・・・あっという間に1月が終わった。1月はただただ濃いひと月間だった。
ところで、一冊の本をご紹介します。
「ヘミシンクによる未来生体験」上原忍著 文芸社
この本は、歯科医である私の知人、上原忍氏が、体外離脱を経験するまでのひとつの手記である。何よりも、歯学博士であるドクターが書いている所にその価値があると思う。淡々と自分の経験を表現している文体は、ある意味素朴だが、しかし、だからこそ深い説得力があると感じる。なぜなら、そこにはプロ的なある種の創られた手法やこなれた語り口はないからだと思う。僕にとっては身近な人の体験という事も手伝ってか、「静かな衝撃」を与えてくれた本だった。
思い返せば数年前に、僕の方から上原氏と群馬の気功師であるM氏を誘って、東京で行われた「モンロー研究所」の説明会に行ったのだった。 モンロー研究所とは、アメリカ人のジョン・モンローという人が、ヘミシンクという音響を利用して人を変性意識状態に導き、さらには体外離脱に導くというものである。原理としては、左右から違う音響を人に聞かせることで、欠けている周波数を脳が補おうとするので、変性意識状態に至るというものだ。僕自身、6~7年前より、かなり興味があったので、その説明会に足を運んだのだったが、いろいろと忙しくなって、モンロー研究所どころではなくなってしまったのだった。しかし上原氏はその道を極められ、ついには、モンロー方式の音響を利用しないでも、自発的な体外離脱を経験するに至ったようである。
誤解を恐れずに言えば、本の中に書かれている、モンロー方式での変性意識状態での数多くの過去や未来のビジョンに対しては、僕自身は肯定も否定も出来ないと感じた・・・。そうしたビジョンそのものをすべて丸のみしてしまうのは、僕自身抵抗があるからである。例えで言えば、退行催眠で過去生回帰をして出て来たビジョンがその人の過去生かと言えば、それは違うと僕は思っている。人によってはそれを過去生と言いきってしまう人もいるが、それはその人の幻想といくつかの真実が組み合わさったビジョンであって、必ずしも正確なものではないと思うからである。ただし、この場合は内容そのものの真偽はどうであれ、催眠療法の効果があれば良い訳であるが、しかし未来や過去を覗き込んでそれを受け止める場合、それを絶対の真実であると思ってしまう事はとても危険が伴うのではないか思う。これは、リーディング、チャネリングの場合も同じではないかと思う。
その危険性の理由は、二つある。ひとつは、インドのある聖者が言っていた言葉でもあるのだが、未来の事をこうだと言われたことで、その人そのものが自分の思いをそうだと固定してしまうと言う点にある。つまり、本来なら1年後の未来は、リーディングしたその瞬間のもので、たとえそのリーディングが正確であったとしても、それはまだ確定されたものではない筈なのだ。もちろん未来がリーディングしたその通りになる確定要素はあったとしても、まだ個人の思いによっては、また違う未来が表れてくる可能性、つまり不確定要素があるわけである。しかし人は未来がこうなると言われたその瞬間から(あるいは過去生がこうだと言われた瞬間から)、その人の思いはさらにその場へと流れて行き、柔軟性を失ってしまうものなのである。
もう一つは、当然ながらそのリーディングの正確さ、あるいは真偽そのものにある。どんなに凄いリーディングをする人でも、その人の持つフィルターを通しているのであって、絶対ではないということだ。その中に真実もあれば、ノイズもあるという事である・・・。とはいえ、実際にモンロー研究所で体験しなくては、そのビジョンについては何も語れないことも事実なわけで・・・。^^;;(やはり余裕ができたら、行きたい!)
さて、上原氏は、一部で言われている2012年~2013年の「アセンション」(次元上昇)についての検証をひとつのテーマとして、時代の未来を垣間見て行く。そして何らかの天災などの驚愕の未来を見て、やはりこのまま進んでいくと、我々の社会や世界、地球そのものに暗雲が立ち込めているのは確かなようだと確信し、その事にある意味ショックを受ける。しかし、上原氏はそれに対して悲観的になるのではなく、たとえ社会やひとりひとりの現実がいかに厳しくとも、それは必ず乗り越えられる課題であるのだ、というひとつのシンプルな結論に達する。われわれ個々人の生き方が大切で、良い想念を持って、良い波動を持って生きていけば、あの世では素晴らしい世界が待っているし、また地球そのものもアセンションへの道(次元上昇)へと入って行く事も出来るのだから、安心して精一杯この世界で生きて欲しいと、本の中で語っているのである。
このアセンションについては、僕自身は率直に言ってどう判断して良いのか分からない。以前はこの手の話に夢中になったのだが、最近は少し距離を置いて眺めている。もう少し具体的に述べれば、一万二、三千年ごとに訪れるという人類の進化を加速する銀河の素粒子の帯であるフォトンベルトがあり(要は銀河の渦巻の本体みたいなものか・・・そんなものはないという人もいる)、その帯に地球が突入すると、意識レベルの飛躍的なジャンプが起きるというものから、地球そのものがまったく違う次元に移行するものまで、さまざまに言われている。その経緯として地軸の逆転やら、天変地異が起こるとも・・・。それが始まるのが2012年とか2013年、あるいはすでに始まっているなど、いろいろな話が交錯している。確かにそうした話は恐ろしくもあり、しかし反面魅力的だとは思う。・・・ある意味、我々自身が過去において人類創世の物語である神話を紡ぎだして来たように、こうした話も、新たな銀河をも含んだ我々の誕生と新生の神話を聞かされているようにも思える。つまりそうした何らかのストーリーが必要な時代に来ているのかもしれないとは思う。しかし・・・と一方では思う。ともすると、それは本当の意味での死と再生の物語ではなく、いわゆるノストラダムスの大予言のような、世紀末の不安やヒステリックな現象に似ている側面もあるのではと思えてしまうのである。
