「タワラ」とはたぶん「俵」のことだろう。大きさは大粒のピーナツぐらい。ふっくらと丸い小さな液果。真っ赤な実の表面全体を、まるで砂糖をふりかけたように白くて細かい斑点が蔽っている。熟した実は、ちょっと指で押しただけで薄い皮が破れて、中のジュースが噴き出す。遠目にはいかにもうまそうだが、丸ごと口に入れると、皮が渋くて渋くて、思わず吐き出してしまいたくなるほど。しかし中には甘い汁が詰まっている。皮が舌に触れないように、口の前でつぶし、ジュースだけを噴射させるんだけど、これがなかなか難しくて、狙いがはずれて赤い汁が口の周りに飛び散ったり、指が真っ赤に染まったり、その指を思わず服やズボンでこすってしまうと、洗ってもなかなか取れなかったり...。
昭和20年代。長野の町と言っても、繁華街から100メートルも外れれば、もう田舎。どの家にも小さいながら庭があり、どの庭にも果樹が一本や二本植えられていた。実が食べられない木、観賞用の木、なんてゼータクは許されなかった。庭が狭いから、栗や胡桃や銀杏などの大きい木は植えられず、せいぜいが柿・桃・杏・ザクロ・ハタンキョウ・枇杷・イチジク・サクランボ。たいていはずっと小さい庭梅・スグリ・桑・イチジク。家により好みが違っていたから、植わっている木も違う。おやつがわりに、家々の垣根越しに乗り出したり、塀の下から潜り込んで、食べ歩いたものさ。遠征しなくても、半径50メートル以内でじゅうぶん調達できた。おかげで生き延びられた。
30年代に入ると、まず空き地が消えた。『ドラえもん』でお馴染みの土管(コンクリート製)が消えた。次に庭が消え、アパートや駐車場に変わった。町じゅうがごみごみ、せせこましくなった。まず大きな木が消え、次に小さな木も消えた。木の実が消えた。木のまわりに群がって、がやがやしゃべりながら食べる子どもの姿が消えた。長野の町(と言っても西半分しか知らないが)には、今やポツンポツンとしか残っていない。しかもいまだに年々消えつつある。
大災害・大飢饉が迫っている。いつか来る。やがて来る。じきに来る。もうすぐ来る。明日来る。今日来る。今すぐ来る。(このあたり筒井康隆調)。家々の庭が菜園になり、駐車場はモロコシ畑、河川の土手はカボチャ畑、校庭はサツマイモ畑、公園はジャガイモ畑、ゴルフ場は麦畑。樹木はすべて果樹に植え替え。里山は栗と胡桃に植え替え。それでも食べ物を求めてうろつき廻る人々。
戦後の「食糧難」時代の再現?いやいや、あれより酷いことになるだろう。郊外がなくなってしまった、田舎がなくなってしまった。平地はほとんど宅地になってしまったし、山地は山林原野に戻ってしまっている。昔はお米屋さんで米や麦が買えなくても、1時間も「買出し」で歩けば、田があり、畑があって、お百姓さんさんから恵んでもらえた。今やその「お百姓さん」がいない。だ・か・ら、たかが庭先のグミ、なんて馬鹿にしちゃいけない。その一粒一粒が宝石より貴重に見える日が来る。きっと来る、もうすぐ来る...。