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クラクラ日記2 サイモンとガーファンクル コンサート 日本武道館

2009-07-16 02:49:13 | 個人セッションのご案内~メニューと価格表

 

 S&G サイモンとガーファンクル コンサート 日本武道館 いや~、行ってきました。往年のフォークロックグループ、伝説のデュオ、サイモンとガーファンクル(S&G)の17年ぶりの来日。といっても、実は、先週の東京ドームの初日にも行ったので、これで2回目です^^;;。もう二度と聞けないと思うと、やはり行けるなら無理してもと思って、15日の武道館追加公演の知らせが入った時、数日悩んでスケジュール調整して申し込みをしたのでした。しかしその悩んだ数日のロスの為か、席は残念ながらアリーナではなく、1階。でも、前から4番目だったので、ステージは割合に良く見えた。東京ドームの時も同じく1階で席は前から6~7番目くらいだったけど、ステージの2人は豆粒だった。ドームに比べると、日本武道館はかなり狭く感じてしまい、あの武道館もちょっとしたライブステージのようにこじんまりと思えてもしまうので、一体感もあったし、音もドームよりは良かった。

 それにしても・・・ポール・サイモンは年取ったなあ。ギターのリフを刻むとき、やはりちょっとお爺さんっぽい雰囲気がちらほら。といったら失礼か^^;;。でももう60数歳だと思う。(しかし、まだ60前半だと思うから、もう1回くらい来日する可能性もあるのかもしれないが・・・でもS&Gとしてはもうないのではないだろうか)

 結構落ち込んだり疲れたりしたとき、S&Gを聞くと元気になったりもして、どれだけ彼らの音楽に助けられたことか。サウンドの絶妙な美しさ、ビートの躍動感、そのメッセージ、歌詞の妙・・・。といっても、後追いでS&Gを知ったので、もともとはソロとしての彼らを途中から追いかけてきたのだった。しかしその体験はとても刺激的で、サイモンは本当にミュージシャンの中のミュージシャンだと思うし、サウンドのカッコよさや、ワールドミュージックとロックとの融合は、本当に素晴らしく、かつドキドキしたものだった。スカのビート(レゲエの先駆けと言われた)にはじまって、二年連続のグラミー賞に輝いたアフリカンビートを取り入れたアルバム「グレースランド」は、その年セールス1000万枚の大成功となったわけだけど、ほんとに夢中になって聞きました。

 アートガーファンクルのソロアルバム「Angel Clear」「Break Away」「シザースカット」は名盤だと思う。この間、10年ぶりくらいに「エンジェルクレアAngel Clear」を聞いたら、もう鳥肌が立つくらい素晴らしいボーカルアルバムだと思った。

 そしてその個性が織りなすS&Gマジック! ポールサイモンの何とも表現のしようのない東海岸の深みを感じさせる曲と音作り、それにちょっとシニカルな声と、アートガーファンクルのあまりにも透明で甘いボーイソプラノのデュオは奇跡だと思うし、もう二度とこんなハーモニーを聞かせてくれるグループは現われないのではないかと思う。ビートルズが誰にも真似できないように、それで、あまりにも多大な影響をその後のロックミュージックに与えたように、S&Gも誰にも真似ができず、その影響力ははかりしれない。ビートルズの「Let it be」もS&Gの「Bridge Over Troubled Water」(明日に架ける橋)がなければ生まれなかったのだという。なぜなら、S&Gの「Bridge Over Troubled Water」のような曲を書きたいと思ってビートルズが発表したのが「Let it be」だったからだ。

