楽居庵

私の備忘録

歳晩の茶事へ 不染庵

2014-12-22 10:51:56 | 茶事

 そもそものきっかけは

昨年の箱根大文字焼き茶会へ強羅・白雲洞茶苑に出かけたのが事の発端であった。茶苑のひとつ対字斎の広間で点火されるまでの間に薄茶が点てられた。

 この対字斎は白雲洞の二代目の庵主、三渓翁が建てられ文字通り広縁の正面に「大文字」の大の字が望まれる。席の掛物は横一行「風月双清」確か慈雲の筆と記憶している。その席に団扇が暑さをしのぐために置かれていた。松虫草が涼しげに描かれた団扇を所望して持ち帰ったのでした。裏面に“まつむし草咲きわたる野をなつかしみ湖のむかふ山にけふ来し”の詠を。

そうこうする内に年月がたち

今秋、旅先で大津絵の松山の店に立ち寄ったところ「雷公の太鼓釣」という団扇をみつけた。団扇には団扇でお返しという筋書きを勝手に思い立ちお届けした。軽い気持ちでの一件がこの度のお茶事のお招きの次第となったのでした。“瓢箪からこま”とは、落とした太鼓を吊り上げた私とは、とまた勝手な解釈ながら天下の箱根路を友人とともに越えた。

 茶をされる方はかくあるべきなのでしょうか、私のこの一事に不染庵に火を入れて頂いた尊さは歳晩の忘れがたき茶事になりました。仰木魯堂設計の不染庵は二畳台目向板向切下座床という造りにて、柾目の見事な床に床柱は河村瑞賢ゆかり、炉縁は妙心寺山門古材という本席に四畳半の寄付が付いているという贅沢さ。鈍翁はこの庵でどのような茶事をしたのであろうか。

白雲洞hpより

さて4名で11時半の席入を

壁床に正倉院御物で人々に膾炙されている「羊木臈纈屏風」写し、前には文房至宝飾り、そして例の団扇が添えられているではありませんか。席主の格調の高い寄付に「何でしょう?」という雰囲気で連客の方々が口々に。

 

席主自ら運ばれた甘酒で温もり、いよいよ不染庵へ寄付よりにじる。正面の掛物は鮮やかな翠料紙に金彩が棚引く小色紙に藤原定家朝臣の歌と、短冊は差し込まれて雁が飛ぶさま。にこやかにS氏が入られ、一人ひとり丁寧にご挨拶されて不染庵はいよいよ。不染庵に久方ぶりに火が入って灰に温もりが移り種炭が真っ赤になった炉中の景色は捨てがたく。高麗の匙かとみえる灰匙は曲線美を、そこに炭と枝炭がそえられると三色の色合いとなって釜がかけられ湯が沸くまでの一時を懐石にて待つ。

 その前に掛物の話

「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の…」の筆は尊円法親王が鎌倉期に青蓮院流の書派をたてられたとのこと、流麗な中に格調高い筆と拝見する。そして席主は表装の話におよんで、よくよく眺めているうちにアラベスク文様と確信されたと語る。どのような方がアラベスク文様を表装に選んだのでしょうか。見渡せばこの不染庵の在る白雲洞も散落葉が色を失い露地や石段を埋め尽くしていた。枝にあるときにはこの不染庵は真っ赤に染まっていたのであろうかと…。

 いつも話が脱線してしまいます、香合に話を戻すと身と蓋は別物でS氏が中国の調査ツアーに同行した折に入手されたようで、蓋は焼くときの窯道具のトチンだそうで、それを蓋に使う発想の自由さに驚きよくよく窯道具に詳しくないとトチンとはわからない。

時分となり、

急こしらえと持出されながらも四つ椀も。お汁の美味しいこと汁替えまでして下さり地元の点心の心配りも。私が喜んで参上したばかりのお忙しさに恐縮、とは言いつつも席主が持出された御酒は諏訪神社の封を切った青白磁壷より頂く。S氏は全く受け付けないとのことで客同士で…。

そうこうする内に縁高に銀杏色した金団をいただき中立ちとなる。その金団は席主のご主人が作られたとか!お詰の方が「席主にはお抱えの職人さんが控えていらっしゃるのよ」という話よりお菓子は短期間の間に習得されたとか。遜色のない味におもてなしの極意を感じた。

 後入りとなる

床正面に秀麗で端正な姿の白磁水注に東洋蘭が。各々方が思い当たるようなはてな顔でいずれ席主の話しを心待ちに。ハンネラにあわせ蓋の水指、その前に茶入を置き合わせて。たっぷりの水を含ませたハンネラ水指が釜の湯気にも負けず土ながらの膚が美しく。

 

持出された茶碗は形から和物茶碗、炉を常に使用していれば湯の沸きようも左程心配ないが、今日は随分と気を使われたのではと思いつつ茶碗が温められ香り高い濃茶が点った。この度は団扇の一件により正客の座を頂いたので最初の一啜をありがたく頂く。茶碗を手にしてさて何処の窯でしょうと首をひねりつつ、美味しかった。嘉辰の昔は当代のお好みにて渋く抹茶らしい味であった。

 さて席主は桃山は後の方で唐九郎の箱書のある志野茶碗と話される。鉄絵も一筆に豪快ながらも味のある雰囲気の茶碗、桃山数十年の時代を思えば誰が焼いたのか明らかではないのは当然かもしれない。濃茶を頂いたので花入のことに及ぶと、南宋の手付白磁水注にて手付きと口の曲線の優美な姿に寒蘭を入れて。寒蘭を栽培している方より分けていただいたと話されるが、原産地の中国の寒蘭と南宋の水注の取り合わせが何とも格調高く、中国の古き良きものを審美眼で好まれる席主の心のこもった床荘りであった。

 拝見の茶入、茶杓

仕覆より出された茶入は磁州窯とのこと、肩があり言葉が足らないが中国の唐花風であって時代を失念。その茶入の仕覆は席主自らの仕立てにて、軸を表装される出入りの方より分けていただいた紺黒地地紋のある紗合せで茶室では地紋も判別できないので障子を開け何とか見出すも、年々目力が弱く残念。そして釜の蓋をしっかりと受止めている蓋置は席主がお住いの芦ノ湖畔の蘆をつんだもの。枯蘆をそろえて切られた由、勿論伴侶の製作にて頭をきちんとそろえるのは意外とむずかしいのではと皆でいじくり回ししたりして。

 続いて薄茶となり

朝鮮李朝の足付の大きな漆絵の盆に大徳寺納豆の少し入った何というのか口に含んだ途端に美味しい!と口走ってしまった干菓子と薄氷のような菓子(両菓子銘とも失念!)のおもてなしにて数々の茶碗、明染付、祥瑞手、文字天目釉などS席主のお好きな茶碗で一服を味わう。薄器はペルシャの小壷の銀化したのが見える。上に乗せた茶杓は正倉院古材、天平の古い時代をこよなく愛されて銘を「ふるごと」と名付けられ、共筒は合作。

 なおなお去りがたかったが冬至十日前のこの日、白雲洞は冬仕度の最中、振り返ればS夫妻のお見送りの礼に大和こころをいただき極月にふさわしい茶事の締めくくりであった。備忘録のこの日は冬至、旧11月1日でもあり朔旦冬至となりめでたい瑞兆でもあり、めでたしで結びと致します。ありがとうございました。