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楽居庵

私の備忘録

秋の特別展を回る

2014-10-31 18:13:51 | 展覧会

昨年の秋は出歩かなかったので、今秋はその反動とばかりに茶会と美術館を見る機会に恵まれた。一言コメントで括るにはあまりに雑ではあるが…、備忘録だから…

 まず東博で14年ぶりの「日本国宝展」(~12月17日)、テーマは「祈り、信じる力」、祈り信じる力が正しき、善き、美しきかたちを造りだす、すなわち仏や神への絶対的な信仰がかたちになって絵画にしろ彫刻にしろ、工芸品であっても眼前にくりひろげられる曼荼羅世界であるとみた。

“縄文のビーナスは紀元前3000年前の土偶で実に愛らしい! 正倉院宝物の「鳥毛立女屏風」の天平美人に通じるような…、国宝には失礼なそのような勝手な想像も。後期は11月11日から。

 http://www.tnm.jp/   白嫁菜

「東山御物の美」(足利将軍家の至宝、三井記念美術館、~11月24日)もよく集めに集めたかと思われる。13世紀から15世紀に集中する足利将軍家の唐物趣味は一見に値する。願わくば鑑賞者が唐物世界を理解するうえで、会所という空間で飾る、すなわち君台観左右帳記に表される飾りを展示の唐物道具で飾れば素晴しい会所空間が表現されたのではないか、と思いました。

国宝「油滴天目」茶碗(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)は光の反射によるのでしょうか、所蔵する大阪市立東洋陶磁美術館で見たときの方が自然光らしく生々しかったような気がする。

 http://www.mitsui-museum.jp/  荻

 

「名画を切り、名器を継ぐ 美術にみる愛蔵のかたち」(新創開館5周年記念特別展、根津美術館、~11月3日)

目録で“本展は、将軍や茶人をはじめとする所有者たちによる改変が、どれほどの深い愛情と驚くほどの想像力をもって行なわれたかを名品によって知る機会”と解説しています。

国宝・大聖武で始まる古筆手鑑「翰墨城」を鑑賞するたびに本当に愛してやまなかったと思うのです。日本人の美意識を深く鑑賞できる大切な手鑑です。

そしてもう一つ前期に出展の「崔子玉座右銘」断簡は拝見し損ないました。大師会はこの崔子玉座右銘を入手して益田鈍翁が始められたと膾炙されている断簡(重要文化財)は何時の日か拝見できることを期待して。空海筆の「風信帖」の最初の“風信雲書”の四文字を手習いで臨書した時の圧倒的な筆順を思いだした。

 http://www.nezu-muse.or.jp/  白花桜蓼

「大名茶人 松平不昧の数寄-- -」(開館50周年記念特別展、畠山記念館、~12月14日)はすべて当館所蔵品で展覧している。

油屋肩衝と:圜悟克勤墨蹟(流れ圜悟、現在東京国立博物館蔵)について松平不昧は次のようなことを「道具帖」に書き記している。それは文化8年(1811年)不昧が61歳で隠退し息子月潭に名器類の全てを譲るにあたり、この二点は茶会で使用を禁じ、しかも扱う人物はただ一人、そして隠退した江戸大崎の下屋敷より持ち出しを禁じているという因縁の唐物である。

印象的であったのは、畠山即翁は松江松平家より入手したものも多くあるものの他家や他美術館を経て所蔵した雲州蔵帳の名茶器(例えば古銅増耳花入、彫三島茶碗、備前八角水指など)もあるということは、結局雲州蔵帳の所蔵品は一番ではないかと、開館50周年にふさわしい特別展であった。

不昧は“天下の名物にして一人一家一国の宝にあらずと知るべし”と言葉を残している。折しも4年後の2018年は不昧生誕200年忌である。

http://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/index.html                          

        山帰來  蒲

 力芝

 烏瓜

圧倒的な秋の特別展を鑑賞したせいでしょうか、畠山記念館の帰途立ち寄った白金自然教育園の自然の草草に触れて。

(写真:10月30日自然教育園内で)


超絶技巧!明治工芸の粋 展へ 

2014-05-19 10:05:37 | 展覧会

東京・三井記念美術館で開催中(~7月13日)の美術工芸展で村田コレクションの存在を知った。http://www.mitsui-museum.jp

明治工/芸に七宝の並河靖之を知りたくて数年前に京都の自宅兼工房を訪れたことがあり、七宝の何と細かな技巧かと驚いたことがある。

 その七宝は勿論のこと、牙彫、漆工、自在、金工、印籠、薩摩、刺繍、刀装具の選りすぐりの展覧に驚いた1時間半であった。ともあれ是非とも明治の日本人の精緻な技巧の血が工芸に引き継がれていることを確信した。

 

茶道に関する狭い観点では、漆工の守屋松亭は白山松哉に師事している。さもありなん精密な研出蒔絵を見るに単眼鏡を持参してよかった。他の作品を見るにも必要な小道具でした。

 古田織部四百年遠忌追善茶会

6月11日に茶会が京都であることをこの展覧会のパンフレットで知ったが、生憎出かけられないのが残念!漫画「へいげもの」でつとに知られた織部追善茶会の席持ちの方々は数寄者揃いです。

 

 


金唐革紙展とエピソードを

2014-04-11 09:34:12 | 展覧会

Tawarayaさんという茶友は性能の良いすごーいアンテナを巡らしていて、情報通であるとともに現代アートから古典から勿論茶も、そして韓国料理通でグルメでもあるし、とに角ジャンルこえたすごーい人で動き回ること歩くこと(お母様の看護もなさり)、その方から時々良き情報を得ていた中で一昨日王子の飛鳥山・紙の博物館(http://www.papermuseum.jp/)へ。