  ところで、笑ってもらって結構だけど、約1年前のある日の夜、2003年にアメリカで行われたS&Gのフェアウエルツアー(さよならツアー)のDVDを見ながら、もう二度と彼らの音楽を生で聞くことはできないのだと考えた時、思わず、涙が頬を伝って来た・・・。自分でもその涙に驚くと同時に、本当に、一度はこの目で彼らのコンサートを見てみたかったなあと思ったのだった。ポールのソロコンサートには行ったことはあったが、S&Gとしては行ったことがなかったのである。 しかし、願えばかなうものですね。その一筋の涙を見て神が願いをかなえてくれたのか?・・・あるいは、そう思った人たちが多かったのでしょう、ついに、今回17年ぶりのコンサートが実現したのでした。 それも、ひょんなことから、ある友人にコンサートがあることを教えられたのでした。

  さて、コンサートの内容ですね。それは、言葉ではどうにもなりません・・・^^;;。でも、最高のコンサートでした。正直に言えば、二人とも声の艶がなくなりましたね。ポールはそうでもなかったけど、アートの声はある音程になると、艶がなくなったのが分かります。またアートの顔がある意味とても「苦悩」に満ちているように見えた。決して楽な人生ではなかったのだろうなと思わせる年輪の刻まれた顔だちだった。考えてみれば恋人が自殺したりと、彼も、名声の陰で様々な体験をしてきたはずである・・・人間としての苦しみを味わって来たのは、ポールよりもむしろアートなのかもしれない。 あの甘いボーカルの底にある何とも言えない深みはそういうところから出てくるのだろう。

 考えてみれば、彼らの音楽のテーマは一貫していた。それは人々の孤独と疎外感だった。最初の大ヒット曲は、「Sounds of Silence」だ。地下鉄の落書きの中にこそ、真実の叫びがあり、その静寂の音を聞けという歌詞が、ロックのビートと共にこだまする。そして、人間の持つヒューマニティーと社会的な矛盾との闘い、その中で生きる人々の中に確かにある愛を彼らは歌い続けた。透明な美しさと共に、青春の夢の時間と、どことなくヒッピー的な香りを感じさせる「パセリ・セージ・ローズマリー&タイム」を経て、ダスティン・ホフマン主演でアカデミー賞となった映画「卒業」のテーマソング「ミセスロビンソン」では、若者の抱える疎外感と社会的な価値観への反逆を歌った。次の「ブックエンド」は、老人をテーマにしたコンセプトアルバムだった。そこでは、死を冷徹に見つめ、公園の中の老人にこそ真実があると歌ったのだ。そして、ベトナム戦争の後の混沌の時代背景の中、1970年にリリースされたのが、「Bridge over troubled water」(明日に架ける橋)だった・・・。

 すべてのものがそこに収束され積み上げられたかのような完成度がこのアルバムにはある。「Bridge over troubled water」はまさに人々の挫折や苦しみに手を差し伸べたアルバムだった。またそれらを受け入れ包み込む力が、彼らの音楽にはあったのだと思う。そして、さらに世界の抱える、また一人一人の抱えるその苦しみそのものにも、深い意味があるのだという事を、認めてしまう力強さと深さが、織り込まれた音の底から響き渡って来るようでもあった・・・。

 人は時代の空気を吸って生きている。そして優れたアーティストは、もともとの資質と共に、その時代の底に横たわる強い欲求を察知し、音楽に魂を吹き込むのである。 そして今、彼らの音楽は、同じ曲でありながら、時の流れとともに成熟し、またさらなるスケールを伴って、今の時代を生きる(会場の)人々に贈られていたようにも思えたのだった。元祖癒しの音楽は、ますますパワフルに、そして静かに、新しい世代の人の中へと伝わって行く・・・。

 <Bridge over troubled water>(明日に架ける橋) by Paul Simon

 When you are weary, feeling small.

  When tears are in yours eyes, I will dry them all.

   I 'm on your side, when times get rough

  And friends just can't be found.

  Like a bridge over troubled water

  I will lay me down.

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(略)

 Sail on silver girl,

  Sail on by.

  Your time has come to shine.

  All your dreams are on their way.

  See how they shine.

  If you need a friend

  I'm sailing right behind.

  Like a bridge over troubled water,

  I will ease your mind

  Like a bridge over troubled water

  I will ease your mind.

