Mind Leaf

~ マインド リーフ ~

    

奈良 東大寺 その6

2008-03-18 02:14:32 | 旅行(たび)

 

阿吽の呼吸、宇宙の始まりと終わりの門をくぐり、いざ、異界の東大寺境内へ・・・。

ここでガイドのおっちゃんとお別れする事にする。

最初に参道脇にあった東大寺の境内図を見る。なるほど、東大寺は広い! なにはともあれ大仏殿で奈良の大仏様を参拝しなければ・・・と思い、参道を歩く。前から中学生の修学旅行の集団が歩いてくる。これから帰る所なのだろう。懐かしや。やはり修学旅行は楽しかった。^^


奈良 東大寺 その5

2008-03-18 01:50:36 | 旅行(たび)

 

南大門の運慶快慶の仁王像。この迫力!! ・・・たぶん、以前来た時には、西洋の彫刻や抽象彫刻は好きだったが、仏像類には興味がなかったので記憶に残っていないのだろう。そうでなかったら、こんな迫力ある像を覚えていないわけがない。やはり凄い!感動です。

ガイドのおっちゃんが説明を始める。

「え~、この仁王像は、寄木造りと言います。運慶快慶が鎌倉時代、わずか69日で作ったという記録が残されています。こちらの像は口を開いていて、あ と言っています。向こうは口を閉じていて、うん ですね。阿吽の呼吸の仁王像です。アイーンじゃありませんよ・・・・(微妙)」

ある本によると、最近の研究では、これら仁王像の分解修復の際に分かったのは、快慶の名と十数名の仏師の名は頭部の内部に書かれてあったが、運慶の名はなかったということである。とはいっても、それで運慶が係わっていなかったとも言えないようだ。寄木造りとは、いくつもの木を寄せて組み合わせた(寄木)を彫刻していく方法のことで、最初に原型となる小さな像をつくり、それをばらして、同じ比率で拡大した木片パーツを作り、それを寄せて大きな像を作るというもの。その原型を運慶と快慶が彫り、仏師たちが集まって69日間でこの仁王像を作ったということらしい。

要するに運慶と快慶はプロデューサーだったらしいのである。

 


奈良 東大寺 その4

2008-03-18 00:49:52 | 旅行(たび)

 

 仏門に入ろうかどうしようか悩んでいるシカ君。どうしようかなあと、一日に一回、この場所から東大寺の門を見るが、観光客のくれるシカ煎餅を食べると、ここでの生活もまんざら捨てたもんじゃないよなあとも思う・・・。僕はどうすれば良いのだろう・・・しかしそんな思いもシカ煎餅や好物の紙類と一緒に飲み込んでしまって、またどうするか明日考えようっと、思う毎日・・・・。シカ君、君の気持ちわかるよ・・・しかたないよね。

それにしても何だかこのシカは、自分に似ている・・・。いえいえ、僕は仏門などには入りませんが(笑)。昔は憧れたけど・・・。

ところで、ティッシュをシカにやると死んでしまうそうだ。そう団体さん率いるガイドさんがマイクで説明していた。「ティッシュにはプラスティックが入っています。だから消化できません。あげないで下さい。」なるほど、知らなかった。それにしてもそのガイドのおっちゃん、説明がうまい。(←よくいるタイプ。でも意外と好きかも)

「・・・東大寺は広いので、はぐれないで下さい。はぐれたら探しません。帰ってこなくても待ちません。この場所が東大寺の仁王像のある門と覚えておくと良いでしょう。はぐれたらここに3時までに戻って来て下さい。お客さんで帰ってこなかった人は今年になって数人いますが・・・みんなその後、行方不明です。健闘を祈ります(笑)。では行きましょう。」

少しの間、その団体さんにまぎれて行動することにする。案外楽しいかも。

 


奈良 東大寺 その3

2008-03-17 02:18:28 | 旅行(たび)

 

