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朝日記200229 徒然こと  レジリエンスについて(2020年の大学入試センター試験国語問題から)

2020-02-29 18:06:03 | 社会システム科学

朝日記200229 徒然こと  レジリエンスについて(2020年の大学入試センター試験国語問題から)

 

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徒然こと 2020年の大学入試センター試験国語問題から

レジリエンスについて

河野哲也『境界の現象学』による

(読売新聞朝刊 2020年1月19日)

問題は、近年さまざまな分野で応用されるようになったレジリエンスという概念をとりあげ、その現代的意義を考えさせるものであった。

まず、冒頭に環境システムの専門家であるウォーカーの比喩を紹介しているので、話をすすめるために以下に置く;

「あなたは 港に停泊しているヨットのなかでコップ一杯の水を運んでいるとしよう。そして、同じことを荒れた海を航海しているときに行ったとしよう。港に停泊しているときにコップの水を運ぶのは簡単である。この場合はできるだけ早く、しかし早すぎないように運べばよいのであって、その最適解は求めやすい。しかし、波風が激しい大洋を航海しているときには、早く運べるかどうかなど二の次で、不意に大きく揺れる床の上で転ばないでいることの方が重要になる。あなたは、膝を緩め、突然やってくる船の揺れを吸収し、バランスをとらねばならない。海の上では防災要因を吸収する能力を向上させることをあなたに求める。すなわち、波に対するあなたのレジリエンスを向上させることを求めるのである。

そして、レジリエンスresilienceの定義を、擾乱を吸収し、基本的な機能と構造を保持し続けるシステムの能力として括る。

まず、システムとしてその能力としてふたつがあげられる。ひとつは目的に対して最適解への能力、もうひとつがそもそもシステムとしての基本的能力を保持制御するかであり、レジリエンスは、後者の課題として論者の焦点を設定し、その概念をさらに詳しく論じていく。

まず、この概念の出生は、物性科学にあって物質が元の状態戻る「弾性」のことを意味すると語る。

(時間的に変化する外力つまり、擾乱からの熱力学平衡状態へ収れん性問題ともいえる。考える現象の平衡点の探索は工学的な制御問題として意味があり、現代では、不可逆状態熱力学において、動的エントロピー流の最大生成原理として取り扱われている。(荒井)) 

この発想が60年代に生態学や自然保護運動の文献に用いられるようになった。そこでは、生態系が変動と変化に対して自己を維持する過程という意味に使われた。しかし、ここで言う「自己の維持」とは単なる物理的な弾力のことではなく、環境の変化に対して動的に応じていく適応能力のことであるとする。

著者は、回復力(復元力)という意味で、これと類似な概念としての、サステナビリティにふれる。 ここで回復とはあるベースラインや基準に戻ることを意味するが、レジリエンスでは、かならずしも固定的な固定的な原型が想定されていない。絶えず変化する環境に合わせて流動的に自らの姿を変更しつつ、それでも目的を達成する概念である。均衡状態に到達するための性質ではなく、発展成長する動的過程を促進するための性質であると言い切る。

(不可逆性熱力学としてのアナロジーから類推すると、外力が、いま考える系のある熱力学的平衡の保持の擾乱量の限度(閾値)を越えてしまう状態が想定される。ここでは、つ前述の動的エントロピー流の生成最大原理はもはや適用されず、あらたな擾乱過程にはいることを意味している。ここでは外力を取り除いてももとの状態へは、系が自律的いもどる(つまり弾性)ことはできない状態となる。この状態を非線形熱力学状態もしくは、複雑系熱力学状態として現代物理工学の主題の領域となっている。制御という観方からみれば、時間的な変動に対してのシステムの安定点の制御ということになり、その意味でレジリエンス問題である。(荒井) )

著者の説明は、さらに、一貫して社会科学的な領域に深掘り展開していく。

サステナビリティそのものがたとえば環境保護において、もとの自然状態という固定点に回帰するのではなく、冒頭の航海中でのコップ運びのような荒ぶる外力に対して、たとえば、適度の規模の擾乱としての山火事の存在がレジリエンス例として意味があることを示唆している。

このような「適度の擾乱」という概念におよぶと必然的にレジリエンスと対になる概念として、ひとつは「脆弱性(vulnerability)」を、ふたつめは「冗長性(redundancy)」をあげている。 前者はちょっとしたことを感じ取るセンサー感度で、後者は、その逆で、ピリピリせず、意識的に間合いを取って感じ取るセンサー感度といっておくが、ここでは深入りしない。

「レジリエンスは、複雑なシステムが、変化する環境のなかで自己を維持するために、環境との相互作用を連続的に変化させながら、環境と柔軟に適応していく過程のことである」として、結ぶ。

このあと、著者は、「ニーズ」への対応で、社会的弱者を例に、方式のお仕着せでなく、生命自身の自律性と能動性を尊重するという付言をする。

 

本徒然こと(荒井)の感想としていかにのべたい;

(ここまでの展開として、レジリエンスとしての確たる方式はないことを暗に披露するが、それがレジリエンスということを主張するのであろうか)

(受験生の若い人たちはこの文章からなにを受け止めたか、正直、気の毒な感がある。

視点としてのレジリエンスは、人生の態度として参考にはなるが、具体的な方法論的な展開については、なんら示唆的でなく、空虚であるといえよう。空虚と答えるのが正解であろうが、各問を見る気をおこさせない。)

ただし、上記で( )での筆者のコメントを如何にまとめておきたい。

意味ある方向として読者の意識を期待するものである。

1.(時間的に変化する外力つまり、擾乱からの熱力学平衡状態へ収れん性問題ともいえる。考える現象の平衡点の探索は工学的な制御問題として意味があり、現代では、不可逆状態熱力学において、動的エントロピー流の最大生成原理として取り扱われている。(荒井)) 

2.(不可逆性熱力学としてのアナロジーから類推すると、外力が、いま考える系のある熱力学的平衡の保持の擾乱量の限度(閾値)を越えてしまう状態が想定される。ここでは、つ前述の動的エントロピー流の生成最大原理はもはや適用されず、あらたな擾乱過程にはいることを意味している。ここでは外力を取り除いてももとの状態へは、系が自律的いもどる(つまり弾性)ことはできない状態となる。この状態を非線形熱力学状態もしくは、複雑系熱力学状態として現代物理工学の主題の領域となっている。制御という観方からみれば、時間的な変動に対してのシステムの安定点の制御ということになり、その意味でレジリエンス問題である。(荒井) )

3. 熱力学的平衡から遠く離れた現象は、自然環境界では、むしろ当たり前の現象であろう。

文明が科学技術をもってこれを 熱力学的動的平衡限界に収めているとみることもできる。

しかし、「航海上の突然の揺れ」のように水の入ったコップをこぼさないようにする複雑系(非線形系)へのレジリエンスは、予測技術としても、制御技術としても人類は未達で、挑戦中である。その意味では、現代文明はつねに未知のカオスとの闘いであることの

意識の共有化が要請される(コロナウィルスの克服はまさに、恰好の課題である。)

  1.  方法論上の糸口は、注目現象とその相関性を把握する統計解析が先行するであろう。

巨大データの解析がひとつの力を与えてくれることを期待する。 つまりAI技術の積極的活用といっておきたい。

  1. そして、上述の非平衡系(複雑系)の科学技術理論の進歩を期待するものである。

 


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