 この詩は飛行機の中で思いついたのだという。それにしても、この曲の響いていた時代は、ちょうどベトナム戦争の後であった。今はある意味その頃よりも、希望はありながら時代は行き詰っているのかもしれない。

You tube⇒ The only living boy in New York 

                  The 59th bridge street song

                  The Sounds of silence (凄い映像!)

         I am a rock

         A hazy shade of winter → Cover by Bangles

                  Emily Emily

                  Bridge over troubled water

 

→ (ところで、ポールサイモンのある話を思い出したので書き加えます。)

 知人で、ストーンを扱っている人がいて(石屋さんです)、その方から聞いた話です。90年代後半の頃の話ですが、その頃、その人は良くブラジルの片田舎に石を仕入れに行っていたのだそうです。その知人の友人が住んでいたアパートの隣に、アメリカ人がしばらく住んでいた・・・。最初はとても変わった奴だなあと思ったそうなのです。なぜかと言えば、毎日昼間から、壁にボールをぶつけて一人でキャッチボールをしている。・・・それで夜になると時々出かけて行く。やがて酒場やら小さなライブハウスで、その変った奴が、地元のサンバやその系列のミュージシャン達とギターを持って時々セッションをしているという噂を聞いた・・・とにかく狭い町なので、すぐに何でもひろまってしまう。その友人もやがてそのセッションを見て、う~ん、なかなかいい演奏をする奴だと思ったそう。それで翌日はまた、部屋の中でひとりでキャッチボール・・・。何なんだあの外国人は?と思っていたら・・・その変わった外人がポールサイモンだったのです。その隣人は後で知ったそうです。実は彼はボールを壁にぶつけキャッチボールをしながら作曲するのです^^) 正体明かさずに、お忍びで来ていたというわけですね。その後ですね、「リズムオブザセイント」が発売されたのは・・・。

 そう言えば、昔の話ですが、アートガーファンクルの日本のお忍び旅行というのが話題になりましたね。アートにそっくりなアメリカ人が、自転車に乗ってひとりで旅をしていると、ソニーミュージックの方に目撃情報も寄せられて、来日しているのかと問い合わせが結構あったらしいです。後日、それは事実だと判明した。そんな報道もありました。今回コンサートで、昔日本をひとりで旅をしたことを少し語っていました。やはり本当だったのですね。なんでも自転車で本州を縦断したという話もあります^^) マニアックな話ですんません^^;;

 

 


山中湖 その5 吉田胎内樹型

2008-01-18 16:21:47 | 個人セッションのご案内~メニューと価格表

 

 「吉田胎内樹型」という溶岩流で出来た祠(hokora)があるというので、そこに向かう事にした。有名な「中の茶屋」からさらに車で奥に入り、後は山道を20分ほど歩くとあるという。

 中の茶屋とは、「富士には月見草が良く似合う」という文章で有名な太宰治の「富嶽百景」に出てくる茶屋である。浅間神社から奥に入った麓からの富士登山道の手前にある。ペンションのオーナーから話を伺っていた際、その富士と月見草の話が出た。何故、富士に月見草なのか?月見草は夏の夜に白い花を咲かせ、翌朝には枯れて赤くなる花だそうだ。その一瞬の白い輝きの中に生命の躍動感と清浄感があり、それこそが富士に良く似合うということなのだろう。その話を聞いたとき、かつて自分自身、雪国に住んでいた時に経験した、冬の終わりに雪の下からぽっこりと顔を出すフキノトウの姿を思い出した。その生命の躍動に満ち溢れた透明感のある黄緑色の鮮烈さを一体どう表現したらよいのだろうか・・・。その感動とその感覚は、自然の中に暮らしていると分かってくる何かなのである。それを何と言えば良いのか、自分の中にひそんでいる自然の感覚そのものと出会えたような喜びに近いのかもしれない。  

 さて、その中の茶屋から奥に車で進めるところまで入り、後は写真のような山道を20分ほど標識を頼りに歩いて行った。