写真:原子力発電所 高速増殖炉 もんじゅ
さて、ここまで書いて、これから何を書いてよいか、自分の中で収拾がつかないでいる。というのも、言いたいことがいろいろと出てきてしまうからだ。ただ、一点だけにフォーカスしてこの場に書きたいと思う。それはやはり環境問題についてである。
環境問題に取り組み始めると、必ずぶち当たるのは、この世の中の利益構造だろうと思う。(その利益とは、単なるお金の利益だけでなく、もう少し広範な利己的な満足という意味もこめている・・・もちろん究極には戦争もそうだ。)自分自身も多少はその種の壁に突き当たった経験もあるし、自分が係わった人たちの中でも幾つか話は聞いたことがある。
・・・この話は1997年の頃だと思ったが、当時係わりを持っていた海洋レジャー企画の関係で、イルカの事でも有名な海洋工事の会社社長のS氏とその社員と一緒に関連業界の海外視察へ行ったことがあったのだが、その時のことである。それはアメリカ・テキサスで開かれた石油関連企業の業界ショーだったが、その内容は驚くべきものばかりだった。石油掘削に関すること、海洋牧場など海洋開発に係わること、深海艇や様々な海洋開発の為の技術・・・その中に何と、放射能汚染事故(原子力による)による対処方法や、石油タンカーの座礁などに伴う海洋汚染の対処法を研究している機関まであったのである。
何故このことを書くのかと言えば、実はその視察の暫く後に、新潟沖の日本海でロシアの老朽化した石油タンカーが座礁して、原油が海に漏れ始めるという事故が起きたのだった(覚えている人も多いだろう)。 その海洋工事の社長のS氏は、新潟に行き市長に掛け合い、3日で石油を処理できるノウハウがあると提言をしたが、答えはノーだった(その会社はかなりの実績を持っている会社である)。方法としては海中から船体に穴を開け、石油を抜き取ってしまうのである。そうすれば、もう海に石油は流れないし、船体の処理も簡単に出来るのだ。しかし市長や関係者の答えはかたくなにノーだったそうだ。理由は、推測するに、その工事?を落札するのは地元の業者でなければならなかったかららしいのである。結局、実施されたことと言えば一月以上かけて海岸からタンカーまで道路が作られ船の上から原油を抜くという驚くべき方法がとられたのだった。その費用はどのくらいだっただろうか?またその為に原油は海にまみれ、多くの生物が死に、のべ数万人のボランティアが海の原油の処理に当たった・・・・。
原子力発電にしても同じような構造になっているのではないかと思えてくる。・・・
その昔、僕自身、ある関係で半永久機関と言われる高速増殖炉(核弾頭の使用出来るプルトニウムが発生する)に研修を兼ねて見学に行ったことがある。原子炉の炉心室に入る扉は二重になっていて、そのひとつの扉の厚さはほぼ1メートルほどあったように記憶している。原子炉の中に入り、炉心の真上に立つと(もちろんその時は発電はしていない)ある種全く異質な世界に入り込むような不思議な感覚がした。(水素エンジンなんてのも体験すると同じような感覚になるのかもしれない)本当に科学の粋というのは、凄いものを作り出すのだということが実感は出来た・・・。
しかし、原子力に関してそもそも考えられないのは、放射能廃棄物の処理方法である。単にドラム缶に詰めてコンクリートで周囲を固めて海の中に捨てる?(貯蔵する)のである。その理由は、今の技術では処理できないので、将来的に処理できる技術が確立するまで待つ?(放棄する)という事なのだ。読売新聞を以前読んでいて、新聞のどこに良識があるのだろうか?と毎度の事ながら改めて疑ってしまったのだが、(日本は世界で唯一記者クラブと言うのがあってメディアに流れる情報は政府管轄で管理されていると指摘する人もいるがそれも頷ける・・・) 論調としてこのコンクリート詰めの処理法に対して何事も疑問も呈せず、この確立した素晴しい技術をどんどん推進して行こう的なベクトルで世の中を扇動しているのは、とても客観性のある報道とは思えなかった。それに滑車をかけるように、二酸化炭素による温暖化抑制という観点で今原子力発電自体、世界中でまた注目を浴び始めている。
それもまた矛盾だと思うし、こと電気の事に関しても、一方では節電すればこれだけ二酸化炭素が減少しますと、やたらに節電を訴えながら、夜にはジャンジャン電気を使えと言うのも矛盾だと思う。とにかく夜の電気はお得ですよというわけだ。そこには様々な面で二元性・二面性がある。便利であるということと、その上に立つ犠牲ということだ。これは車社会の事を考えていれば良い。車は便利だが、同時に人が沢山死んでいるのに、その事によって決して人は車を放棄しようとはしない・・・。この便利という言葉はいろいろな文脈に置き換えられるだろう。例えば、利益であり、あるいは権力であり、あるいは何らかの都合・エゴであり、人の性・本能そのものであるのかもしれない・・・。
要するに・・・環境問題を考えていくと、一筋縄ではないことが分かる。だから、複雑な様相を呈してくる。例えば、二酸化炭素と地球温暖化の関連にしても、確かに100%そうなのかと言えばそうでもないらしい。しかし、南極の氷を調べてみると、数十万年前?からその氷に含まれる二酸化炭素含有の量と地球上の温度がリンクしている事は明らかであるという。アルゴアの「不都合な真実」もおかしい点があるという指摘があるようだが、しかし気候変動が起きていることは誰もが感じていることではないのだろうか?ただそれが二酸化炭素だけが理由かと言えば、必ずしもそうではない面もあるようである。例えば・・・我らの地球の属する銀河系内の電磁波の層の影響(フォトンベルト)もあるのではという話もある。これに関しては精神世界系の情報もいろいろと出回っているが、NASAも注目しているという話もあって、現にその影響下にある海王星などは、温度が異常に上昇しているのだとも言われている。つまり地球は2013年に本格的にその影響下に入って来るが、その余波を受けて温暖化になっているのだと言う見方もある・・・(2013年問題・・・ただしこの話は最近はサイエンティストのみならず、ニューエージトリッパーでも否定している人もいるようだ。)
しかし仮に二酸化炭素が温暖化の原因のすべてではないにしても、地球環境に取り組むことはすでに必要なことであることは間違いないことである。(未だに環境問題こそがすべて嘘と言っている人もいるが、僕はそうした人たちと一緒に心中したくはないし・・・笑)
とにかく、環境の事を考えるだけで、いろいろな社会のまた人間そのもの抱える矛盾が重なっている事に気づいていく。結局は、端的に言ってしまえば、近代の社会構造の限界が来ているということなのだろうと思う。もちろん昨今、そうした方向を是正しようと、木内氏に限らず様々なレベルで宇宙や自然との繋がりを回復する為の動きもある事は事実である・・・。