Mind Leaf

~ マインド リーフ ~

    

ダライラマ法皇講演会 2007年11月20日

2007-11-25 16:27:35 | セミナー・ワークショップ
 横浜ミナトミライのパシフィコ横浜で行われたダライラマ法皇の講演会に行く。第40回全日本仏教徒会議神奈川大会の講演者として招かれたのである。チケットは発売当日午前中に完売となってしまったので、関係者の方に頼んでおいたのだが、幸運にも3日前にチケットが自分の手元に回ってきた。何でもネットでは、2万円の価格がついていたそうである。聴衆は5千人ということだった。

 席は前の方でダライラマ法皇を間近に感じることが出来た。講話の内容は、世界平和に関してであった。内容は、どのようにすれば平和を築くことが出来るか、その為に仏教に何が出来るかということが概要だったと思う。その為にひとりひとりが何を思い祈り願い行動していくかであるが、ダライラマ法皇が話すと、たとえ月並みな内容でもその言葉の重みが違い、エネルギーがある。そもそも会場に現れた瞬間から場の雰囲気を変えてしまうほどの存在感であった。ある知人は、法皇は仏陀のエネルギー(インドのブッタガヤのエネルギー)を持っていると話していたが、その質は、柔らかく同時に圧倒的な包容力と力強さに満ちていた。司会のアナウンサーの女性は気さくな人柄とも評していたが、そんな風でもある。緊張感を何も感じないとでも言えば良いのかもしれない。壇上の姿を見ていても、そんな感じである。気負いもなくどこにも余分な力が入っていないように見える。

 ところで、私には一瞬、ダライラマ法皇が自分の話していた内容が通訳されている時(これが一気に話すものだから、通訳の時間も長いのだ)一瞬あくびをしたように見えた。しかし、そのあくびをしそうになった一瞬、両手で合掌をしたのである。その一瞬の合掌が私にはとても美しく思えた。

和尚グリンプス Osho Glimpse

2007-11-20 16:29:22 | アクティビティー
 ここは、和尚を紹介する空間ショップである。場所は市営地下鉄センター南駅のそば。今年2007年3月頃にオープンしたのだそうだ。和尚(ラジニーシ)は、クリシュナムルティーと同時代の(つまりヒッピー世代の?)20世紀の後半を駆け抜けた精神的指導者だった。私はサニアシン(和尚の弟子)ではないが、でも、和尚は好きである。今でも和尚の本は読む。私の精神世界の扉を開いてくれた人物のひとりでもあり、またその過激さも好きだった。アメリカ政府に対して原爆こそが20世紀最大の悪と明言してはばからなかったし、20世紀を変革した人物100人(千人?)のひとりにも確か選ばれている。この空間には、和尚の本やCD,DVDが多数置かれ販売もされている。また語らいと瞑想の場である。オーナーは和尚存命時代にサニアシンとなり、和尚の身近の世話もしていたそうだ。柔軟で幅広い知性とハートを感じる素晴しい人だった。日本でこの和尚グリンプスなる店が出来るのは初めてと言うことだが、でも街中にこんな店が出来るなんて、時代も変わったというある種の感慨を持った。夕方聞いたヒンディー語の和尚の講話は、意味は分からなかったが、リズムが美しくひとつの詩を聞いているようだった。

和尚Glimpse
http://www.oshoglimpsejapan.com/index.html

スティーブ・ギリガン博士 催眠ワークショップ 2007年11月8~11日

2007-11-19 16:25:35 | セミナー・ワークショップ
 大阪ホロンPbi主催のスティーブ・ギリガン博士の4日間のセミナー「ヒーローズ ジャーニー」に参加する。

 スティーブ・ギリガン氏は、ミルトン・エリクソンの弟子のひとりであった。エリクソンは日本では一般的にはあまり知られていないが、エリクソン催眠の創始者であり70年代に他界した世界的に有名な心理療法家であった。ギリガン博士は現在そのエリクソン催眠とエリクソンの類まれな心理療法のエッセンスをワークショップなどで世界中で伝えている。エリクソン自身は催眠の概念や心理療法そのもののあり方を大幅に変えた人とも言えるだろう。
(一応断っておくが、ここでの催眠はテレビの催眠ショーではないし、また目を閉じてリラックスして催眠に入るという古典的催眠とも異なる。それらはまた別モノか似て非なるもの。)

 さて、今回のギリガン氏のワークショップはそのエリクソン催眠を基本にした様々な催眠的なアプローチやその活用法を提示してくれた。催眠と言うとなにやら特別なものとか思われたりもするだろうが、実はとても自然なものなのである。その証拠に、すでに日常の中で我々は常に何らかの催眠(トランス状態)に入っているのであって、ただそれに気づいていないだけなのだ。例えば、周囲の音も聞こえなくなり、何かに集中している時はないだろうか?その時、時間の感覚はいつもとは異なっているはずだ。あるいは、何かに敏感になっていて、普段気づかないようなことに気づく時なども変性意識状態のもたらすもので、それも催眠のひとつである。催眠とはこのようにとても身近なもので、実は我々が何かの行為を行う時に、自然に何気なく使っている状態なのである。

