関西ミドル 雑記帳
不動産賃貸業 元ゼネコン勤務
 





メタボリズム
Metabolism
 
「新陳代謝」にちなんで命名された、1960年代に展開された建築運動。
建築を超えた地域、都市、国家へのビジョンがこの運動の根幹。
環境にすばやく適応する生き物のように姿を変えながら増殖していく建築や都市をイメージしている。

創設メンバー
浅田孝、川添登、菊竹清訓、黒川紀章、栄久庵憲司、粟津潔

1960年に東京で「世界デザイン会議」が開催されたのを機に、「来るべき社会の姿を、具体的に提案するグループ」として結成された。

会議と同時に出版された運動のマニフェスト『METABOLISM/1960』(この提案には、創設メンバーに加えて槇文彦と大高正人も参加)には、創設メンバーによる「塔状都市」「海上都市」「新宿ターミナル再開発計画」などのプロジェクトが収録されており、「建築や都市は閉じた機械であってはならず、新陳代謝を通じて成長する有機体であらねばならない」という運動の理念が具体的に展開されている。

「農村都市計画」 黒川紀章 伊勢湾台風の復興計画
「スコピエ都心部債券計画」 丹下健三 マケドニア首都震災復興計画



その理念に、多くのメンバーの師匠格であった丹下健三の強い影響を窺うことは容易である。
64年の東京オリンピックと70年の大阪万博を最大のハイライトとして、多くの計画案が実現されぬままに終息していったが、東南アジア諸国にもその影響が及ぶなど、日本初の国際的な建築運動として、近年では再評価の機運が目覚しい。

 

メタボリズム・ネクサス 
Metabolism Nexus

 八束はじめ氏の前著『メタボリズム──19360年代 日本の建築アヴァンギャルド』INAX叢書1997(吉松秀樹と共著)に続くメタボリズム研究書。

著者は国家を擬人化し、フロイトの用語法を援用して
国家の規範を
「スーパーエゴ:超自我」、
その対極にある欲望の原理を「イド」、
そのイドを理性的にコントロールするものを「エゴ:自我」
と呼ぶ。

そして近代日本における建築家はメタボリズム(60年代)の時代まで建築的スーパーエゴ(規範)を掲げ、それを形(アルターエゴ)にしてきたと述べる。

その時代までの建築家に建築的スーパーエゴが見えていたのはもちろん彼らの内面にアプリオリにそれらが胚胎していたからではない。文化としてのスーパーエゴが建築的スーパーエゴを喚起した結果である。
その中核をなす文化的事件が「近代の超克」であり「世界史の哲学」である。
これらはいずれも戦争へ突入する時期に世界の中での日本のプレゼンスを再確認し日本の参戦を正当化する言説でもあった。
1940年代におけるこれらの文化的スーパーエゴをアルターエゴ化した建築家のひとりは丹下健三であり、20年後にその弟子たちは丹下のこうしたDNAを受け継ぐことになる。
著者はメタボリズム以降70年代は建築的スーパーエゴが後景化し、磯崎新、篠原一男という2人の建築家が「エゴ」を語る時代となったと述べ、そして世紀をまたぎ、現在では「エゴ」を通り過ぎ欲望「イド」のレベルで作られる建築が横行する時代になったことを嘆く。

「近年の、とりわけ日本に見られる、繊細で柔軟だが、超自我とは無縁で個人的な身体感覚のみによって成立しているような「建築作品」は......やはり無意識(イド)の産物であることによってネオリベラリズムの無神経な都市を補完している......補完は批判ではない」と現状を厳しく批判する。

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http://10plus1.jp/monthly/2011/07/sakaushi.php




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