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朝日記231114  Panpsychism その2 意識、その現実と理論について

2023-11-14 17:42:03 | 社会システム科学

朝日記231114  Panpsychism その2 意識、その現実と理論について

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ルネサンス時代Renaissance[edit]

Illustration of the Cosmic order by Robert Fludd, where the World soul is depicted as a woman

 

 

Justinian皇帝が529年に Plato's Academyを閉じて、neoplatonismネオプラトン主義は衰退した。

John Scotus Eriugena,のような中世の神学者がいて、彼は汎心論と呼んだようであるが

哲学的神学論では支配的雰囲気にはならなかった。

しかしイタリアルネサンスでは、つぎのような人物の思考のなかで復活を享受された、Gerolamo CardanoBernardino TelesioFrancesco PatriziGiordano Bruno, そしてTommaso Campanella.

Cardanoは、 soul 霊魂もしくはanima アニマは世界の基本的部分であるという見方について論じる、そしてPatriziは術語panpsychismを哲学的語彙に導入した。

Brunoによると、「霊魂をもたないものはないそして生の原理をもたないものはない」[8] 

Platonist ideas resembling the anima mundi (world soul) also resurfaced in the work of esoteric thinkers such as ParacelsusRobert Fludd, and Cornelius Agrippa.

プラトン主義者の観念はanima mundi (world soul)似ていてParacelsusRobert Fludd, and Cornelius Agrippaのような esoteric 奇妙な系列の思想家の業績のなかにも現われている。

 

 

初期モダーンEarly modern[edit]

 

Spinozaのモニズムでは、ひとつ単純なinfinite無限なそして外的なsubstance実体は「God神、もしくはNature自然」(Deus sive Natura)である、それはmindこころ(thought思考)とmatterもの(extension外延)のaspects視点をもつ。  

Leibnizの視点は無限にたくさんの絶対的単純なるmental substancesこころの実体があって、これをmonads とよび、このモナドが遍在的な基本想像を作り上げるというものである。

 George Berkeleyidealist philosophy観念論者哲学もまた汎心論の形式であると言われてきたが,[4] 、Berkeleyは汎心論を拒否し、mindsこころが経験した物理的世界のみが存在するとしたのである、この場合そのmindsこころとしては人間および然るべき他の特定の機関に限定した。.[14] 

 

 

十九世紀 19th century[edit]

 

十九世紀は汎心論が頂点に位していた。

哲学者たちはつぎのようなひとたちである;Arthur SchopenhauerC.S. PeirceJosiah RoyceWilliam JamesEduard von HartmannF.C.S. SchillerErnst HaeckelWilliam Kingdon Clifford そして Thomas Carlyle[15] であり、心理学者としては、 Gustav FechnerWilhelm WundtRudolf Hermann Lotze すべて一貫した汎心論者の観念をもつ。[4]

 

Arthur Schopenhauerは Will 意志とRepresentation (Vorstellung)表象としてのreality事実性の二面的視点を論じた。

Schopenhauerによれば、「いうところのmindこころはすべて物質に帰属し、物質すべてはひとしくこころに帰属される。」[citation needed

Josiah Royce,は指導的な米国の絶対観念論者であり、事実性は"world self"「世界そのもの」であること、すべてのものを含む意識的存在であることを説いたのである、かれはこころの特性をこころの"systems"「システム」の最小構成体へ必然的に帰属させることはしなかったのである。

米国の pragmatistプラグマティズム哲学者であるCharles Sanders Peirceは心理-物理的monismモニズムを支持した、そこでは宇宙がこころによって浸透されている、かれはこころを自己変化性と自由と結びついているとしたのである。

 

Pierce,につづいて、William Jamesもまた汎心論の形式を支持した。[16]

彼の講義ノートで、Jamesは書く;ある対象それ自身のなかでの知的な概念のみがそれ自身のための対象であるべきであり、そしてこれが汎心論のなかの我々の上に着地するそしてわれわれの物理的感受性が「心理的」現実の我々の上での効果となるような信念である。[8] 

英国の哲学者Alfred Barratt,は、Physical Metempiric (1883),物理学的超経験の著者であるが彼は汎心論の主唱者として記述されている。[17][18]

1893年に、Paul Carus は汎心論に似た哲学を提案した、これが「汎生物主義」"panbiotism"「すべてのものは生命に満ちている;それは生命をふくむ;それは生きる活力をもつ」"[19]:149[20]

 

二十世紀 20th century[edit] 