 それにしても、シカを見ていると面白い。野生のシカの鳴き声をかつて小田原の山奥の山荘で聞いたことがあるが、この奈良公園のシカは鳴くのだろうか?また野生のシカに出会ったこともあるが、その姿はとても凛とした輝きを放っていた。それに比べてこの奈良公園の彼ら、彼女達?の無表情さは何なのだろう・・・。ニヒルともいえないし、媚びてもいないし、何とも観光客と丁度良い距離を保っているではないか・・・・。撫でると寄ってくるが、表情を変えないところが多少不気味でもある(笑)。それとも顔面の表情筋が発達していないだけなのだろうか・・・。


動物にも感情(つまり表情)はある。野良猫と家猫では面構えがまるで違うしね。動物も間違いなく心を持っているし、トラウマも抱えるし、精神状態も顔に出てくる。その彼らシカ達の表情から察するに、内面に何ともいえないもどかしさを抱えているのかもしれない・・・。それは想像するに、野生に戻りようにも戻れない悲しみなのだろうか・・・。それとも、もともと野生など知らないから、何か内面に消化しきれないストレスのようなものを感じているのだろうか。ある種の諦観に通じるところもあるような・・・。でもシカとしてのプライドは持っていたいし・・・人間もそんなに嫌いじゃないし、可愛がってもらえるし・・・と思っているのかどうかは定かではない・・・。


ちなみにシカ煎餅は食べてもあまり味がありません・・・^^;;

 


奈良 東大寺 その2

2008-03-16 15:55:38 | 旅行(たび)

 

 さて、いざその場に降り立って最初に思ったのは、懐かしい風景だなあ、という事だった。と言っても、その風景が自分の記憶として蘇って来たり、重なったわけではない。松林の下に瓦屋根の雑多な土産物屋が並ぶというそうした光景そのものに、懐かしい日本の風景を感じたのだった・・・多少大袈裟だが、このままこの風景の中に、サムライや時代劇の中に出て来るような町人が歩いていてもおかしくはないのではないか、とも思ってしまった。日本人が本来持っている人間同士の距離感や空間認識のスケール感がこうした独特の情緒感を醸し出す町並みを作るのだとしても、こうした風景がこの先どの位残されていくのだろうか?観光地ということで、案外何らかの形で残り続けるような気もするが、こういう平屋の瓦屋根の並んだこじんまりとした風景は、どんなに時がたって、どんなに日本や日本人が変化をしていっても、なくならないのかもしれない・・・。

それにしても、何故そんなことを思ってしまうのと言えば・・・実はここ最近、攻殻機動隊(スタンドアローン・コンプレックス)というSFアニメのシリーズにはまっていたのだ。(今頃・・・笑)これは2030年以降の日本を舞台にした近未来アニメで、これがなかなか面白ろかった。そのアニメの中には、近未来的な風景の中に、逆にとても懐かしい日本的な風景が織り込まれていたのである。それらは例えば、古びた木造民家の密集した中に自動販売機の置かれている何気ない街の片隅の風景であったり、アスファルトの道路に少し古めかしい電信柱が立っている当たり前の景色・・・しかしすでに過去形で語られ始めてもおかしくないような場所だったりするのである。

ところでそのSFアニメの設定は、人間はすでに電脳化を実現し、相互の人間の脳がネットで並列的につながれ、身体もサイボーグ化が進み、AI(人工知能)が自意識を獲得しつつあるそんな世界観なのだが、そうした社会の中で繰り広げられる様々な社会的問題、犯罪を、草薙素子(←美人でカッコいい!!で、コスチュームがSMチックで、笑ってしまう^^;;)中心の公安9課が事件を暴いていくアクション・ストーリーに仕立てられている。テーマとしてはネット社会の中で、個と言うものの存在の不確かさ(揺らぎみたいなものか・・・)を見るものに問いかけていく感覚だ。ストーリー設定のディテイルは結構チャチな面もあるが、全体としてかっこよさがあり、面白さもある。とにかく映像がとてもきれいなのだ。リアリティーはともかく、このアニメの問いかけているものは、人間としての自我や自意識や意識そのものがこれからどう進化?(変化)して行くのか、ということなのだと思う。

