昨年9月3日「浅川伯教・巧 きょうだいの心と眼---朝鮮時代の美」(千葉市美術館開催)へ
浅川巧生誕120年記念の特別展であり、大阪市立東洋陶磁美術館が特別協力している
朝鮮陶磁は大阪市立東洋陶磁美術館所蔵の名品の数々に出合っているが、このときは見終って心温まるやさしい気持ちになった
そのことを映画「道 白磁の人」と同時に読んだ本「白磁の人」で思い出すことになった
映画は著者江宮隆之氏の本を原作として9日からロードショーされている
浅川伯教・巧兄弟の二人三脚により世界に先駆けて“李朝”朝鮮時代(1392-1910)の陶磁器を世に送り出し、その美を見出し、向かい合ったこと、そして柳宗悦が関わっていく
“鮮やかなる朝の光を受けて端然としてそこにある白磁の壷”
浅川巧の一生は、朝鮮の林業試験場の一技士として乱伐された山肌を緑にもどすという強い決意と当時朝鮮の人々が日常的に使っていた焼物が骨董屋の店先の片隅に置かれていた、それに出会ったときのシーンが映像で映し出されたり、本で語られたり、白磁の壷との出合いがこのようであったとは…
その焼物が昨年の特別展の数々に展示されていた
はっきり云って、例えば茶会で使われる茶碗は所蔵者の箱書きがあり、眼前にあるのに拝見だけのことが往々にしてある
この展覧会の茶碗の数々はガラスの向うにあるのにやわらかく、温もりさえ感じられ引き付けてやまない、のは?
カタログを改めてみると、淺川伯教の娘婿にあたる鈴木正男氏が東洋陶磁美術館に寄贈されていた
浅川兄弟の所蔵だったのだ、兄弟のぬくもりが感じられる朝鮮陶磁の数々…
第一印象って結構大事なんだ、と思った
私は30歳前半、在日韓国人の発行する業界紙で働いていた僅かな経験がある
同僚の女性はハングル文字を学んでいたのに、私は「アンニョンハシムニカ」しか覚えられなかったというか、覚えなかった… 朝鮮の陶磁は好きなのに朝鮮のことを知ろうとしなかった…
浅川巧の妻の実家の義父は、本の中で「雨の日は雨のように、晴れた日は晴れたように、風の日は風の日なりに、どうにでも対処して生きてゆける……。一生かかって一人巡り会えるかどうか分からない稀有の男だ」と
浅川巧は、風邪をこじらせて急性肺炎で危篤状態となり昭和6年(1931年)4月2日、享年40歳であった
山梨県北巨摩郡甲村(北杜市高根町)に浅川伯教・巧兄弟資料館がある
やはり深く関心のある友人と訪れたいと思っている
巧さんご自身が白磁のように純粋な方だったのですね・・・
映画自体はどうも伯教さんや巧さんの後妻さんの演技がしっくりこなくて 入り込めない感があり、ちょっと残念。
原作の小説を読んでみようと思っています。