楽居庵

私の備忘録

箱根大文字焼茶会

2012-08-20 18:23:08 | 茶会

午後7時半、箱根明星ケ岳の「大」の字に点火された。同時に花火も上り、箱根全山の精霊の送り火を強羅公園内白雲洞の対字斎でみることができた。対字斎の名もここに由来するという

打上げの数時間前より白雲洞茶苑の各茶室で茶会が催された。その対字斎の床に掛けられたのは、秋艸道人の「おほらかにもろてのゆびをひらかせて おほきほとけはあまたらしたり」歌が東大寺の古き銅鐸の拓本に書かれている。送り火のこの日にふさわしい掛け物が「手に入りましたので」と席主が控えめながらご披露される

 そして宋白磁水瓶にせきしょうの花と金水引が手向けられている。香合は薬師寺ゆかりの朱泥色の薬器がみほとけのひらかれた手のひらにのっているような、祈りの床荘りに感動!

 

風炉先も薬師寺薬師三尊台座の葡萄唐草を拓本にして風炉釜を囲む。置かれた水指は朝鮮の辰砂の発色の良い名品、席主のお話しに暑さも忘れる

 朱の高杯に盛られたお菓子は、東日本大震災に被災した方々への供養と大船渡より届いたかもめの玉子を紫色にアレンジして出された。ここにも席主の祈りがこめられていた。そして茶碗は宋白磁、建窯、辰砂、見込みに辰砂のある天目、吉州窯、定窯などなど「夏らしく平茶碗にしてみました」と中国の古窯の茶碗は十碗をこえる

 薄器は宋白磁蓮弁文様の小壷、まことに清々しい存在感のある壷に細作りの茶杓、白雲洞建設の主、益田鈍翁夫人タキさんが削った銘「羽衣」、女性の感性が細部にまでゆきわたった軽くて華奢な羽衣茶杓を席主は送り火とともに捧げられた

 次に白雲洞茶室へ、「田舎家の席」の貴重な作例とか、いろりに縁なしのたたみという意匠で八畳敷きの茶室。茶道具の見立ての枠をはずした構成が合うこの席の壁床に「華厳」、東大寺206世別当上司海雲の雄渾な二文字が掛けられ、前には東大寺印の根来盆に古銅花入(水戸家伝来の古銅花入写し)に蓮の葉と花床(花中央の黄色部分)、蓮弁は盆の上に散らされて…

   

 徐々に陰りをみせた田舎家の席に火が入れられ…その陰影の中、席主は丁寧に一人ひとりに抹茶を点てられる。それがおもてなしと言われるのが本当にありがたくうれしい

水指に注連縄が…、「ここ箱根の200mの地下水から汲み上げられた本物の名水です」と見込みに大きな魚が泳いでいる大水指から汲まれる。さて南方の焼物とうかがったが失念

 

そして三席目は緑に囲まれた一角の野点の席へ、一日に一花夕方より咲くぎぼしが汕頭窯(すわとう、広東省)?の花入に、ようやく涼しくなった席に冷たい抹茶を席主の楽しい話しとともにうかがっていると薄昏となって大文字焼の刻が迫っていく

 翌日はポーラ美術館、湿性花園、ラリック美術館ではランチを、湿性花園では夏の名残の花、来る秋の花を堪能した

   

 キツネノカミソリ             節黒仙翁                河原撫子

 

  鬼百合                           桔梗

 

    箱根菊                          釣船草


茶杓を削る

2012-08-13 13:29:06 | 茶道具

先日畠山美術館にて「茶杓を削る」講座に参加した

講師は池田瓢阿(竹芸作家)先生とご子息の池田泰輔(竹芸作家)先生

生来不器用なので物作りはとうの昔にあきらめていたが、一度だけ茶会に使う茶杓を削りたいなあ、と考えていたところ、当代一流作家の指導の下、削るチャンスがやってきた

約200年前の近江の古民家の煤竹の材料が配られた。解体の進んでいる昨今、貴重な煤竹を削るということも魅力だった

ランダムに配られた煤竹の材料は、当然一つとして同じものはない、が一見して明らかにクセのある、景色がはっきりしている、逆樋であるといった杓の仕上がりが素敵と思われるようなものはこなかった…自分の技を棚に上げて…

さて櫂先はすでに撓められていて上り節、本樋が手元に、おだやかでやさしい雰囲気の杓である

全体の形を整えながら自分のしたい形に削っていく。先生の手元を見ると一気に刃物を押していく。決して柔らくない200年前の材料は、先生の手にかかると魔法のように削られていく

 徐々に茶杓らしい形になると、裏をかまぼこ型のように削り紙やすりで整える

切止は先生の手で三刀に、先生は「ここは削る楽しみの一つです」と見所を明け渡した私へのアドヴァイス

櫂先も勿論見所で、全体の印象から丸型を選んだ

おだやかでどこといった特徴のない茶杓にも切止の辺りに残照のような輝きがあるのが気に入っている。年齢にふさわしいかな?