最初は知る人ぞ知る押井守氏の監督で原作がアニメ映画化されたのだが、その映画の中では何らかの形で自意識を持ち始めたAI(人工知能)がネット上を移動し、最後は主人公の草薙素子とそのAIの意識が融合し、新たな自我を形成して行くというストーリになっていた(もっとも続編ではそういう展開は無視されている)。案外人間はこんな未来像も潜在意識の中で描いているのかもしれない・・・・(古典的SF映画の傑作、キューブリックの「2001年宇宙の旅」では、コンピューター・ハルが自らの意思を持ちはじめるわけだが、この辺りのAIの意識の進化や人の意識の融合と言ったものは、SFの根本テーマである。)結局、端的に言えば自我とは何かという問いかけなのだと僕自身には思えてくる。それはサイエンス(自然科学)の持っているひとつの側面、自然界の模倣と創造がどこまで自立性を持ちえるのかという命題とも関連して行くことでもある。

ところで、話を戻して行こう。そのメイキング映像の中で、この作品のコンセプトの説明があり、ひとつのキーワードとして「地続き感」というのを言っている。それはどういう事なのかと言うと、そのアニメの中の近未来的な風景の中に、逆にとても懐かしい日本的な風景が織り込まれているのは、実はとても意図的なものだったのだ。つまり近未来を描く中で、今の時代と接点を持つような現実的な風景を織り込んでいかないと、今と言う時代とのつながりが見えてこないということなのである。その説明を聞いてなるほどと思った。それによってリアリティーが生まれるというひとつの装置としての役割ももっているのだろうが、また別に、時代がどんなに進んでも、社会がどのように変化をしても、どれだけこの世界が変わっても、もしかしたら、日本人は日本人であろうとし、その日本人を感じられる風景を持っていたいと思うのかもしれない。しかし同時にその一方で、その殻を破ろうとする内在的な力も存在するのだろう。結局これは深い葛藤でもあるのではないのだろうか。我々は我々自身のルーツを辿ることで、自己確認をする・・・。もちろんそれは、自然な欲求である。また、我々の過去がどんな存在であったか、それを知りたいとも思うだろう。しかし同時に、それを越えた新たな世界を常に模索しているわけである。何かに向かって・・・・。

 そういう視点に立てば、(僕も同世代ではないので本で読んだ想像と感覚で言うと)かつて川端康成や三島由紀夫が自殺や自決をした根本の理由のひとつであろう日本人の美意識の滅びへの嘆きというものとも同質のものであろうし、江戸時代末期の攘夷か開国かという葛藤も、形を変え、我々の心の中に残っているのかもしれない(当時はチョンマゲを切ることは魂を失うこととイコールだったと言う)。そうしたものがレンジやフォームを変えて、我々の前に現象として現れているのであって、その根本にあるのは、我々が自我という殻からいかに抜け出して行くかということであるのかもしれない・・・(丁度コアである種子が芽を出して行くように)。 例えば僕自身は、日本的な風景や美意識は好きだが、それに固執するつもりもなく、ただそのルーツを知ることで、自分の持っている意識の層を剥がして行く事に快感を覚えているのかもしれない。結局、一番の興味は、そうやって自分の中に宿っている個人的、社会的、歴史的に培われてきた心という層をめくっていった先に、何が残るのかという事でしかないのかもしれない。

・・・時の流れの変移の中で、こうした歴史的な場所がどう変化していくのかというのはとても興味深いテーマのような気もしてくる・・・。ちょっと話が飛躍しすぎてしまったか?^^;;

でも風景はとても深いもの。東南アジアの風景を我々日本人が原風景とも感じるように、我々の生命体の中に組み込まれたリズムや様々な感覚が、風景を通して無意識の中で感応しているのである。

 


奈良 東大寺 その1

2008-03-16 00:37:14 | 旅行(たび)

 

