Amazing Grace 北の大地での田舎暮らし

大自然の中での田舎暮らし
北の大地で生かされていることに心から感謝し、日々感じたことを綴っています

湖の麓より

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麓って 2

2012年07月17日 | 湖の麓のマイルーム


今、富良野はこんな感じだそうです(北海道新聞より)

麓が住んでいる道東は、大自然が残っています

よく言えば


住んでみて初めてわかったのですが

富良野みたいに気候が優しくないので

冬はマイナス30度から夏は、ほんの数日ですが、プラス30度

美しい地域なのですが

育つ花や植物に限界があり

上の写真のような色の彩はないです

麓が見えるのは様々な緑色空の青さ土の茶色です


未来へ Kiroro



麓はプロフィールに神奈川生まれと書いていますが

高校卒業まで、ずっと神奈川で育ちました

両親と弟が北海道に移住するという決断をした時

母は麓に「あなたはどうする?」と訪ねました

麓はピアノ専攻ですが

高校生の頃から母の仕事(英語塾)を手伝っていました

ピアノはライフワークだと思っていましたし

ピアノで食べていくことはかなり難しく

まだパリの大学のコンサートピアニストの課程を残しているのです

(海外では、いつでも大学に戻れるのです)


本当はそのまま、その課程を続けるつもりだったのですが

横浜の母校(インターナショナルスクール)で教員が足りないという手紙が届いていたこと

コンサートピアニストの課程は、かなり厳しく

はたしてその課程(大学卒後の課程)に足を踏み入れていいのかどうか迷い

両親も、特に母が、「帰ってきて」と


教授とも話したのですが、世の中には、箸より重いものを持たないピアニストがいると

でも、その人たちは、本当に金のスプーンと才能と運を与えられた人たちで

ピアノを続けることは当然だけれど

それを麓は本当に希望するのか?と

考えてみたら、麓はパリの大学の入学試験を受ける時に来仏したまま帰国しておらず

とりあえず、夏休みは3ヵ月あるから、いったん帰国して考えようと

それで日本に帰ってきました


話しを戻して、結局、麓は帰国し

母校のインターナショナルスクールで教えることになりました

そして、母の塾も手伝い

なので、母が「あなたはどうする?」と聞いた時には

すでに生徒がいて

麓はピアノも続けていたので「私はこちらにいたい」と



麓は、ある日突然倒れて緊急入院するまで

いえ、緊急入院しても北海道の両親には黙って、秘密にしていて

3ヵ月はばれなかったのですが

入院しながら、別の人に生徒を教えてもらい(=お給料をだす)

家賃を払い、入院費を払うということがそろそろ不可能になるという頃

医者から両親に電話が行き、母は神奈川の麓が入院している病院へすっ飛んできました

母は麓の病室に来る前に医者と話し

最低でも2~3年はかかる入院になると言われ

即刻、北海道の病院への転院の手続きを済ませ、麓を連れ飛行機へ


引っ越しはおまかせパックで

北海道の空港に着いても、両親の家に行くことは許されず

空港からそのまま両親の住んでいる町の病院へ

長い闘病生活のはじまりでした


麓にとって北海道は、来たくて来た北海道ではなかったのです

人生には3つの坂があると

登り坂

下り阪

そして「ま・さ・か」


でも、麓は今、声を大にして言いいたいです

「北海道へ来ることが出来てよかった、感謝です」と

もちろん、その後も別の病気にかかり

合計6回入院・オペと、つらい日々もあり

どん底を体験しましたが

「ありがとう」


苦しみを通して、いえ、通されなければわからなかったことを体験できてありがとう


こんなことを書いていながらも、もしかしたら、また弱音をはいてしまうかもしれませんが

その時は、是非「麓ちゃん、あの記事を忘れたの?」と言ってくださいませ

よろしくお願いします


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麓は、夢を、はい、以前書いたと思いますが

20年近く抱いてきた夢を叶えるべく、今頑張っています

果たしてその夢を実現させられる力があるのか、体力は

かなり悩みましたが

マイナスにいるより、少なくとも0に

そしてプラスを目指していこうと

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