 江戸名所図会にも出てくる桜の名所で公園の中に博物館がある。この博物館は紙のことを知りたければ、すべてたちどころに判るというすぐれ場所。今企画展は昭和の半ばに製造技術が忘れ去られていたのを復元した上田尚氏の80歳を記念して開催されている(6月1日まで)。

 上田氏は「金唐革紙」を和紙で模した「金唐紙」は豪奢かつはなやかで、ひとときその美しさに魅了される。私の「金唐革紙」との出合いは旧岩崎邸でみたのが最初で、やはり上田氏が修復を手がけている。

写真:紙博だよりパンフレットより

 さて、桜の満開のころはさぞ賑わっていた公園は今八重桜と山吹の彩りがはなやか、でも金唐紙には負けそう。帰りがけに学芸部長が見学者に説明しているところへ、私は「大高檀紙」のことを質問。「大高檀紙は和紙の規格の大きさになっているのでしょうか?」と。

部長曰く「格調の高い紙で歴代の将軍や大名があらそって朱印状や公式文書に大高檀紙が使われてきました」。そしてその大高檀紙にまつわる想い出を語られたのです。

 

「平成21年当館で紙の博物館創立60周年記念企画展・金唐革紙の魅力 ~過去から未来へ~を催したのですが、天皇皇后陛下もご来館になられました。その2週間前に宮内庁より電話があり28分しか来観時間がありませんと云われました。あわてて80もの想定集を作ったのですが、来館になられる前は頭痛がしたりして緊張しました。当日皇后陛下が“大高檀紙は歌会始の儀に使われていてお書きになられる方はご苦労されているようですよ”とささやくようなお声で話されました」と、そのときの様子を思い出されたのでしょうか。

 次の話も、「自分は京都生まれの京都育ちですがあのようなお方を知りません。もう死んでもいい位でしたよ」と。翌日天皇皇后陛下結婚50年行事を控えられて、そのような超多忙の時に寸暇を惜しんでお出かけになられるのです。

 大高檀紙は皺があるだけに扱いにくい紙なんですね。茶道では釜敷きに大高檀紙を使うのですが、女性にはとても扱いにくい紙です、何しろ胸懐に入れるのですから。よって茶会などに香合をのせる敷物で見られることが多いかもしれません。

 


根津美術館 「井戸茶碗」展覧より 大井戸茶碗九重を

2013-11-30 11:19:42 | 展覧会

 根津美術館で「井戸茶碗 戦国武将が憧れたうつわ」展が開催されている(~12月15日まで)。11月30日の井戸茶碗」展 講演会「茶人と井戸茶碗」千 宗屋氏(武者小路千家 家元後嗣)の講演会にハガキを出し、そのとき展覧を予定していたが、何となく外れる予感がしたので事前に出かけた(結局3倍の応募で落選でした)。

何かの講座のときも西田副館長は、力をこめてでき得る限りの井戸茶碗を集めてみたいと話されていた。テーマで井戸茶碗だけの展覧は、井戸茶碗の命名、所在など不明な点がありこれまで75点の井戸が並んだことはないだけに前評判もあったようだ。

大井戸茶碗 「銘 九重」より 

さて展覧を見ているうちに、懐かしき井戸茶碗に出合った。大井戸茶碗「銘・九重」と大井戸茶碗 「銘・八文字屋」である。東京・五島美術館所蔵の二椀で頂いたことがあった。

井戸茶碗の存在は、まだ茶道駆け出しの身でも手に触れることの出来る大きな魅力であったし、唯一口に触れることのできることでもあった。その茶碗は、昭和55年1月19日五島美術館のさる会の初釜に宗へん流の星先生の席で、この年は干支は庚申に中り、小間茶室「古経楼」にて披露された。

古い帖が出てきたので今一度その時の席を懐かしさに託けて転記してみた。

濃茶席 「古経楼」

床 万代切(朗詠切)  猿 二条為世筆 

 花入 青竹 馬場松堂 切る

 花  曙椿 岡山・少林寺の椿    (岡山から毎年届けられた)

 香合 青磁 桃 酒井家伝来

 釜  芦屋 松竹文      

 炉縁 沢栗 久以

 水指 古備前 矢筈口

 茶入 古瀬戸金華山手 立鼓 比老斎箱

 茶杓 青竹 馬場松堂 作

 茶碗 名物大井戸 銘 九重 松浦家伝来 大正名器鑑蔵

 替  道入黒 銘 三番叟 不見斎箱

 建水 木地曲

 蓋置 青竹引切り

広間 

床 専修寺本歌仙 猿丸太夫 おくやまにもみじふみわけなくしかの…

 花入 古備前 筒

 花  牡丹

 釜  こしき口 会津松平家伝来

 炉縁 高台寺蒔絵

 風炉先 巴透かし

 水指 古備前 甕

 茶器 光琳蒔絵 東下り図

 茶杓 宗完共筒 桜蒔絵

 茶碗 柿の蔕 銘 青柳 遠州箱 あおがきのしぶくながらおちゃうけにあまきは…

 替  旦入赤 銘 雲錦 即中斎箱

 替  古信楽

 建水 砂張 蔵六造

 蓋置 笹蟹 浄益造 即中斎箱

 菓子 マロングラッセ 小川軒

 器  古備前満月鉢、芙蓉手鉢

 もう一席、立礼席の富士見亭で。五島慶太翁は富士山を見ながらお茶を飲めるようにとお客さまは富士山に向かって座り、点前座は四畳隅炉を設えてある。この日富士山が望めたかどうか記憶は定かではないが、現在ほど樹木は高くなかったので風景が広がって武蔵野の面影が残っていたような気がする。

