臺灣と瀬田で數理生態學と妄想

翹首望東天, 神馳奈良邊. 三笠山頂上, 想又皎月圓(阿倍仲麻呂). 明日できることは今日しない

モルグリコとか。

2016-11-25 20:47:48 | 日常

最近、ツイッターで、さくらんぼとか掛け算の順番とか盛り上がってますが、ついには「モルグリコ」だって。

http://www.jikkyo.co.jp/download/detail/45/9992656509

 

ひとしきり怒ったり考え込んだりした後は、「落語・掛け算」を読んで平常心を取り戻そう。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881150910/episodes/1177354054881151009

 

初等・中等教育をバカにするのは簡単ですが、人のふり見てなんとやら、GUIアプリや既存のライブラリを無批判に使って高度な統計演算したり、ドラッグ&ドロップで箱を並べて力学モデル作ったり、「科学者」も大概ですからね。若者に強制しないだけましかもしれませんが。NGSとか、もはやドラえもんのひみつ道具みたいな。科学が、一人ひとりの能力では仕組みを把握しきれない魔法の箱みたいのに溢れていくいくのは、どうなんでしょうね。たとえば、マセマティカ、なんで計算機に因数分解ができるのか全くわからないんだけど使っちゃたもんね、学生の時。ユーザーと開発者の境目はどこなんでしょうね。自分が生業とすることで、仕組みの分からないものを使ってはいけない、とか言いだすと(レーサーじゃないから、オートマの仕組みが分からなくてもAT車の運転はセーフ)、ワードもエクセルも使えなくなっちゃうし、コンパイラってどうなってるんよ、プログラミングもできない。そもそもこのブログの記事すらアップできない。あ、ブログは別にブロガーじゃないからいいか。

でも、興味があることは仕組みを知りたいですよね。日本語から英語へのグーグル翻訳が天才的に進化しても、やっぱり、可算・不可算、可同定・不可同定とかで悩んで自分で冠詞を決めたいです。

近い将来、生身の脳で考えるというのはただの贅沢な趣味になるんだろうか。


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