Bertrand Russellneutral monist中立的モニストの視点が汎心論になじむのである。.[8]

物理学者Arthur Eddingtonもまた汎心論の形式を擁護した。[5] 

心理学者 Gerard HeymansJames Ward および Charles Augustus Strong もまたさまざまな汎心論に裏書したのである。[21][19]:158[22]

1990年に、物理学者David Bohm  は「こころと物質の関係性の新理論」を出版した、これは彼の interpretation of quantum mechanics量子力学の翻訳に基づく論文であった。[24]

哲学者Paavo Pylkkänen はBohmの視点をpanprotopsychismとして記述してきたのである。[24] 

ひとつの広域的にひろまってしまった誤った概念は、評価のゆれる二十世紀の最大の大系的形而上学者Alfred North Whitehead,もまた汎心論のもっとも顕著な20世紀支持者であった。[4] 

この誤った読み筋をWhiteheadにもたらしたのはひとつの ontology存在論にあり、これによれば世界の基本性質は原子的精神事象から作られるというもので、これを実効事態"actual occasions".[4][8] と呼んだのである。

そのようなexotic metaphysical objects外からの形而上学的対象-これ(形而上学的対象)はWhiteheadが批判している fallacy of misplaced concreteness誤った位置付け具体性からの誤謬の事実上の例示するものであろう―を意味付けるよりも、 Whiteheadの概念である"actual occasion"は可能なるいかなる感受者の"immediate experienced occasion"「即時的経験occasion」として共有的にrefer参照されることになる、そのoutsetの感受者は彼自身のみ、そのこころのなかに所有しつつあるのである、このことはradical empiricism.[25]への彼のつよい傾注からくるものである。  

 

現代性 Contemporary[edit]

Panpsychism汎心論は現今ではこころの哲学の再興となっている、この一連のうごきとしては、 Thomas Nagelの1979 著述 "Panpsychism"[26] およびGalen Strawsonの2006 realistic monist article リアリスティック一元論記述である"Realistic Monism :Why Physicalism Entails Panpsychism."[27][28][29] 「リアリスティックな一元論:なぜ物理学者は汎心論を継承するのか」によってより鋭い言及があった。

他の現今の支持者は米国哲学者David Ray Griffin[1] とDavid Skrbina,[4][19] を上げる、・

英国の哲学者 Gregg Rosenberg,[1] Timothy Sprigge,[1] そしてPhilip Goff,[5][30] さらにカナダ哲学者William Seager.[31] をあげる。

英国哲学者David Papineauは、正統的な汎心論とは距離を置いているが、彼はかれの視点は汎心論的ではないと記述としたのである、それはかれは自然的に「現象が照らす事態と単なる闇の間での線引きを拒んだのであった。[32][33]

意識の integrated information theory(IIT),は、神経科学者であり心理学者であるGiulio Tononi が 2004年によって提唱されそして Christof Kochのような他の神経科学者によって採用されたのであるが、かれらは、意識は広域にひろがり、そしてなにか単純なシステムにでさえ見いだされうると仮定したのである。

2019年に認知科学者 Donald HoffmanはThe Case Against Reality: How evolution hid the truth from our eyes.(リアリティに抗するケース:進化はいかにしてわれわれの目から真実を隠すかを出版した)。

Hoffmanは consensus reality合意リアリティというものは具体的存在性を欠いており、そして 進化したuser-interfaceユーザーインターフェース以外のなにものでもないと論じたのである。

彼はリアリティのtrue nature真の性質は抽象化された"conscious agents".[35]意識エージェントであると言及した。[35]  

編集者Annaka Harris は彼女の2019 年の著 Conscious,(意識的) はそれを十分に裏書するには短い記述であるが[36][37] 汎心論が実用理論であるということを論じたのである。

汎心論は心理学者Robin S. Brownによって、"inner"内的と "outer"外的な様相間での理論的関係の仕方として仮説立てられたのである。これは心理療法での文脈でのものからきている。[38] 

汎心論は豪州の哲学者 Freya Mathews,[39]によって環境哲学での応用がされている、かれはontopoetics[1]の概念を汎心論のひとつの版として推進している。[40]

遺伝学者 Sewall Wrightは汎心論のひとつの版を裏書した。

彼は、意識が物質の複雑性が増大する階層のある水準から発現する神秘的な特性ではなく、それはむしろinherent固有の性質のもので、これにはもっとも要素的粒子の性質を所有していると信じたのである。[41]

 

汎心論の種類 Varieties[edit]