  

点心も贅沢に、鶴の椀に京白味噌仕立、香の物は会主催者で五島美術館出入りの古美術商で故郷の信州から取り寄せた沢庵、野沢菜で器は記録には絵志野四方呼び継ぎの鉢とある。慶太翁と郷里を同じくしていた古美術商は晩年の翁に気に入られ美術館の所蔵品の購入をされていたが、その記録ノートをチラッと拝見したことがあるが、それはそれはすごーい購入記録であった。

  茶室

今改めて会記をながめていると、備前ものが多く使われていたことがわかるが、それをお聞きするのは叶わずすでに故人となられている。

 初参加の初釜の福引で加藤偉三作刷毛目茶碗を引いたことから、この作家の茶碗を後日手にいれることになった思い出がある。つい小春日和の30日、講座聴講の落選から古い記憶を辿ってしまった。(写真はこの茶室で釜を掛けたとき)

 


関西三題 大阪市立東洋陶磁美術館、京都・大原、京博「狩野山楽・山雪展」

2013-05-01 08:59:06 | 展覧会

 大阪市立東洋陶磁美術館へ

急きょ茶会で借りた掛軸を返しに京都へ行くことになったのは、友人夫婦が大阪の東洋陶磁美術館で鼻煙壷のコレクション(2008年沖正一郎コレクション鼻煙壷1200点の寄贈を受けた)を見に行くというので便乗した。彼女は米国居住の間にこのコレクション始めたというコレクターでもある。

   美術館の化粧室

京都国立博物館と日本経済新聞社が主催して安宅コレクション「東洋陶磁展」を開催した1978年、京都まで見に行き感激した。そして2年後の1980年、大阪市が安宅コレクションの寄贈を受けて、中之島公園に専門美術館を建設したが、生憎機会がなく実に31年振りに初めて美術館を訪れた。国宝油滴天目茶碗が自然光で見られる採光システムを実見した。

 

今回は特別展「フインランド・デザイン」と常設展と鼻煙壷コレクションを見て回った。「フインランド~」は、昨年?サントリー美術館で開催されたもの。常設展の東洋陶磁はなつかしく、とくに自然光の油滴天目茶碗はどのように見えるか楽しみであったが、この日は生憎の曇り空で鈍色の感じで金、銀、紺に輝く斑文が確認されにくかった。

 

8世紀の奈良三彩壷、加彩琵琶を持つ婦女俑など見飽きない名品の数々をこの美術館で鑑賞できたことが今回の収穫の一つ。日本陶磁室に「須恵器 皮袋形瓶」の展示、皮袋と聞けば中国元の時代、皮袋瓶を馬に付け草原を疾走した騎馬民族に思いがいく。これは胴部に突帯と竹皮管文を併用し縫い目を表現して忠実に写している。時代を遡ること6世紀の日本の古墳時代の実用、祭器とも、貴重な須恵器に出合った。

 

土佐堀川と堂島川に挟まれたこの美術館の周辺に、息をのむような純白の茨の薔薇が垣根に、ナニワイバラという銘で原種の薔薇は、大輪で一重咲き、以前読んだ梶村啓二著『野いばら』の一節を思いだしたりした。

 京都・大原へ

朝から雨、「張子のてる」とかつて云われたという友人は、「雨だから翠はしっとり、人出は少ないし、庭園の石は濡れているからこそ石本来の美しさがあるのよ!」という私の言い分に「それも一理あるわね」と、一路大原へ向かう。

  華篭と散華

三千院の往生極楽院、客殿、宸殿の堂宇を翠滴る青苔と杉木立、そして半月ほど早く咲いた石楠花を一人占め(いえ三人占めでしたが…)、国宝の阿弥陀三尊像が時あたかも1200年前のお姿でおわしました。

  極楽往生院より

それから勝林院、宝泉院へ、宝泉院の樹齢600年を誇る五葉松を柱と柱の間から眺める。八面六臂の阿修羅像のような松は、霧の大原の里に600年佇立している。丁度昼間だったので抹茶とお菓子のサービスを受ける。

 さて、お昼は芹生の花見弁当を頂いた後、ここから30分程の寂光院へ菜の花畑を抜けながら足を伸ばす。三千院も寂光院も高校の修学旅行以来かもしれないほど、なつかしき山里の地である。

  寂光院参道

建礼門院と後白河法皇が対面した「汀の池のほとり」に枝垂れ桜が散りかけ、華まん草の白、紅が雨に打たれて一段と色鮮やか、「ほら、雨もいいでしょう」と声には出さねど…

  華まん草

思いがけなかったのは、建礼門院八百年御遠忌に当たるという本年のこの日、薩摩琵琶の語りがあるという。

“祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す” 

   良き想い出になった。

これにて軽い森林浴のスケジュールをこなし、帰途京都ホテル・グランヴイアで箱詰めのケーキとコーヒーをご馳走になり解散。

 

「狩野山楽・山雪展」へ(京都国立博物館)

朝、見事な快晴、それではと予定のなかった本願寺の別邸「渉成園」へ徒歩にて。枳殻邸の由来とも謂われるからたちの生垣に白い花がチラホラと。からたちの花が咲いたよ しろいしろい花が咲いたよ”

すべて生きとし生けるものが清く思われる朝、ここよりまたトホで東山7条の京博へ、約30分の散歩。

 狩野永徳の後継者に連なる狩野山楽と山雪、パンフレットのフレーズ“これぞ永徳ゆずりの迫力の大画面、圧巻の障壁画群”、この一言の解説がすべてを語る。京都の寺に納まる山楽筆「紅梅図襖、牡丹図襖」(大覚寺)、「龍虎図屏風」(妙心寺)、山楽・山雪筆「朝顔図襖」(天球院)の金の輝きはいかばかりか、想像すると信長に追いつき追いこせの秀吉のよく言えばディレッタント的か?