 ところで、有名なエリクソンの話に馬の話がある。それは、エリクソンが若い頃、家のそばで迷子になった馬を見つけた時のストーリーだ。その馬がどこから来たかはわからなかった。しかし、エリクソンはその持ち主のところにその馬を戻す為に、その馬に跨って馬の行きたいようにさせる事にしたのだった。ただ唯一したことと言えば、馬が沼の中に入ったり道を外さないようにするだけだった。そしてその馬は元の飼い主のところに無事に帰ることが出来たのだった。それを迎えた馬主は、一体どうしてこの場所がわかったのか?と驚いたと言う。この話は実話だが同時に逸話でもある。話の中のエリクソン自身は我々の普段の意識、つまり顕在意識の象徴であり、馬は無意識そのものを表している。つまり、この話の背後にあるメタファーの意味は、無意識は(通常の意識以上に世界を)知っているということだ。その無意識を活用することで、我々は自分自身だけではなく、第三者にも驚くような変容を体験させることが出来るのである。それがあのエリクソンの行っていた心理療法のマジックそのものであったわけなのだ。

 結局、催眠とは、我々の意識を広げ、日常使っている意識の幅や領域を広げてくれるものとも言える。別の言葉で言えば、我々が普段認識している世界は、ひとつの限られた意識の中の白昼夢のようなものかもしれない。世界は我々自身が思っているよりも常に大きく、意識されていない無意識の方がはるかに大きいのである。しかしその無意識にアクセスするやり方を我々自身通常知らないか、忘れてしまっているので、限られた意識と言うひとつの箱の中で生きる習慣が身についてしまっている。しかしもし我々がその箱の外に出て、無意識を有効に活用して行く方法を思い出したり、知ることが出来たとしたらどうだろうか・・・。実は何らかの催眠の状態とはそのような状態なのである。従って、催眠を活用すれば、現実的な何かの問題に対処したり、あるいは、現状の枠を越えたより優れた能力を発揮したりする事ができる事になる。別の言い方をすれば、催眠的なトランスの状態を活用するという事は、より深い知恵に自らを任せて行くことであるとも言えるのである。
(バリ島はトランスの島とも言われるが、そうしたトランスの活用を日常の中で行っている島である。)

 最後に、ギリガンの言葉で印象的だったものをひとつ紹介しよう。
「何かをする時にそれが顕在意識(思考)の力だけでしようといるのであれば、それはやめた方が良い。意識と無意識の係わりの中で、五分五分ならぎりぎりセーフかもしれない・・・」

 尚、「ヒーローズ ジャーニー」とは、あるアメリカ・インディアンの部族の行う自己発見の旅のことである。

円徳院 京都 庭園2   

2007-11-12 01:57:31 | 庭園
 東山の円徳院には庭園がふたつあるが、写真は奥の院にある北庭。もともと伏見城北政所の御殿の前庭を移したもので、豊臣秀吉の妻ネネが愛し、そのままの姿が残っているという。説明書きによると「多数の巨石大岩がふんだんに置かれた庭は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さ」なのだそうだ。確かに、その時代の空気が伝わってきそうな作庭の仕方である。あまりにもダイナミックな様相に男性性を感じるのではないだろうか。改めて庭とは人と相補的な存在でもあり、また鏡のような存在でもある事を気づかせてくれる。ただ、もう少し女性的な庭の方が俺は好きかもしれない^^;; ある種の女性には(もちろん男性にも)この庭はたまらないかもね。

東寺 京都

2007-11-07 16:07:30 | 庭園
Kyoto 20071107

 久しぶりの東寺。紅葉のシーズンもそろそろ始まるという頃でもあり、「千住観音立像」の特別展示や五重塔内部の特別公開もありで、結構人が来ているのには驚いた。重要文化財である観音立像の力強く、たおやかなラインも確かに素晴しかった。

 五重塔の中心の柱を「御心柱」goshinchuと言うのだそうだが、大日如来そのものを表すものでもある。柱は塔の頂上の五輪塔と繋がっているそうである。大日如来とは、曼荼羅の中心に座す最高位の仏である。通常曼荼羅は、平面に描かれた象徴的な意味合いを持つ図像であるのだが、この東寺には、空海の発案したという彫刻仏像群による立体曼荼羅が法堂にある。もともと曼荼羅はダイナミックな4次元空間を表すものだから、平面ではなく立体であるのは必然なのであろう。他に類を見ない木彫仏像群によるこの立体曼荼羅独特の空間は、この場所に来なければ味わう事は出来ない。特に日暮れ時の柔らかな光の中に浮かび上がる仏像の姿は、素晴しい。薬師如来や日光・月光菩薩など、この東寺には他にも素晴しい仏像もあり、とにかく無性に足を運びたく場所なのである。

 ところで今回、大日如来に向き合っていたら、とても深いトランスに入ってしまった。音ともいえない音が聞こえ、煌びやかなビジョンが輝き、まったくの異世界に私を連れて行ってくれたのである。以前、誰もいない夕刻時の立体曼荼羅のその空間に居合わせたことがあったが(寺の当番の人もいなかった)その時よりもさらに深く私を仏的涅槃のほんの片鱗へといざなってくれたかのようだった。自分の状態も良かったのだろう。やはり立体曼荼羅は凄い!