Amazing Grace 北の大地での田舎暮らし

大自然の中での田舎暮らし
北の大地で生かされていることに心から感謝し、日々感じたことを綴っています

湖の麓より

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Claude Monet - Giverny

2012年07月13日 | 湖の麓のマイルーム
7月14日はパリ祭です

なので、9日から今まで明かしていなかった麓の正体を(;一_一)書いています

9日「モネ 水連」でオランジュリー美術館のモネの睡蓮を紹介しつつ、毎週そこへ通っていたという麓初公開の大学時代のことを書き

10日「モネ & ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ」では、麓が高校を卒業して成田からパリへというくだりを書きました

11日「Giverny Le Jardin de Monet」で麓の大学生活の様子を、そう麓がパリの音大卒だということをあかしました

12日「クロード・モネ」では、麓の小学生時代というかどのようにピアノを習いはじめたか

今日はその続きですって大学からさかのぼる~

ごめんなさい、時代をさかのぼる麓ですwww

というか9日に投稿してしまったから、おそらくみなさんの頭の中で???(゜-゜)かなと思い遡って書くはめになったわけです




昨日の続きです

小学校4年にあがる前に、ピアノの先生に「水泳以外はスポーツはだめよ、ピアノが弾けなくなるからね」と言われ

麓は学校から帰る途中に(そう家に戻ったら練習と宿題で疲れ果ててしまうので

授業が終わると親友と猛ダッシュで相模川へむかい

川岸の草むらの中にランドセルを放り投げ

同じ川岸のちょっとした穴に隠してあった水着に着替えしばしの水泳タイム

楽しかったな~

でもあまり長い時間泳いでいるとバレルので少しの間

なのでさりげなく帰宅し(途中濡れた髪の毛をかわかしながら)

宿題をして

ピアノに向かう頃まではいいのですが

30分もすると、猛烈な睡魔におそわれ

よくピアノにおでこを「ごん」とぶつけて目が覚めました

それでも、2時間半は弾いていました

麓の目が悪くなったのはその頃かな...室内でライトをつけ、白と黒の鍵盤に、同じく白と黒の楽譜

あっでも、夜電気を消されたあとに懐中電灯で本を読んでいたのもあるかもしれないです

そう、睡魔はある段階を超えると平気になるのです


中学にあがる時に、親と何度も話し合いしました

家のそばの中学校に通ったら、部活動があり、必ず部活動に参加しなくてはならないこと=ピアノの練習時間がなくなるということ

日曜日も部活動があるということ

そして、運動部はもちろん無理なので、文化系の部活動といったらほとんどなく

部活動の他にも委員会とかがあって、時間が授業以外にかなり拘束されるということ


まず母親に聞かれたのは「本当にピアノを続けたいの?」

麓「はい」



母は米軍基地の中のアメリカンスクールで日本文化を教える教師をしていました

なので、麓の家にはいつもアメリカ人がたくさんいて

麓は特別に英語を習ったわけではないのですが

なんとな~く英語が話せるようになっていました

しかし

BUT

これはあとで両親から聞いたのですが(父は米軍基地の中でカメラマン/グラフィックデザイナーをしていました)

両親にすると

おおらかなアメリカ人が小さい麓に話しかけてくれると

麓はとんでもない、そう両親が赤面するような英語(単語だけの英語)で平気な顔して会話していたと

そんなこと知らない麓は、アメリカ人が「Great!」「You speak English.」と言ってくださるのをまともにうけて

自信がつき(...こわいものですね...)

文法もなんにもわからないのに、どんどん英語の世界に足をふみいれていったのです

どう足を踏み入れたかというと、勉強する時とか休みの日に「Far East Network」という米軍基地周辺で流れているラジオを聴き

とにかく聴きまくったことです

英語だけのラジオ、当時はジョンデンバー、カーペンターズが流行っていて

麓はほとんどテレビを見る時間がなかったので、日本のアイドルにハマる前に洋楽にハマってしまいました

カーペンターズの英語はわかりやすく、すぐ覚え

耳から英語を覚えていったのです


もとに戻って

母は横浜にヨーロッパに本拠があるカトリック系のインターナショナルスクール(女子校)があると調べてくれ

麓は母と横浜、山手に行きました

生まれて初めて見るシスターにうっとりし

なんとなく会話しているうちに「いいでしょう、入学を許可します」ということになりました

シスターは「ただし、全ての授業は英語で行われているので、とりあえず、7年生に入学しないで4年生から始めましょう」

「大丈夫です、英語さえ出来るようになったら“スキップ”(飛び級)という制度がありますから、すぐもどれますよ」と

そして麓は4年生を1年間やりました

一生懸命勉強しました(母は忙しいので、教えてくれなかったので、もう独学も独学)

でも内容は日本の小学校でやっていたので、すぐわかるようになり、またピアノで耳を鍛えているためか難しい英語もすっと入ってきて

5年生を1カ月やって、飛び級の試験を受け合格し7年生になりました

さらに7年生を1カ月やって9年生に

なので、結果的には、日本人のお友だちより早く卒業できたわけです


その頃の麓の生活は朝は5時に起きて自分でお弁当を作って

自転車で駅まで行き

横浜の学校まで電車内で寝て(相鉄線)

山手の坂を駆け上り8時にぎりぎりセーフ

学校の授業が終わると東横線で渋谷にでて、道玄坂を駆け上り、YAMAHAで楽譜を買い

目黒のピアノの先生のところでピアノのレッスンを受け

帰りは新宿から小田急線で帰宅という日々でした


また長くなったので

to be continued

あっ中学・高校の頃は相模川ではなく

日曜日の朝早くから真鶴や葉山、逗子などに泳ぎに行っていました


Claude Monet - Giverny - by Ann Perrin



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