汎心論は沢山の理論を取囲んでおり、ある形式でのこころが遍在性があると概念に一体化される。[8]

 

哲学的枠組み Philosophical frameworks[edit]

 

コスモサイキズム Cosmopsychism[edit]

Cosmopsychismでは、その宇宙は unified object that is ontologically prior to its parts.その部分に先行して存在論的存在するとして統合化された対象である。

汎心論の代替として[42]もしくは汎心論の一つの形式として[43] 記述されてきたのである。 

Cosmopsychismの支持者は、その宇宙全体が現実的基本的水準であるとし、そして意識を例示化していることを主張する。

それらは汎心論とはつぎの点で異なる、それは現実の最小レベルが基本的なものであり意識を例示表象化するのである。

この筋でいくと、たとえば、人間意識は、より大きな宇宙的意識からのみ得られるのである。

 

汎経験主義 Panexperientialism[edit]

汎経験主義はCharles Hartshorne と Alfred North Whitehead,の哲学が際立ってつながっている。 David Ray Griffinがこの哲学の名づけ親であった。これは汎心論の他の変形とは別にプロセス哲学として区別させるためであった。

Whiteheadの process philosophyプロセス哲学は宇宙の基本的要素が"occasions of experience",「経験の発生事態」であるとし、それは人類とおなじように複雑な何かを一緒に創生すると論じるのである。.[4]

Whiteheadの業績のうえに組み立てをすすめると、プロセス哲学者 Michel Weberはpancreativism汎創生主義を擁護していく。[44]

 Goffはより一般的に panexperientialism 汎経験主義という用語を使って、汎心論の形式表象した、そこではthough思考よりもexperience経験がubiquitous.遍在するものとしたのである。[1]

  

汎原始サイキズム Panprotopsychism[edit]

Panprotopsychists汎原始サイキズムは、higher-order phenomenal properties高次元の現象的特性(qualiaクオリアのように)が、すくなくとも原理として、protophenomenal原始現象的な特性によってlogically entailed 論理的継承化されていると信じるのである。  

これはH2O分子についての事実がどのようにfacts about water水についての事実と論理的に継いでいるかという問題と似ている:低位水準の事実は高次元事実を説明するに十分である、なぜなら前者は後者に論理的に継承しているからである。

同様にpanprotopsychismの付着的なモノが、"protophenomenal"原始的事実に論理的に意識性存在として継いでいるとしてこれを信じるのである。

Protophenomenalの特性は通常、機能的および否定的定義を通じて取り出される:

Protophenomenalは現象的特性(機能的定義)を論理的に引き継いでいる特性であり、そそれ自身、physical物理的でも、またphenomenal現象的でもないもの(negative definition否定的定義)である。 [45]

Panprotopsychismは、結合的プログラムcombination problemへの解として宣伝されることになる;

そのプログラムとは、ミクロ的物理的ものからの意識性が脳全体のマクロ的意識を起こさせるための結合をする、そのさまを説明する問題である。

Protophenomenalの特性は定義によって意識の構成部分であるので、それらの存在性はmacroscopic mindsマクロ的こころのemergence発現するに、神秘性を少なくするかもしれないspeculated思弁なのである。[9] 

哲学者David Chalmers はこれをその視点での複合問題の困難性に遭遇すると論じる。[2]

かれはそれを"ad hoc"として考えた、そしてそれが理論の初志であるparsimonyなるべく複雑性を削減する考え方を減じることを危惧したのである。.[46]

 

[1] Ontopoetics オントポエティックは哲学的概念であり、それはその世界にいる自身と自身のいる世界とのコミュニケーション的な関わりを含む概念である。[1] 

それは"poetic order"詩的秩序として記述されるがその秩序とは"causal order"起因的秩序にそって扉をひらくものであり、それにリアリティをもってコミュニケーション関わりの過程への参加過程のものである。.[2]  

それは順列や信号の概念や行為者の表現感受性をふくみ、また再行動者での印象の構築も含むのである。.[3]

Ontopoeticsは理論ではないと考えられ、リアリティ視点とコミュニケーション的存在世界の理解視点のものである。[4] 

[2] panprotopsychism: 大雑把にいえば、基本的なentitiesがprotopsyconscious、すなわち、それらが確かにして特定の特性をもっていることである、ここで特性とは意識の先導役であり、そして集合的にさらに大きなシステムでの意識を構成することができる特性である。

 (from  panpsychism (consc.net) by David Chalmers)

 

つづく

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