汽水空間 ~言葉と次元の力学系へ~

身体で体感する言葉の世界をお届けします(*´∀`)♪

詩 宵の湖畔

2018年10月20日 | 奇想の詩



雨音の滴る 澱んだ風景
時雨さめざめと 吹き付ける 陰鬱な風雲
行燈の陰 灯る 黄昏の時間に
妖しく光る 草々 朧ろな 月影との共振

震えている 騒々しい雲間の月は
流し目の描く 弧状の仕草
鮮やかなる 湖面 波状の揺らめきに

頭を垂れる 穂
遡上する 刻の 流れに逆らいながら
湖畔の宵は 燦めく光と斜交い 翳り行く

意気消沈の 風景に 射す月明かり
零れ落ちる 雨音
湖水の反響 染み染みと
光点々 揺ら揺られ
撹拌と混合を繰り返しながら
やがて 時間の意味さえ 失って行く

雨音滴る 澱んだ風景
光点々と 湖面は波打ちながらも

拡がりし響音 さめざめと泣くように
夢幻と漆黒 綻び散る 象形
撹拌する光 反響する景色の中で
まるで 相対するように
射す 静かな月明かり

頭を垂れる 穂 深緑の季節
遡上する 刻の 流れに逆らいながら
湖畔の宵は 燦めく光と斜交い 翳り行く



燦めく きらめく
翳る かげる
斜交い はすかい
撹拌 かくはん
響音 きょうおん
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エッセイ 人間が関係を持てるのは奇跡

2018年10月20日 | 哲学




最近よく思う
人間が関係を持つのは奇跡なんだと。

無機物から有機物が生まれて、そしてそれは生命となった。
もしこの世のすべてが無機物であったなら
ただ物理が作用するだけの冷たい世界となっていただろう。

しかし、有機物が生命を生み出したとき
この世界は、たんなる物理ではなくなったのだ。

"一寸先は闇"という言葉がある。
しかし、その一寸先はおろか、それより短いスケールでさえも
人にとっては未知なるフィールドなのである。

今見ている世界が本当の世界であるという保証は
残念ながら、どのような最先端の物理学はおろか
何千年と受け継がれてきた哲学においても、
それを確証するものは、無い。

人は、どのようにして
自分の身体以外の存在を知るのだろう?
そして、その確証の無い存在をどのようにして愛するのだろう。

人がもし単なる物ならば、
永劫に続く物理作用の中の
単なる一瞬のハプニングに過ぎなかった。

しかし、人はその単なるハプニングに
運命を強く感じ、深く愛を感じたりできる。

何が、信じる力となるのだろう?
この世界の中で、一番確かなのは
"自分が存在している"という事だけである。
しかし、他人が本当にそこに存在しているかの保証は、無い。

そんな自分以外の確証の無い世界が
ただ茫漠と広がっている。

人がそんな他人を信じる事が出来るのは、奇跡である。
未知なる存在に、強く結び付こうとするのが人間である。
未来永劫の物理から生まれた余剰。
冷たい世界から、温もりが生まれた。

人は人を求める。
自分の身体を包んでくれる、自分以外の確かな存在を。
出逢いとは、"確かな"存在と作用した時に生まれる。
自分以外の存在に確かな温かさを感じると
人と人は共鳴する。

人はその人に確かさを感じると、安心する。
そして、そんな確かな存在を感じている自分も
確かに存在していると安心するのだ。

人は、確かだと信頼できる人を通して
自分も確かに存在していると感じる事ができる。

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詩 そばに居たいのは

2018年10月01日 | 愛の詩



ねぇ いつもそばに居たいのは

この胸の中 流れる 感情に波を打つ
静寂 あと少しの 言葉が 出なくて
もどかしい 身体の線に流れるように
震える その唇に 不意の口づけを

後追いのように 溢れる 涙
この眼に映る あなたの竦む心が
想い描く未来への情景に 消えて

もう 二度と 触れ合えない時が来るから

ねぇ その瞳から 零れ落ちる涙に
影が重なり 沈んで行く あの運命へと
どうして? あなたと いつまでも
触れ合っていたいだけ なのに

ねぇ あなたへの想い 逸らす瞳
思わず 口を塞いで 恥ずかしかったから

この胸の裡を 弾む 感情 ただ揺られて
静寂を引き裂き 流れ込む
あなたのその涙を この手に見せてみて
論う 邪な気持ちなんて無いから さぁ

逸らす眼に 過ぎる不安の徴を
どうか忘れないで
そう あなたはもう二度と出逢う事の無い
永遠に この旅路を行く から

ねぇ あなたへの 言葉 見つからず
思わず 唇を塞いで 確かめた

もう これ以上 繰り返したりはしない
この道を行く あの先で待ってるから

竦む すくむ
論う あげつらう
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エッセイ 豊かな世界へ

2018年10月01日 | 哲学



人は、いだって"生きてる"事を肯定する。
生きてるだけで素晴らしい! なんて事を言う。

でもよくよーく考えてみればね
人なんてものは死んでいる状態の方が
遥かに長いという事に気付かないだろうか?

この宇宙が誕生したのは、130億年前とかなんとか言われてるけど、
この130億年の沈黙を通して、やっとこの世に産声を上げた訳だ。
人は生きてる状態を豊かに語ろうとする。
が、人というのは、この"130億年の死んでいる" 状態だった時の方が
遥かに豊かな時間を過ごしていたのだ。

人は五感を通して、この世の仕組みを知ろうとする。
しかし、森羅万象の世界は、このたった"五感" によって
その総てを知り尽くす事は不可能なのだ。
この森羅万象の世界とは、五感以上の遥かな豊かさによって
絶えず交換と輪廻を繰り返しながら、
人間の知りうる以上の世界を生み出している。

たかが五感でしか計れないものの視点なんてのは
結局は、仮象の世界でしかない。
人はそれ以上の豊かな世界の彩りの中で、"生かされている"
自分の力で積み立てた功績なんてのは、単なる妄想である。
人というのは、五感の中で生きていると思っている内は、
この130億年に渡っての、かつて
"死んでいた" 時代の豊かな世界の彩りを知り得ないだろうから。。

かつて "死んでいた" 時代の方が、
より豊かな世界を感じていただろう。
リアルこそは、この世に生を受ける以前の方が優勢だった。

人は、"生きている" 状態を通して自分を肯定するが、
そのような肯定感は、刹那的なものの見方に過ぎない事に気づかされるだろう。
人は "死んでいた" 時代を通してこそ、自分を肯定できる。
やがて "死んでいる" 状態に還る時に想いを馳せながら、刹那的な時間を生きる。
これを想うと人は、この世でひたむきになれるような気がする。
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