 大阪のあるボディーワークの講習会に出た後、3月10日の午前中は仕事を済ませ、午後、難波から近鉄線で東大寺を訪れた。京都に寄ろうとも思ったが、最近少々飽きてきたので、奈良に足を伸ばしたのである。たまには目先を変えるのも良いかもしれないと思ったわけだ。それに歴史的な場所を旅していると、結局すべて相互に繋がってくるので、大和路も行かざるを得ない場所になって来る。そういう意味で言えば、当然鎌倉もまた必然の地ということになる。幸い鎌倉は自宅から車で道が空いていれば20分ほどの距離にあるので、ふっと気を紛らわしたい時に出向いたりもする。鎌倉と京都のつながりというのもいろいろあって興味深いのだが、鎌倉には枯山水の発祥の庭というのがあるくらいで、京都のような華やかさはそこにはない。まだ庭園文化も発達する前の、素朴で力強い当時の文化の残渣が息づいている感じである。面白いもので、古びた寺や朽ち果てる寸前の仏像がその雰囲気を助長している面もあるようにも思う。

ところで鎌倉時代と言えば、屈指の仏師、運慶・快慶の寄木造りを思い出す人もいるのではないだろうか。最近、その運慶の若い頃の作品が神奈川県内で見つかって、確か藤沢の美術館で昨年公開されいたのだが、その事にも触発されて、その偉大な仏師、運慶・快慶の大傑作である東大寺の仁王像をしっかりと見てみたいという欲求が自分の中に沸き起こっていた。今回奈良に出向いた目的の一つはそこにあった。実は、何度かその仁王像は見ているはずなのだが、いくら記憶の底を探っても、その映像が自分の中に浮かび上がってこないのだった。しかも東大寺がどんなところだったか、思い出そうとしても思い出せない・・・。訪れた記憶はある・・・。いつ?・・・中学校の修学旅行・・・(ふる~)(笑) まあ関東人だったら、大概は訪れる場所。でも、それ以外にも後年大人になってから訪れている。・・・正倉院は確実に行った記憶がある。決して新しい話ではないが、その時の感動や記憶は今でも心の中に残っている。しかしそれもすでにおぼろげな記憶の断片にすぎない。だからこそ余計その正倉院を見てみたかったし、また記憶の中で大きさもはっきりしない大仏の姿も拝んでみたかったのである。結局のところ、そうした行動の裏にあるものは、自分の中の「振り返り」であるのかもしれない・・・。

・・・という思いを持ちながら結局何を調べる暇もなく、時間があったら奈良に行こうと思っていたその前日の夜、定宿である新大阪駅近くのビジネスホテルにチェックインした。数年前に難波の吉本通りに占い&ヒーリングの店を出店をして以来・・・(今はその店とは関係ないが)・・・どういうわけか様々な縁から大阪には結構頻繁に訪れるようになった。来る度に強くなるのが、関西は(関東人からみたら)全く別の国だということだ。特に関西は、日本ではありません(笑)。だからこそ、大阪や関西をもっと知りたいと思うのである。それはそれとして、そのいつもの、単に安くて面倒がないというのが最大の魅力のホテルにチェックインしたら、何とロビーに奈良・大和路のルルブのガイドブックが読んでくださいとばかりに置いてあるではないか!・・・。これぞシンクロニシティーとばかりに部屋にその本を拝借して持ち込む。これで行きかたも東大寺の位置関係も、また境内の配置も大体わかった・・・。

さて、翌日の午後、近鉄線で難波から近鉄奈良駅に35分ほどで到着。案外と近い。それからバスで4駅くらいのところに東大寺はあった。奈良公園の隣であるが、公園の中だけでなくいたるところで鹿が歩き回っている。そういえば・・・鹿せんべいを鹿にあげた記憶もあるし、そのせんべいの感触も思い出した・・・でも、それに伴った光景が何も浮かび上がってこない・・・。この場所に来れば何かを思い出すだろうと思っていたが、出てくるのはわずかな記憶の断片だけ・・・すべてがおぼつかない・・・。