明治初年、アメリカの中部(ミネアポリス美術館)と東部(メトロポリタン美術館)に分かれて渡った山雪描くところの襖の表と裏の襖絵(群仙図と老梅図)がここ京博で50年ぶりに再会、下手な表現だがこの老梅は老いていても老いていないし、群仙図は貴賓方の遊んでいるさまが手に取るように楽しい。

 

さて、京狩野派、山楽・山雪を堪能した後、歩いて数分の智積院へ。ここに長谷川等伯・久蔵親子の国宝障壁画「楓図・桜図」が収蔵庫に納まっている。先だって『等伯』を読んだだけに、是非とも。

 やはり長谷川等伯は安土桃山時代の巨人であり、日本の誇るべき美の継承者であると感動、確信。智積院の庭園も良かった。


展覧会「幸之助と伝統工芸」

2013-04-13 13:04:31 | 展覧会

パナソニック汐留ミュージアム開館10周年記念特別展「幸之助と伝統工芸」の内覧会へ。

京都在住の義兄に届いた案内の代理として出席した。

義兄は父である型絵染作家が死去した時、松下幸之助氏より弔電でその死を惜しまれたと話された。

 

“伝統工芸は日本のものづくりの原点である”の姿勢を終生持ち続けた松下幸之助が、

収集作品を通して伝統文化との関わりを紹介している展覧会である。

 今回、幸之助と茶道との出会いが展示作品、図録より具体的にわかり面白かった。

裏千十四代淡々斎家元との縁で茶道に深く関わり、

幸之助が揮毫する「素直な心」が茶道に由来することなど、

「経営の神様」幸之助を知る展覧会でもある。

前期(4/13-5/28)、中期(5/30-7/9)、後期(7/11-8/25)と長期にわたり開催される。

http://panasonic.co.jp/es/museum/


王義之展 & オリエント美術展

2013-01-24 23:01:01 | 展覧会

王義之展

東京上野の東京国立博物館で「書聖 王義之」特別展が22日から開催されている(3/3まで)。これほどの王義之の一等資料の展覧会は、日中国交正常化40周年にあたる特別展だからこそ。

 裸木のユリノキ

一言で表すと、パンフレットのキャッチフレーズ「書を芸術にした男」、圧倒されるばかりの書聖・王義之の遺墨である。品格のある書はかくあるもの、見ているだけで魂が浄化されるような。

 

パンフレットの一文によると、

“中国4世紀の東晋時代に活躍した王義之(303~361)は、従来の書法を飛躍的に高めました。生前から高い評価を得ていた王義之の書は、没後も歴代の皇帝に愛され、王義之信仰とも言うべき状況を形成します。王義之の神格化に拍車をかけたのは、唐の太宗皇帝でした。太宗は全国に散在する王義之の書を収集し、宮中に秘蔵するとともに、精巧な複製を作らせ臣下に下賜して王義之の書を賞揚したのです。しかし、それゆえに王義之の最高傑作である蘭亭序は、太宗皇帝が眠る昭陵に副葬され、後世の人々が見ることが出来なくなりました。その他の王義之の書も戦乱などで失われ、現在、王義之の真蹟は一つも残されていません。そのため、宮廷で作られた精巧な複製は、王義之の字姿を類推するうえで、もっとも信頼の置ける一等資料となります。この展覧会では、内外に収蔵されている王義之の名品を通して、王義之が歴史的に果たした役割を再検証いたします”

 真蹟は一つも残されていないものの、複製に歴代の皇帝が賞揚した証しである朱印を数多く押している帖をみると、書聖王義之の神格化が現実味を帯びてくるような気がする。

 疲れた目を休めてくれてほっとする王義之のエピソードもあって楽しい冬の東博でした。

 「オリエント美術」展

中近東文化センター(東京三鷹市)改修工事により、所蔵の名品展が出光美術館で開催中である(3/24まで)。この展覧会はフットワークの良い方のブログを読んでいたのと、ガラスの好きな友人よりのお誘いで寒風の中の外出。

 紀元前4千年紀の山羊文台深鉢土器は、人類がいたの?なんていう気が遠くなるメソポタミア文明の遺産だし、前10-6世紀の女性土偶(イラン)は日本の埴輪に通じるようなおおらかな愛らしさがあって美しいとさえ思ったりした。

 ガラスの美と称して出品された“香油瓶”もまことに華麗で繊細で、地中海地域の海の如く(私は行ったことがないけれど)のよう。同行の友人は、昨年地中海クルーズを2週間かけて遊んでいるし、香油瓶ならぬ鼻煙壷のコレクションをしているので楽しそうにのぞいている。

 ラスター彩といえば、その再現を実現した日本の陶芸家、加藤卓男氏の作品からラスター彩を知ったのでイランのラスター彩も身近に感じられて、「お久しぶりね」という感じがする。

