朝日記240823 スイスは「武装中立国」ということからかんがえること、「国富」の価値観か。
記事配信「現代ビジネス」からの配信である:
スイスの国の守りは極めて堅固だ。スイスは永世中立国ならぬ「武装中立国」なのだ。
ドイツ在住のベストセラー作家・川口マーン惠美氏と青山学院大学教授・福井義高氏が、小国ながら「武装中立国」を堅持するスイスの国家観について語り合う。
本記事;
知ってはいけない、世界の《残酷な常識》日本人は知らない…スイスがじつはヨーロッパの人たちから嫌われている理由「アルプスの少女ハイジ」とは程遠かった (msn.com)
1.福井教授の発言の部分を以下、掲載しておく。
福井氏の言;
実はGDPを用いた豊かさの国際比較は、それほど簡単なものではありません。市場為替レートを用いるか購買力平価を用いるかでも違いますし、そもそもGDPは社会の豊かさは測る指標としては問題が多い。たとえば、国内治安維持コストはGDPに加えられています。
したがって、コストをかけずに秩序立った社会を維持している日本に比べ、他国のGDPは相対的にかさ上げされるわけです。
各国とも社会に大きな変化が生じたとされるコロナ禍より前の治安状況を、国連が公表しているデータから計算してみました。
2018年の人口当たり強盗件数は、スイスが日本の14倍、ドイツが31倍、アメリカは61倍。2019年の人口当たり受刑者数は、スイスとドイツが日本の2倍、アメリカが16倍です。
シンガポールも日本と同様に犯罪は少ないのですが、人口当たりの受刑者数は日本の五倍です。もちろん、刑務所維持コストはGDPにカウントされます。コストをかけずに安心して暮らせるという日本のすばらしさはGDPに反映されるどころか、逆にマイナス要因になるのです。
やはりGDPに加えられている医療費にも同じようなことがいえます。OECDが公表しているデータでみると、日本は世界で最も高齢化が進んでいるのに、2022年の医療費はGDPの11.5%で、ヨーロッパ諸国と同程度、比較的高齢者が少ないアメリカは11.6%で断トツの世界第1位です。
しかし、平均寿命をはじめ、各種健康指標で日本が最高水準であることは世界的にも認められています。一方、アメリカのコロナ前の平均寿命は日本より5~6年短く、健康指標も芳しくない。比較的コストをかけずに国民が健康に暮らしているという日本の良さもGDPに反映されません。
また、社会保障支出を除くと、日本の財政規模は欧州諸国に比べると小さい。GDPの構成要素である政府サービスの価値はかかった費用と同額と定義(!)されているので、この点でも日本のGDPは相対的に小さくなります。
おおざっぱにいって、社会の豊かさを測る指標としてのGDPは上下2~3割の誤差があると思ったほうがいいでしょう。
2.青山学院大学教授・福井義高氏の公共サービスのGDPへの計上の考え方からおもうこと
中心はスイスの国がしたたかな中立国でそれは強固なる「武装中立国」であるということに焦点をあてた二人の’賢いひと’の対談である。
私の目がとまったのは福井教授の公共サービスのGDPへの計上の考え方であったので以下紹介しておきたい。
日本国民への警鐘なのである。小がが目をとどめたのは、日本ではGDPのカウントで政府など提供する公益サービスが計上されていないという指摘の部分であった。
たとえば医療費でみると高齢者比率の高い日本をベースにして比較すると先進各国のそれは数倍から十倍程度まで大きく、日本の医療の質は非常にたかいという。公益サービスを市場価格ベースへの翻訳をすると、つまり購買力平価ベースに変換したGDPにすると、福井教授いわく 20パーセントから30パーセント日本のGDPは大きく計上されるという。
おなじ筋で、福井教授は安全保障といういわば政府の公益サービス(?)を経済指標への等価換算としてとりいれるとどうなるかということも 触れておられる。
安全安心など、国や社会のもつ「質」をGDPのような「経済指標」に組み入れるのは経済学の枠のなか治まるのかどうかはわからいが、国全体の経済資源を投入しているのであるから、たとえば「国富」という概念でいれてみたらどうであろうか。 安全保障環境をいったん、経済価値等価の指標に置き換えてソロバンをはじくとみればよい。
各国のその等価指標には、その国が現在とっている対外政策から割り出すものでよい。日本の国防は日米の力関係できまるとしても、これを一旦ベースとして換算することになろう。日米双方が分担する防衛費の等価の指標が使われよう。
核の傘は等価的にいかほどになるのかという観かたである。
北朝鮮や中国の核の脅かしにたいして、国民の安全のための等価の指標はどうか。なんであれ、攻撃の脅威にさらされることは現実であるのであるから、それを金額で表現しておく、それにみあう国としての「投資」をしておくこと、或る意味で等価投資とでもいえよう。
われわれが考えることから逃げて果せないものは、きちんと織り込んでおくのが本来的であろう。
スイスが西側世界でけっこう嫌われている「国防中立」といわれているようであるが、他人ごとでみていることでは
ないということである。
つまり、市場価格ベースとは別に購買力平価ベースのGDPにも目をむけるべきであるということである。後者に目をむけると市場価格ベースでのGDPのに2ないし3割増しになるというものである。
ここで確かめておくのは、つぎであろう;
1,公共サービスのGDPで、市場ベースと購買力平価にすでに取り込んでいるとして、その計算式の確認。
2.国民の総合的ゆたかさをフローとストックでみてこれを国富としていく考え方の深堀と計算式の提起。
3.国富という価値観への国民的論議法の提起。ところでアダムスミスはどう考えたか。
など。
Victory of Vernuft 理性の勝利
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