ここで言いたいのは、例えとして挙げたノストラダムスの予言の真偽そのものではなく、そうした現象の裏には、我々の世界の根底にある不安や怖れと共鳴しているところもあるということだ。良くも悪くも何かの幻想にとり憑かれたように夢中になり、同時にその対極の不安を抱えてしまうのも人間なのだと思う。我々は、我々自身の地球や我々自身の存在についての本当の意味をなかなか知りえないのも真実だと思うし、だからこそ、我々の意識の底には、不安や恐れが存在しているのも事実なのだと思う。また、我々が未来に向かっていく為には、古い概念や世界観を壊し、新しい時代を開いて行く為の何らかの物語が(潜在的にも)求められているのも、欲求として当然なのだと思う。だからこそ、本当の意味での我々という存在の宇宙的意味や流れを語るもの、つまりは現代の神話が必要とされているのではないだろうか。新たな宇宙的規模の調和を求められる世紀になって、本当の意味での新たな物語を紡いでいく力を持つことの必要性は、神話研究者のジョゼフ・キャンベルではないけれど、ますます増しているように感じるのだ。それは資本主義社会のサクセスストーリーとは縁遠いものかもしれないが、同時に本当のスピリチュアリズムとは何かということを、我々個々人が自分自身に問いかけなくれはならないことなのではないかと思う。
しかし、人はなかなか、スピリチュアル(霊性)というものに確信を持てないものである。何故なら、死んでからでないとなかなか分からないからだ(死んでもわからないかもしれないしね・・・^^;;)。作者の上原氏もこの真のスピリチュアリティーとは何かと言う点について、「シルバー・バーチの霊言」を座右の銘として引用しながら、言及している。体外離脱を体験した事によって、確かに死後の世界があるのだという確信の得られた事は、スピリチュアルな道を歩んでいく上での道しるべになったとも語っているが、しかし、それもひとつの通過点にすぎなかったということも語っているのである。要するに体外離脱はスピリチュアリティー追及の結果として起こるひとつの出来事ではあるが、それがすべてではなく、単なる道の途上に過ぎないと語っているのである。
我々は、この目に見える世界、肉体的に触れる世界をすべてと思いがちであるが、それは幻の世界に過ぎない事は薄々感じたりはする。しかし、ではスピリチュアルな世界が真実であると感じる瞬間はあったとしても、それについて確信を得ることもなかなか難しく、結局はその間を右往左往しているにすぎないのではないかと思う。我々は、何かを超えたと思った瞬間に、実は新たな二元性の中に存在している自分に気が付くという、剝いても剥いてもなかなか芯に辿り着けない玉ねぎの中に住んでいるようなものなのだ。(一瞬触れることが出来た神性のかけらの輝きも、光を保つのは簡単ではないとも言えるのかもね)・・・逆に言えば、だからこそ、あなたの未来はこうなるとか、私は覚醒を達成した、解脱したという言葉に簡単にやられて(はまって?)しまうわけである。(場合によっては、それ以上胡散臭い言葉もないと思うのだが・・・)
今という時代の中で、新たな時代を説く人や多くの教えや組織や団体らしきもの・・・。中には高揚感や新しい道筋、癒しや光を与えてくれるものもあるのかもしれない。もちろん素晴らしいものもあるだろうし、その中に真実もあるのかもしれない・・・。しかしそれらは、やはり単なる海の表面に立つさざ波にすぎないのだと思う。我々は、その波に飲み込まれ溺れたようにアップアップし、右往左往してしまうのではなく、自分自身の確固たる道を歩めればどんない良いだろうかと思う・・・。しかし、それは言う程に簡単ではなく、なかなか難しい。(僕自身はと言えば、体外離脱もどきの体験はあるが、いまだにさ迷う子羊として生きている・・・ううう、誰か救いの手を~~笑)
そういう点でも、上原氏のこの本は僕自身に確信とは言えないまでも、多くの勇気を与えてくれたのだった。ヘミシンクにおける変性意識状態における数々のビジョンは冒頭に書いたようにそのまま鵜呑みには出来ないが(実は本人も本の中でその信憑性の有無を語っている)、しかし、私自身この先生の人格を知っているだけに、深い信頼を置けるわけで、その本人が疑いようがないという体外離脱は、やはり衝撃の事実でもあるわけなのである。本当の意味での「霊性」や「覚醒」は、やはり語られるものではなく、伝わってくるものだと思うが、そういう意味での説得力を僕自身はこの手記に感じのだった。(上原先生。本を送ってください、ありがとうございましたーー)。
ところで、14世紀の叙事詩である ダンテの「神曲」は、実際に体外離脱をして書かれたと言われている。その本もいつか読んでみたいと思っている。
*尚、モンロー研究所についてですが、体外離脱を確約するものではないようです。これは主催者の方もそう言っていますが、成功率は高いものではありません。だからこそ、上原先生の体験は稀有なのです。また、体外離脱を目的とするものでもないので、その点を理解した上で、十分に準備をして参加して欲しいと、上原氏も研究所の主催者も語っています。