 それで展覧を見ているうちに「確か我が家にもイランのラスター彩もどきの鉢があったわ」と思い出した。それは伯父の形見で箱に「約800年前のイランで作られたもので表面は銀化している」という伯母のメモとmade in W.Germanyという札がついていた。

 

本物かどうか怪しかったので、その当時鑑定家の岩崎氏と安岡氏らの鑑定ショーが近所で開催という新聞記事を読んで、実は出してみたのだ!やはりmade in W.Germanyの札が決めてとなり(今から考えると当たり前だけど)、あっさりと「ドイツで作られた土産品でしょう。発掘品と同じように制作して、掘り起こした時に金属棒がかちんと当たる、その当ったところが穴があくので、その穴も同じようにあけて補修している」という顛末話。要するに発掘品のレプリカらしい。でも面白い体験、鑑定価格はひみつ。

そんな話しを近くの帝国ホテルのラウンジで三時ならぬ「アフターヌーンティーランチ」を頂きながら笑い話をしたのでした。ランチはご夫妻のおごりで美味しかった!

 


秋暑の美術館巡り

2012-09-16 09:31:26 | 展覧会

上野東京国立博物館

常設展でも何時出かけても名品に出会えるのに、実際はなかなか足が向かない。それが当館の140周年特別陳列「広田不孤斎の茶道具」を組んでいた。彼は戦前の中国陶磁を初めとして鑑賞陶器分野の第一人者であるのは誰しも首肯するかと思う。東博に収集品のすべて496点を寄贈したことでも有名、第一級品であるに違いない。

茶の美術で欠かせない不孤斎寄贈の名品の数々は、今はガラスケースの中に収まり眺めるたびに何か白々しい気分になることがある。そんな気持ちを代弁したある古美術商の方は、「あのように東博に収まってしまったのが残念なのですよ」と呟いた一言が耳に残っている。

 確かに収まったからには流通しない、私は使ってこその道具もあるのではないだろうか。そして次世代に引き継がれていく、その過程を踏まずに収まってしまった道具、哀れに思えることもある。

  その点、南宋官窯の「青磁形花入」は美しい。

 平家物語画帖 根津美術館                                     

『平家物語』を120図の扇形の紙に絵画化した「平家物語画帖」を前後期で全画面紹介するという企画。

1月の北京故宮博物院の「清明上河図」の時もそうであったが、巻物を全部開いて見せるという展示のしかたが流行っているらしい。

江戸時代の作品で詞書と絵で構成され、追い詰められていく平家の武者たちを彩色も美しく展開されていく。

平重盛は清盛の嫡子、その重盛と宋青磁茶碗との関係に興味が引かれる。それは例の国宝「馬蝗絆」茶碗のことである。大名物として数多くの添状をもっているが、先日偶然にも古い淡交誌を読んでいたら高橋杓庵が伊藤東涯の添状を和訳して載せていた。「馬蝗絆」茶碗のその後の流転の話である

 

「馬蝗絆」茶碗は、平重盛が宋の育王山に黄金を寄付せしその返礼として仏照徳光禅師より金渡墨蹟(徳川家蔵)と共に贈らる。その後、足利義政所持し、その底に割目ある故、明国に送り、同種の茶碗に代えんとしたが、当時明国にては、かかる名器は得べからずとて、釘匠をしてその割目に鎹をうたしめたがために反って趣を添ゆ、義政侍臣吉田宗林に与う。吉田家は後の角倉家なり、了意以下これを伝え、宗林九世の孫玄慎の時代、すなわち享保12年春、伊藤東涯は角倉にて拝見し、需に応じて記文を作る。その後室町三井家の有になる。

国宝「古今集和歌集序と日本の書」

地下鉄六本木1丁目から桜並木の坂道を上がるといつも変わらぬたたずまいの大倉集古館がホテルオークラの一隅にある。三ヵ年に渡る修理後に初公開された仮名序の完本とのこと、千年の時を経て唐紙33枚を繋ぎあわせた色とりどりの料紙は雲母刷りなどで草花や人物などさまざまな模様が刷り出されている。その料紙に流麗な草仮名が揮毫されていて見飽きぬことはない。

 書写当時の原形をとどめて今日まで伝存する料紙は、千年前の平安貴族の耽美趣味を修復により見事に息を吹き返した。更にこの料紙は、中国宋渡りの唐紙の製法をわが国工人が倣って作った、いわゆる和製唐紙であった、と知った。理屈なく美しい料紙と流麗な筆使いに暑さも忘れる思いだった。

船田玉樹展

日経の文化欄のコメントとある方のブログを読んで最終日に足を運んだ。

サブタイトル:船田玉樹—異端にして正統、孤高の画人生

 

タイトル「花の夕」は、桃の樹を描いているが、何ともいえなく心が落ち着き、そして華やかにする。一方、琳派風の屏風絵、水墨による抽象作品、河童の絵、油彩画など初めて目にするもの、その中でも水墨画の連作「九品仏の四季」が「花の夕」と対比して異端にして正統ではないかと勝手に思った次第。

 この練馬区立美術館は今年で27年目を迎えた区立でも異色の美術館であると思う。hpでも“日本の近現代美術を中心に、斬新な視点、切り口で開館以来150の企画展を開催”としている。

 琵琶湖をめぐる近江路の神と仏 名宝展

三井記念美術館の入る日本橋三井タワー1階アトリウムに写真パネルを展示して、待ち合わせするには丁度良い。

とに角、重文(国宝3点含む)だらけの仏像を集めたのはすごい!かつての大パトロンを髣髴させるような三井の力を見る思いである。仏様と一点、一点ゆっくりと対面しながら…