最後にこの茶杓を見極められた先生はローソクの火で中節を蟻腰に撓められた。そうすることにより茶杓に動きが出てきてように感じられた。逆樋の竹は直腰(節裏を真直ぐに削る)に作ることも約束と知り、これから茶杓一本に込められた軽くて重きものへの関心が深まることを期待したい

昼食をはさんで白竹の材料で共筒を製作、といっても筒と栓が配られ草削りをする

さて共筒となると銘が必要になってくる。おもむろに硯箱が出され私も皆さんも一斉に「エッー」

「家に持ち帰ると書かないのですよ」と、畠山の学芸員がやさしくすすめると筆をもたれる方で一番に書いた方の銘「蝉時雨」

   銘「蝉時雨」逆樋  各々の作品を並べて

完成の茶杓は銘とともに並べて先生に見ていただくことに、銘を付けたその由来を述べるとともに先生の感想などをうかがう。「この茶杓惜しい茶杓だな」と見所や景色のある茶杓の感想を言われたり、「何故竹生島の銘をつけられたのですか」などなど、一つひとつ丁寧に見て回られた

私は来年の茶会で使うかもしれないその時まで内緒(たいした銘ではないけれど)、その時まで座右において、私のところにやってきた茶杓を美杓にしたい

 銘を書くときの指導(池田瓢阿先生)


フランス・シャモニー モンブランハイキング ② 

2012-08-06 08:07:35 | ハイキング

7月21日 ガイアンの岩場、フローリアの小屋

シャモニーの郊外にガイアンの岩場がある。車道の脇からすぐ入れるのでクライマーの練習にはもってこいの場所である。彼はその40年前、今は撤去されたキャンプ場のテント場からここに来たそうだ。この時はフランス山岳学会が付けたルートグレードの印があって、確か5で断念した、となつかしそうに話す

見物のこの朝は、下は小学低学年の女の子から一人前にザイルをつけて上手に登っているではありませんか!中学生の教室が何組も岩場に取り付いてたり、幅広い世代がクライミングに取り組んでいる様子

 ガイアンの岩場

さて今日はボソン氷河に上がるリフトの乗り場を探したが見当たらずシャモニーに戻ってくる

彼はまたブレヴァン展望台へ行ってみると上がっていった。実は昨日私はマルチパスを落としてしまったのだ、あと一日残っていたのに残念! 一日パスは52ユーロなので、下でホテルのサンドイッチを食べながら待つことに

 宿泊のホテルは朝食付きで、三ツ星位で良いわね、と予約した部屋は真正面にモンブランが見えるベストロケーションの部屋、ここに5日間の滞在の最後の日である。と待つうちに夫は「プランプラ(1999m)から上のブレヴァン展望台は霧がかかってよく見えなかった」と下りてきた

20日、21日と徐々に天候が悪くなり一日の内でも霧がかかったり、雲があらわれたりめまぐるしく変化する

 そんな訳でシャモニーで出会った日本人のN氏とビールを飲みながらの情報交換した「フローリアの小屋までのハイキングも良いですよ」を思い出してハイキングしたが、そこが何と急登だけの1時間、でも小屋に着いたときは秘密の花園に紛れ込んだような美しい花々が小屋を彩っている

 

  フローリアの小屋への案内板                フローリアの小屋 

メール・ド・グラス氷河、ドリュの聳えている対岸やモンタンベールの登山電車を樹間に見つけたり、一息つきながらビールを飲む

下山の後、今日はTさんのご自宅に夕食のお呼ばれでワイン、モンブランビールなど手土産に訪問する

Tさんのご主人はシャモニーの墓地に眠っている。シャモニーを愛し生涯をガイドとして過ごす中、アルピニストとしてヒマラヤ遠征中不慮の事故にてお亡くなりになった。

ぎょうざ、肉じゃが、サラダ、さやいんげんの和え物など日本食を用意して下さり、暮れなずむ白夜のシャモニーの最後の夜を過ごした

7月22日 再びブレヴァン展望台、帰国へ

明けて朝、又もやブレヴァン展望台(2525m)へ

 

 (右の写真)シャモニーを離れる7月22日の明方のモンブラン(右端)&エギュイーデュ・ミディ(左方)

 (左の写真)ブレヴァン展望台からのエギュイーデュ・ミディ(3842m)&モンブラン(4807m)山群

彼は三度目、私は二度目、この展望台から眺めるモンブラン山群の景色はスカッと晴れて美しい! 時々、雲がかかりさっと去るものの…

Tさんのお嬢さんがアルバイトしているチーズ店で選んで頂いた重たいチーズを抱えて、ジュネーブへバスで移動、帰国の途に着いた

モンブランに始まりモンブランで終わった旅は、来年のTさんとの再会に繋がっている

   

チーズは日本で買うとかなり高いらしい        シャモニー土曜市場(7/21)のブルーベリーなど


フランス・シャモニー モンブランハイキング ①

2012-08-05 12:13:20 | ハイキング

7月16日~24日までモンブラン・ハイキングの旅に出かけた

18,19日は夫のブログの転載の許可が出たので使わせて頂いた

初めてシャモニーの地を踏んで今年で丁度40年目となった。今回が最後になるかも知れないこの地で錨屋さん(注:私のこと)とハイキングを楽しんだ。過去の2回は難、易は別として山を登ってきたが、今回は今まで行かなかった場所を重点的にコースを選んで歩いた。

