さて、いよいよ、御嶽神社の結界へと入っていきます。ここは大鳥居。普通はケーブルカーで一気に御嶽山の頂上あたりに行くのですが、修行の為歩きます。
(修行するぞ~、修行するぞ~、修行するぞ~・・・じゃなかった・・・笑)
楽しめなけりゃあ修行じゃないぞ。
10月末に、御嶽山(みたけやま)へ泊まりで滝行に行ってきた。滝行というと、結構山の中という印象もあるが、それが東京都内でできるというのは、何とも感動ものだ。
中央線立川から青梅線の御嶽駅で降り、そこからケーブルカーに乗り御嶽山を目指すのが通常のコースらしいが、今回は、滝行の会・会長(そんなものありませんよ・・・^^;)ニコニコ姫の先導のもと、ひとつ手前の沢井駅で降車。ここから、ひと駅分、川沿いを歩くのが<通>なのだそう・・・^^。
台風一過の晴れやかな冬の青空の下、総勢4人でいざ出発。
不思議にもこの場所に数ヶ月前から来たくて仕方がなかった。訪れてみて、言葉にはならないのだが、その理由が分かったような気がした。多くの観音像と守護像が語りかけてきたと言ったら大げさかもしれないが、そんな感覚があった。
何だろう・・・ここに来たい気持ちになるのは、何度も(と威張れる回数ではないが^^;;)訪れているというひとつの証なのだろうか。この千体の観音像を目の前にすると、無限の世界へと自分が誘われ、その瞬間仏とひとつになれたように感じられる。
そういえば、ここに宿る仏の力の話を聞いたことがある。京都に住むある年頃の女性で、一番好きな場所がこの三十三間堂だと話してくれた。行くたびに本尊と向き合い対話をして、実際に願いをかなえてもらったこともあると言う。とにかくあの場所は力があるし、凄いんだよ~と言っていた表情が、とても真剣でもあり美しかった^^ 地元民が言うと説得力がある。それだけお寺が人と深く繋がっているわけでもあり、祈りやその土地の深さを感じる瞬間でもある。
まあ、先の戦争というと、第二次世界大戦ではなく、「応仁の乱」のことを指す京都人ですからね。我々関東人にはなかなか分からない、また入り込めないアイデンティティを持っておいでどす。それがまた部外者にはたまりません・・・
しばし本堂に座りながら、くつろいでいたら、読経が始まった。
その声を聞きながら、境内を眺める。西よりもここ東本願寺の方が、エネルギーが落ち着いていて深いように感じる。この場所は、ちょっと時間がある時に京都駅から歩いて来れるのがいい。近所にこんな場所があったらいいね。たまに散歩に来て、ぼんやりすごすのに最適かもしれない。近所の鎌倉は良いところもあるのだけど、やはり行くぞって構えてしまうしね。
考えてみれば、昔はどの場所にも近くに寺があって、なんとなく行ってぼんやりと過ごせた場所だったのではないのだろうか?
何となく、昔の家の廊下が思い出される。かつて住んでいた僕の生家にも廊下があった。大正時代の家で今にも倒れそうなぼろぼろの安普請だったが、そこの廊下は今思い返すと、妙にくつろげる空間だったな。何よりも日向ぼっこには最適な場所で、気持ちよかった。そんな空間今はぜいたくになってしまったけど・・・。
以前フランスに行った時、友人に連れて行かれた建築家の家で、日本の廊下に関する本を見せてもらったが、こんな空間はヨーロッパにはないとさかんに言っていた。廊下は、ちょうど人と自然との緩衝地帯でもある。そういうどちらともつかない空間が今はなかなか見つからないのではないだろうか。ふと、脳を休めて(この世から隔離されて)我に返る場所がなかなかないような気がする。
本堂とご対面~。
本堂隣りの親鸞聖人を祭った御影堂(ごえいどう)が修復中で囲いがしてあるというのもあるかと思うが、境内は西本願寺に比べて若干狭く感じる。それにしても鳩が多かった。鳩の一群が境内を通り抜けて行く。とにかく糞には要注意だ^^;;
で、この境内に足を踏み入れてふと思い起こされたのが、学生時代の記憶。通りに車を止めて、友人たちとふと立ち寄った寺・・・けだるい夏の午後のひと時、あまりの気持ちよさで本堂入り口のスロープにねっ転がっていたら、「ここは寝るところではございません」とアナウンスされたのだった。一度は立ち上がるものの、またねっ転がると、またアナウンス・・・しかしそのけだるさには勝てず、またねっころがっていたら、「こら~!起きんかい!喝!!」と怒鳴られた。
あの時の場所はこの寺なのではないかと・・・しかし分からない。なんとなく記憶の片隅に残っているのは東・・・という文字。
もっと小さい寺だったような気もするが・・・。記憶はしかし創られては変わっていく。
森羅万象、すべて幻想というわけでございます。