                                                      

近江の各地域に散らばっている寺から運ばれてきている。仏教文化がいち早く流入した近江は、神と仏が融合した信仰がうまれ、戦渦のときや災害のときは地域の人々はあらゆる手を尽くして守り抜いてきたという。各地域に息づいている神仏は精神的な支えであったろうか。

 私も井上靖著「星と祭」を読んで途端に火がついて琵琶湖の確か高月駅に降り、タクシーで寺を回ったことがある。かれこれ40年前の古き想い出である。記憶もおぼろげではあるが、観音様を拝観する、観音堂は常には閉じられていて、拝観するには鍵を預っている家を探し開けて頂くということをした記憶がある。そしてどの観音堂かもう忘れてしまったが、「この観音様は戦火のとき、地中に埋めて守ったのです」という一言が印象に残っている。

 今回展示されていた「十一面観音立像」(円満寺)は全体的にやや簡素、素朴で温和、このような観音様が多かったような気がする。期間中にもう一度行ってみたい。

契丹 草原の王朝

契丹はイコール遼王朝であることは、恥ずかしながら知らなかった。先月軽井沢の納涼茶会で床に置かれた花入が遼の「白磁皮嚢壷」(はくじひのうこ)であった。席主はこの壷を花入に見立て、「秋草をさまざま入れてみたがどの花もピンとこないのでアンスリュムと添えに白き花(名前を失念)を入れてみました」と云われた(席主はこの花入を「白釉鶏冠壷」と呼んでいた)。この時点で東京芸術大学美術館で「契丹展」を開催していることに気が付かなかったのは、残念!

        

その遼の「白磁皮嚢壷」が契丹初代皇帝と第2代皇帝のもとで活躍した重臣「耶律羽之墓(やりつうしはか)」の10世紀前半(942年)出土した壷だった。その他緑釉鶏冠壷(11~12世紀)、白釉緑彩皮嚢壷、白磁皮嚢壷、黒釉皮嚢壷も「耶律羽之墓」の墓から出土、にわかに皮嚢壷に注目してしまった。

 その二週間前にも出光美術館「東洋の白いやきもの」展で白磁皮嚢壷(遼時代、高さ24.6cm)を見て興奮したばかり、このように3箇所で続けて遼時代の皮嚢壷を見るなんて何という偶然でしょう! 

 世界初公開50件、一級品が続々の文物を見る機会に辛くも間にあった。10世紀初頭に広大なモンゴル草原で生れた遊牧民の王朝文化は滅亡までの200年、豪華絢爛な出土品から契丹至宝を垣間見ることができた夏休みであった。


東京の軽井沢? ミッドタウンでランチ

2012-05-29 09:01:40 | 展覧会

先月サントリー美術館の「毛利家の至宝」展を慌しくみたので、先日又出かけた

今回の目的は、井戸茶碗「毛利井戸」(出光美術館蔵)をもう一度みたくて

 

井戸茶碗をガラスケースの四方から眺められるのも、サントリー美術館の展示の強み

照明との関係もあるかもしれないが、非常に美しく端正な姿は見ていて飽きない

いつの頃に毛利家から出たのであろうか

 大井戸茶碗の「常盤」もかいらぎの見事さで大井戸の風格があるが、好みでいえば「毛利井戸」に軍配をあげたい

いつも思うのだけど、現代の作家にも100年後、200年後、300年後の井戸茶碗をみてみたいとおもう優れものの井戸茶碗がある

 まして現代の作家は、あれこれの名品をみての作陶だから自分の作品の行く末が気にならないだろうかと、他人事ながら…

 そういう私も、日本に15歳まで住み戦後韓国に帰った陶工の井戸茶碗をかれこれ30数年愛用している

この茶碗は身びいきながら井戸の特長をほぼ持っていて、数少ない茶事、茶会にはつい使ってしまう

「早く良くなれ、よくなれ!」と念じている自分に苦笑しながら…

 

良いものは残り、そうでないものは消えていく…そんな道具類の運命を道具を造るのも人、道具に命を吹き込むのも人

そう考えていたら、先だって手に取りその茶碗で頂いた当代楽吉左衛門氏の茶碗に思いが至った

 

古萩茶碗には、如何にも野武士のような力強さを感じる

高台が高く祭器を思わせるような古萩は、萩の七化けにはほど遠い硬い焼き締めのように見受けられた 

サントリー美術館・東京ミッドタウン5周年記念の至宝展であった

ミッドタウンが位置するところは、もとはいえば毛利家の江戸麻布屋敷と呼ばれる下屋敷跡

藩主が御表御殿で公務を行なった付近らしい

 一階のガーデンテラスでは、自由にテラスに出入りできて読書したり、ランチをとったり、お喋りしたりできる自由空間、

 

この日はTさんお薦めの山本兼一著「とびきり屋見立て帖 赤絵そうめん」を読みながらランチ

とどのつまり、景徳鎮官窯萬歴赤絵の鉢にそうめんをうかべて食べるいきさつとなる

水鳥と蓮文、魚藻文、雲と竜文、唐子と牡丹の金襴手、松に鶴、池に鷺、桃の吉祥文…

作者も美術館で見たのかもしれない、いえ実際赤絵の鉢でそうめん浮かべながらこの推理をしたのかもしれない

いいなあ~

 


「信長、秀吉、家康 天下取りの書状展」へ

2012-05-04 08:42:19 | 展覧会

G.Wというのに大雨の中,友人のお誘いで羽田空港discovery -museumへ

空港施設の中に美術館があるなんてびっくり!