7月18日 プランデギュー~モンタンベールへハイキング 

  

 7月18日明方のモンブラン                    展望台からモンブラン山群

 2人のクライマーを展望台より見る

エギュイーユ・デュ・ミディ(3842m)迄テレフェリックに乗り、展望台へ、展望を楽しんだ後、プランデギュー(2310m)へ下りハイキングの始まりである。整備された道をモンブラン(4807m)を背に、シャモニー針峰群を右手に見ながらのんびりと歩く。アルペンローゼの咲くアルプスならではのハイキング。

   

展望台からモンブラン山群(夫は20年前プラン~エギュードミディ縦走をしたそうだ) シャモニーの町を見下す

我々と前後して歩く日本人パーティーに出会った。このパーティーは私より前に、シベリア鉄道アルプスに挑んだクライマー達で平均年齢70歳、メンバーは3大北壁やヒマラヤ経験者が殆んど、山の話や山の友人話で盛り上がり、楽しい時を過ごせた。

モンタンベールが近づいて、平坦から登りになるころに、グランド・ジョラス(4208m)が目に入ってくる。メールドグラスも足下に見えるがこの氷河の後退が著しい。又モンタンベール(1913m)の象徴であるドリュ(3754m)も西壁の岩肌が白くなってしまっている(7,8年前に大崩落がありアメリカンダイレクトルートは無くなってしまったとの事)。

    

  アルペンローゼの花                   メールドグラス氷河とモンタンベール駅(下方)

40年前とはえらく違い驚くばかりであった。モンタンベール駅前で同行していたパーティーと別れ、登山電車でシャモニーに下る。天気の良かった事、日本人クライマーと山の話をしながらの山歩き等、楽しい一日であった。

7月19日 クールマイユールへ

長いモンブラントンネル(フランスからイタリア側へ抜けるトンネルでモンブランの下を通っている)をバスでクールマイユールへ、ここは一昨年ツアーで来たので、多少の土地勘はあるつもりだったが、新しいテレキャビンが出来ており少し戸惑った。目的はモンブランの展望台であるモンテチェフ(2343m)へのハイキング。

  

  イタリア側からのモンブラン山群         同じく、イタリア側からのルートが一番難しい

           モンテチェフ途中の花畑

頂上近くまで一面お花畑で目を楽しませてくれた。唯とても風が強く不安があったので頂上は諦める事にした。マリア像のある頂上には未練もあったが次回チャンスがあれば行ってみたい。雲の動きが激しかったが一日天気はもちイタリア側のモンブランを眺める事が出来た。

7月20日 ブレヴァン、フレジェールへ

4日間有効のモンブランマルチパス(91ユーロ)を今日も利用して乗り放題のテレキャビン、ロープウェイの乗り継ぎでブレヴァン展望台(2525m)へ、360度の素晴しさでシャモニーの谷と反対側の景色が大きく広がる

   

  ブレヴァン展望台からモンブラン(右方)          岩にアルペンローゼが咲いている

雪渓も残っている所も歩きながら約1時間のアルプス気分を楽しんで下ってくると、色とりどりのパラパントが風にのり目の前から飛び立っていく。モンブラン山群やシャモニーの谷を旋回する醍醐味はいかばかりか、女性一人の単独も何人か

一旦シャモニーに下り(テレキャビンで)、今度はシャモニーの隣駅のプラまで川沿いの遊歩道を歩き、テレキャビンでフレジェール(1877m)へ、リフトを乗り継いでアンデックス(2396m)へ、ここからハイキング開始

うねうねと登りながら振り返ると、右手にはモンブラン山群が見え、メール・ドゥ・グラス氷河の奥にグラン・ジョラス(4208m)が、氷河を挟んでドリュ(3754m)が見渡せるごろごろ路を圧倒されながらも楽しみながら進む

そしてようやくオアシスのようなラックプランが目の前に飛び込んできた。深い青緑した湖面をハイカー達がゆっくりと遊んでいる様子は日本のハイカーのせわしさと少し違うように見受けられた 

  

  ラックプラン                       プランプラへの途中裸のランナーとすれ違う

3時間のハイキングの後、フレジェールに戻りプラに戻ったが満員バスに乗れず、又川沿いを歩いていると氷河の水が滔々と流れる川は勢いがあって夏休みの子供たちがラフティグであっという間に下っていったというのか、流されていったというのか、またサイクリングの一団に追い越されたり、それぞれの夏を楽しんでいる

 

  パラパントの飛ぶ場所で準備中             ゴムボートで川を下る子供たち

夕食は彼が40年前に出会ったN・T氏の夫人Tさんの案内でHアルビナ内のイタリアレストランへ

その料理が美味しかった!前日街で食べたピザが大きくて、不味くて、高かったのでそのリベンジだったが、ピザ、ラザニア、スパゲティ、野菜サラダ、イワシの酢漬け、勿論ワインも飲んで50ユーロ(€)だった!

やはり地元に住まわれている方の案内は確実