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朝日記200229 徒然こと 「動的平衡とエントロピー」今年の都立高校入試の国語問題から

2020-02-29 18:12:42 | 社会システム科学

朝日記200229 徒然こと 「動的平衡とエントロピー」今年の都立高校入試の国語問題から

 

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朝日記200229 ことしの国語問題を読むこと

 

徒然こと 今年の都立高校入試の国語問題から

動的平衡とエントロピー

 福岡伸一 「動的平衡3」による

 (読売新聞朝刊2020年2月22日)

エントロピーの現代的な捉え方は、ものごとが時々刻々変化している状態でのそのものごとが、ある秩序をたもっている状態を定量化して考えるものである。大宇宙(大自然)は

秩序から混沌へと移行しているのがエントロピーの増大の法則である。その崩壊過程のなかで、あるものごとが秩序を保つための働きをおこなう。生物の生命活動は、その秩序の維持と継承のための働きを行っている。人間社会も広い意味の生存のために秩序の創造、維持と継承をおこなう。われわれはその秩序を価値と呼んでいる。考える対象であるものごとの論理的つまり科学的な秩序の概念がエントロピーであり、もともと熱機関や化学反応に始まる熱力学での中核となる概念であるが、情報システム系での秩序概念としても使われており、経済学など社会科学にその適用領域性の拡大をしている。

以下 本設問本文の要点を上げてみたい。エントロピーの説明としては秀逸である。

要点;

「宇宙の大原則に「エントロピー増大の法則」がある。エントロピーとは、乱雑さのことであり、この世界のすべてのものごとは、時間の経過とともにエントロピーが増大する方向に進む」

壮麗豪華な白亜の神殿

フェルメールの傑作

机の整理整頓にある書類

 

「価値を生み出すこと、商品を作りだすこと。

ビジネスモデルを考案すること。」

「利益を生み出すことは、結局のところ「エントロピーの増大の法則」に抗って、乱雑さ中から秩序を創出することに他ならない。」

「宇宙の大原則に逆らって行う行為である以上―つまり坂を転がり落ちる岩を止めるようなものである以上― エネルギーがいる、そして、最終的には決して宇宙の大法則には勝つことができないゆえに、止めた岩はまもなく、転がり落ちる。」

 

「つまり、ありていに言えば、商行為とは、使ったエネルギーよりも作りだした秩序により大きな価値を創造すること、そしてその秩序が再び無秩序に還るまえに、その状態を移転することである。」

 

「もっとも果敢にエントロピー増大の法則と対峙しているのは,何であろうか、もっとも高度な秩序を維持しているのは私たちの生命体である。」

「私は生命のこの営為を「動的平衡」と名付けた。

 

「これと闘うため、生命は端から頑丈に作るという選択をあきらめた。」

やわらかく、ゆるゆる、やわやわにつくった。

そのうえで、自らを壊しつつ、作りなおし、更新し、次々とバトンタッチするという方法をとった。」

「この絶え間ない分解と更新と交換の流れこそが生きていることの本質」

「系の内部にたまるエントロピーを絶えず外部に捨て続ける唯一の方法」

「動きつつ、つり合いをとる。これが動的平衡の意味」

たえずずらし、さけ、やりすごす、これでここまできた。宇宙の大原則と対峙しながら。

 

「つねに動的状態を維持する」

「動的平衡を基本原則として、(大きく)変わらないために(つねに小さく)変わり続けてきたからだ」

「動的平衡において重要なものは構成要素そのものよりも、その関係性にある、」

「構成要素は多機能性であり、異なる役割りを果たしうる、」

 

「生命の動的平衡は自律分散である。」

「組織もその都度、微調整され、新たな平衡を求めて、刷新されていく。」

「個々のピースは、いずれも必ずしも鳥瞰的に全体像を知っている必要はない、ローカルで、自律分散型で、しかも役割りが可変的である」

 


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1 コメント

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「動的平衡とエントロピー」について (関口益照)
2020-03-01 00:21:49
駄文である。
こんな無知と独断と偏見だらけの文章を18歳の受験生に読ませて何をしたいのか。
出典は何かと思ったら何と新聞記者の主義主張らしい。
要するにマスコミの権威と入試という制度化された権力を私物化した新たな洗脳工作だというべきである。
石原都知事に比べて小池都知事が迂闊なのかそれとも赤いのか知らないが、少なくとも教育機関が知識伝授の場でなくイデオロギー工作の場に堕していることは確かである。
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