ただHPをみて興味がそそられた

天下取りの信長は”本能寺の変”の約1ヶ月前4月24日細川藤孝(幽齋)宛ての最後の書状は、信長の朱印状

 織田信長朱印状

次の天下取りの秀吉は、天下統一にむけて細川忠興(三齋)へ知行宛行状(ちぎょうあてがいじょう)を出し手を打つ書状

 豊臣秀吉知行宛行状

関が原の戦い直前、最後の天下取り家康は、細川忠興(三齋)あての書状で展開された戦略

 と、永青文庫蔵の14通の書状で天下取りを明らかにしていくストーリーは、歴史が明らかな現代でも推理小説的で三人の天下取りが、今ここでも続いているような生々しい書状であった

 明智光秀から細川親子宛の覚書

この日はギャラリートークがあり学芸員による書状の解説と「歴ドル美甘子」出題のクイズがあった。三択クイズ

① 武将はお互いにどのように呼びあっていたか?  答え:官名

② 武将はトイレをどのようにしたか?  穴を掘る

③ 武将の風呂は?  蒸し風呂

④ 武将は戦いで怪我をしたときの止血法は?  馬糞

⑤ 武将は何時に起きたか?  午前4時

⑥ 武将への戦功の褒美は?  茶器

⑦ 移動できるプレハブ住宅は?  茶室

⑧ 武将の年間給料は?  150万円

⑨ 武将はいつ酒を飲んだか?  何かにつけて

⑩ 武将の遊びは?  囲碁と将棋              

私は⑤の答えを起床午前3時として間違い、9問が正解

羽田空港はG.W最中とあって大変な賑わいであったが、ここだけはエポックの一隅でした


初春3題 骨董ジャンボリー、初春茶会、「百椿図」展覧会

2012-01-07 22:08:20 | 展覧会

6日、骨董ジャンボリー(東京国際展示場東京ビックサイト)に出かけた

たまたまPCの網に引っかかったので初めてどんなものか覗き趣味で

自分に目利きがないせいか、ほとんど価値がわからない

が、一点懐石で欲しかったものが見付かった、5千円なり

 

実は、梶川の名の入ったふくら雀の蒔絵が五客、煮物椀であって実に良かったので

買おうと思ったがそれが無知なる者、一客の値段を五客の値段と間違ってしまったのだ

 

ふくら雀の可愛らしさにも引かれたが、江戸将軍家の御用絵師だった梶川家のは当然

値の張るもの、少し勉強させていただいた

 

ジャンボリー会場の先で東京消防庁の出初式をやっているというので、野次馬根性丸出しで

覗いてみたが、すでに帰り支度しているところ、残念!

 

  後姿だけ

その一角で、袴姿のイケメンが茶会の呼び込みをやっていたので、フラフラと席についてしまった

今度は妙齢の女性が司会をつとめて、菓子は神楽坂の干支の龍の最中と薄茶一服

その最中の美味しかったこと! それも全部タダ!

今年ははなから縁起が良い

        この棚が気に入った

今日7日、根津美術館へ

「百椿図」(ひゃくちんず)という

さまざまな器を花器に見立てて椿を描いている、さまはアイデアに溢れたフラワーアレンジメント

江戸時代こんなに椿の種類があったのか、眺めて楽しい展覧会

 

 根津美術館エントランス

 カタログ

         


再び 東博「北京故宮博物院 清明上河図」を

2012-01-05 21:45:12 | 展覧会

正月2日に続いて東博平成館へ

友人も2日に行って「清明上河図巻」を観るのに、待ち時間120分に付き合いきれず、

というメールが入り、それでは裏技を使って朝一番、二階の第1部の「清明上河図巻」の

部屋から入りましょう、という目論見で今朝9時15分に待ち合わせたが、

そのときはもう数百人が並んでいる!

西高東低の冬型だったが気持ちの良い朝、外でかれこれ20分位待ち、館内へ入り

目論見どおり突撃しようと思ったが、敵もさるもの前に並んでいた数百人も

同じ考えで2階の外でかれこれ30分くらい待ち、ようやく5.28mの図巻に近づくことが出来

た。

 パンフレット

何しろ800人の人物が所狭しと描かれているので、単眼鏡で目を凝らしながら観ていくと、

「歩きながらみてください」と、スタッフは遠慮勝ちに、でも毅然と先を急がせる。

でも分らないでもない、外には大勢の人が待っているのだから…

でも今日5日の状況は、2日と少し違うかもしてない。

正月休みの三が日も終わり、外での長蛇の列は今日はほとんどなし、

館内の待ち時間だけ。

だから平日と土日の混雑は少し違うかもしれない。

友人は図巻の最後の方、「城内をくぐっていくラクダの隊商をみたかったから、

並んで観たけれど、そんな価値があったのかしら」と疑問を投げかけていた。

私は宋時代の四代書家・蔡襄の行楷書や行書の手紙が気に入った。

また、康熙帝南巡図巻も清時代と新しいが、広くて果てしない国土を巡行し、

康熙帝が紫禁城に帰ってくる行列図もまた興味津々であった。

それからいろいろ興味は尽きなかったけれど、今日はこれまで、

博物館のホテルオークラのレストランでカキフライとコーヒーとシホンケーキテでランチを済ませ解散。

 

 

 

 

 


