
はしたないことのようにいう、
男たちが多いけれど、
女も広い世間へ出、
朋輩や先輩、後輩の間で、
もまれてこそ、
男への思いやりも生まれ、
子供を教育するときにも、
理念というものができる
宮仕えするとなると、
主上はじめ、
上達部・殿上人から、
下々の男に至るまで、
顔を合わさねばならぬ
深窓の姫君や、
北の方のように、
邸深くこもって、
奥ゆかしく尊ばれることは、
ないけれど、
しかし宮仕えした経験を持つ、
北の方は物なれていて、
見よいものである



(次回へ)