むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

10、浮舟 ⑭

2024年07月10日 09時28分48秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・浮舟の、
ここまで思いつめた苦しみを、
母君も乳母も知るよしもなく

「どうしてそんない、
やつれているんだろう
ご祈祷やお祓いをしておくれ」

母君は乳母にあれこれ指図し、

「女房が少ないようね
いいひとを捜さなければ
新参の人は、
こちらに残しておきなさい
あちらさまは、
ご身分の高いご正室なんだから、
そういう人とのお付き合いは、
周囲の女房たちが、
張り合ったりすると、
面倒なことになるのだから
京へは物馴れた、
気心のよく知れた女房を、
連れて行きなさい」

母君の注意はよく行き届いていた

「さあ、それじゃ、
私は帰ります
あちらもお産が近いから、
気がかりだし・・・」

という母君を、
浮舟は心細く見た

もう二度と会えないかもしれない

母君の顔を見るのも、
これが最後ではあるまいか

「お母さま、
しばらくの間だけでも、
おそばにいてはいけませんか
私も一緒にあちらへ、
連れて行ってほしいのです」

浮舟の切ない訴えを、
母君は虫の知らせか、
いじらしく思いながら、

「私もそう思うけれど、
あちらも今、大変なのです
お産の支度で大騒ぎしていてね
居場所もないくらい手狭だし、
私がまた来ます」

などと言って泣きながら、
母君は常陸邸へ帰っていった

薫からの手紙は今日も来た

気分がすぐれぬ、
といったので見舞いの手紙であった

宮からのお文も来た

宮のお文は、
浮舟を京へ引き取ろうという、
性急なものだった

浮舟は返事をしなかった

宮は不安に思われたのか、
追いかけてのお文だった

「何をお迷いか
もしや思わぬほうに、
なびかれるのではないか」

宮のお文は、
言葉かずが多かった

この前、
晩春の雨が降り止まなかったころ、
薫と宮の使者がここで、
鉢合わせをした

またもや、
その日も来合わせた

薫の使いで来た随身は、
相手の男を見て、

(お、またあの男だ)

と思った

(式部の少輔・・・
大内記の家で見る男だ
何の用があってここへ?)

随身は何気なく、
その男に話しかける

「どういう用があって、
ここへ来るのかね?」

「いやあ、
単なる私用だよ
個人的なことで、
ここの人に用があってね」

「どうもうさん臭いな
言えよ、おい、
どなたの恋文を届けた?」

相手の男は随身を、
ごまかせないと見たのか、

「本当はうちの主人(時方)のお手紙だ
ここの女房にさしあげられるものだ」

という

この男は時方の家来である

それにしては、
しどろもどろの言葉、
時方は匂宮の御乳母の子で、
宮の腹心である

(う~む、どうも怪しい)

随身は思うものの、
詮議立ても出来ず、別れた

随身は頭のはたらく男であった

供の童に言いつけて、

「あの男を気付かれぬよう、
尾行しろ
左衛門(時方)の家に、
入るかどうか見届けるんだ」

童が戻ってきて、

「匂宮のお邸に入って、
式部の少輔にお手紙を、
渡していました」

という

「ほう
大内記が受け取ったと?」

随身は意外な秘密をつかんだ

随身は薫の邸に参上する

薫は随身がもたらした返事を、
受け取った

薫は出かけるところで、
平服の直衣姿

六條院に后の宮(明石中宮)が、
里下りしていられるので、
そちらへ参上するとて、
供も大勢ではなく

随身は取り次ぎの者にいった

「妙なことがございまして」

薫はそれを小耳にはさんで、
歩きながら、

「何ごとだ?」

といった

随身はしかし、
取り次ぎの者の耳を憚って、
頭を下げてかしこまった

后の宮は、
ご病気のお具合が、
よろしくないとのことで、
御子の親王方もみな、
六條院へ見舞いにいらしていた

かの大内記は、
公務多端でおくれて参上した

そうして手紙を、
匂宮にさしあげる

それは、
宇治の浮舟の返事である

例の時方の下人が、
宇治からもたらし、
宮のお邸に戻って、
大内記に托したもの

折しも薫は、
后の宮の御前から下がって、
きたところであった

遠くから宮のご様子を見て、

(ずいぶんご執心の、
女人の手紙らしい)

と好奇心を抱いて立ち止まった

宮はお読みになるのに夢中で、
こちらにお気付きにならない

丁度、夕霧右大臣が、
外へ出てくるところだった

薫は、

「大臣が出られます」

と咳払いして、
宮に注意を促す

宮が手紙を懐中なさるのと、
大臣が顔を出したのと同時だった

宮は驚かれて、
身づくろいされる

大臣はひざまずき、
宮にご挨拶して、
気ぜわしそうに出ていった

大臣は匂宮を先に立ててお供し、
大勢の子息を従え、
同じ六條院の邸内の、
居館の御殿へいった

薫はおくれて退出した

辺りに人のいぬ間に、
随身を召し寄せた

出がけに何か言いたそうに、
していたのを不審に思って

「先ほど申していたのは何だ?」

随身は答える

「今朝、宇治のかのお邸で、
出雲の権守(時方)に仕える、
男を見たのでございます
その男は手紙を持ってまいりました
私がその男に、
誰の使いかと問いただしましたら、
そやつは辻褄の合わぬ返事をします
怪しく思われたので、
童に尾行させましたところ、
宮のお邸に参り、
式部の少輔にその手紙を、
渡したのでございます」

薫にもその話は意外であった






          


(次回へ)

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