晦日の柴又帝釈天と正月2日の東博「北京故宮博物院200選」

2012-01-02 21:15:29 | 展覧会

例年晦日に所属のランニング同好会の行事があり、今年のラン組は、江戸川サイクリングロード、柴又帝釈天、しばられ地蔵、水元公園へ12キロ、私はウォーキング組6人で吟行をやりながらの7.5キロとなった 

 

柴又駅を出ると、寅さんが例の背広を着てトランクを持った銅像が

晦日の冬空を見上げている 

柴又は映画でお馴染みの所ばかり

 

参道では元日の参拝客を迎える準備が万端整っている

鐘楼にも注連飾り

 

 しばられ地蔵

 

  水元公園

 

しばられ地蔵の発想が面白い

願いごとをするため縄で地蔵をしばり、願いごとが叶ったら縄をほどく

そのため地蔵さまは頭のてっぺんまでぐるぐる巻き

願いごとばかりで、ほどくことが少ないのかしら

ランニング組と”とらや”蕎麦屋で合流し打上げする

暮とて肩身が狭い思いして出てきた男性は早々にして解散

 

さて、混乱、混沌とした年も開けた2日、上野の東博へ

この特別展は絶対混むと思い、朝920分頃東博に着いたらもう入場していて、

会場の平成館に入るまで約20分位

 

 右側に入場待ちの人々が並んでいる

 

一言で言えば清朝六代皇帝乾隆帝(17111799)の栄耀栄華の極みを感じたことであった

皇帝が私的にくつろいだ「三希堂」が再現されていて、その文物たるやあっけにとられるのみ

 

「清明上河図」は最後になってしまったので、一時間待ちとか

日を改めて再度行くことにした

 

2日”博物館に初もうで”のイベントが本館前でいろいろ催されてかなりの人出

 

 

  獅子舞

 

 

 金龍の舞

 

 金龍の舞

 

  

早く鑑賞するためのコツは、開館と同時に入り、第一部「故宮博物院の至宝」の出口から入ることを

お奨めする

新聞によると、この図は800人の人生が詰まった5㍍の絵巻物だそうだ


仕覆展へ

2011-10-29 18:25:24 | 展覧会

茶友より仕覆展のご案内をいただいた

その方の先生・小林芙佐子氏の作品が主の作品展だったが、友人も何点か出され

茶碗の袋や茶箱の振出しまで編まれたり、短い年数でとは思えないくらいの仕上がり

 

先生は鎌倉時代の古布、東南アジアの更紗、江戸時代の瀟洒な間道などなどで仕覆を仕立ているので、拝見していても飽きない

 

 

箱や篭に合わせて中の物を収集していくうちにはまっていく茶道具であるが、

その小さな物に着せる袋の何と可愛らしいことか!

 

先生のお許しを得て写真を撮らせていただいた

 

私の数少ない振出しや茶碗におべべを着せたくなった作品群拝見のひと時でした

 

 

 


H.H.さんへ その2

2011-10-26 09:45:10 | 展覧会

二つの美術館を掛け持ちしたら、昼をかなり回ってしまいました 

それでお奨めの蓬莱軒の「ひつまぶし」(松坂屋名古屋店南館10階)を頂きました 

四通りにわけて頂くひつまぶしは噂にたがわず美味しかったです

 

この日の最後は、同美術館7階「茶碗を生きる・楽歴代と時代を語る名碗」です

当展覧会をプロデュースした当代楽吉左衛門氏の言葉で解説したほうが…パンフレットから抜粋します

 

「その小さな茶を飲むための容器が、人生を語り、自然観や深い思想を内包し、まさに人生の同伴者としてその折々にふれ人の心をはげしく揺さぶり、また、時を忘じ静かに心の対話を交わすことができる、茶碗とはそうしたものではないでしょうか」

 

歴代の楽茶碗や名碗を持っているわけではありませんが、自分にとりましても店の前を行きつ戻りつ

「どうしようか、買おうか、止めようか」とか、一目ぼれして手に入れた茶碗、

茶会で使ったときお客様から「良いですね」とほめられて、「清水の舞台から飛び降りて良かった!」

(私の物差しで計った清水の舞台です)と、対話を交わす茶碗との出合いは年齢を重ねた今、

言えることなのかもしれませんね

 

 

さて、本題に戻ります

彫刻家としての経歴を持つ当代楽吉左衛門氏は、飲まれた方から「どこから飲んでよいかわからない、使いにくい」など言われたが、「それは確信犯としての茶碗」と言っている

その茶碗で、人生を語らせ、人生の同伴者の茶碗として使って欲しいという自信が、また願望があるに違いないと、私は「焼貫黒楽茶碗 銘 白露」などを拝見して思いました

 

H.H.さん、11月27日までやっていますので、是非“吉左衛門楽”をご覧ください

T.T.さん、この展覧会をご紹介くださりありがとうございました

 

選ばれた名品だけに、どの茶碗もうならせるものばかりでしたが、

タイトル「侘びの極致と躍動する桃山」の茶碗の中で、何故か

「志野橋文茶碗 銘 住吉」「志野茶碗 銘 通天」「志野茶碗 銘 老いの友」に惹かれました

 

志野の土の黄味のあるやわらかいもぐさ土に長石釉がかかった志野茶碗は、

この時代に必然的に生まれた茶碗でしょうか

 

「住吉」といい、「通天」といい、銘から察すると関西の数寄者の持ち物と勝手に想像を広げてしまったのは、イメージトレーニングしがちの悪しき性格?

 

明日は、徳川美術館茶会です

雨がかなりはげしく降りだしました