楽居庵

私の備忘録

最後になるかも? 登山マラソン

2013-05-31 12:46:29 | その他

奥信濃に木島平というスキー場がある。高社山(1352m)の麓に位置するところで26日登山マラソンが開催された。4月、5月の茶会も終わると一段落するので、数年ぶりにエントリーだけはしていた。

9時スタート、12時半ゴールの3時間半、12.3キロのレース、高低差約700m、高社山頂上までは5キロ登りのみの行程に2時間の制限時間が課せられている。初めて参加する場所だけにイメージがわかないが、とに角スタートラインに。300人位の小さな集団でもあるが周りを見渡すと高校生、20,30,40代の男女が大半占めている。

   スタート地点と高社山遠景  

スタート地点からみる高社山はかなり遠くに見える。家人と健闘を交わしスキー場のリフト付近のスロープを走り始めたというか、実際は歩き始めたのだけど……。集団はみるみる遠ざかり一人旅なると思いきや、うしろに男女のペアが付いてきた。後はただただ頂上を目指すのみ、登るにつれ足元に一輪草が広がり、思わず茶花に使いたい!またかたくり、岩鏡など踏みつけてしまいそうなコース上に咲いていたり、辛夷に似たタムシバの花、それはいっとき心休まるシーンではあったが気持ちに余裕がなく気温もぐんぐんと上昇し30℃位の厳しい暑さ。

  一輪草と岩鏡

ピークに制限時間内に辛うじて着いたところ、ここはまだ4.3キロ位だとか。残り8キロを1時間40分で降りなければならない。このレースはかなりアバウトで給水も2ヶ所のみ、最終ランナーとあって水もこれだけというコップ1杯しかない。太陽はギラギラ、後頭部はひりひり、膚には決して良くないことをしているのだと思いつつ後悔先に立たず、

     

         かたくり                          タムシバの花  

 さて下山に入ると、三脚を据えたカメラマンがぶなの花(でしょうか?)を撮っていたり、ハイカーのグループとすれ違ったりしながらロープ、くさり場もあったりの急坂を下りながら高度を下げていく。

 

 

 

 

 山中のコース

 大会コース

 ここでも慰められたのは、新緑の木々の合間に線刻の石仏たち、釈迦如来、地蔵菩薩、観音菩薩、大日如来、虚空蔵菩薩に出合い、高社山(たかやしろさん、こうしゃさんとも云う)が山岳信仰の山だと気付かされた。それぞれの石仏に無事完走できるように都合よく手を合せたりして。

 頂上から

 石仏に願掛けしたのに途中目印のリボンを見失い結局5分のロスタイム、それは前にも後にも誰もいない一人旅だったという訳で、こんなことは初めてでそろそろ体力の限界かなと感じた。でも三浦雄一郎さんが80才でエベレストを登頂したことが頭をよぎったりして残りの3キロを頑張る。

 残りの1キロはスタートからの1キロと同じコースでリフト沿いのスロープを一直線に下ると、「最後のランナーがやってきました!」とアナウンスされてしまった。とにもかくにも練習もせずエントリーした後遺症はすぐ身体にでて歩けない破目に、今までこんなことがなかったので回復につとめ、4日後の茶の稽古には辛うじて座ることが出来たという結末の登山マラソンでありました。

 (花は季節の花300より)


追善茶会へ

2013-05-20 15:34:42 | 茶会

過去に追善茶会に参席したときの引出物が手元にあり、今も稽古に使う小さい赤玉香合、それと黒棒のお香、こちらは当然使ってしまったが先日竹の入れ物を開けてみると数粒残っていて、なお微かに香っている。残り香に面影を偲ぶ。

 この度は、三回忌の追善であった。席主の入門以来五十数年に渉る師の逝去は、「今なほ心に大きな空洞を…」、とご案内を頂きました。

 寄付には、癸巳卯月の日付で茶事にお招きした後継の返礼の消息が表装されていました。師への想いがもう表装され、主の心を表しているのです。恥ずかしながら定家流の染筆は全文読めません。寧一山云々が書かれています。

 待合には和翁宗中筆「力囲希咄」、炭荘りは炭斗・木地の曲、火箸は蓮頭、香合は手向けの香箱、如何にも大有宗甫好みらしい雅な蒔絵香合。

 にじり口より正面の床に、「四十三年……」と続く尺牘が掛けられている。後に席主の丁寧なるお話しを待ちましょう。柑子口甘面唐銅花入に枯蓮、黒百合、もう一種失念(Tさん教えて!)。

 

縁高に白蓮(と私はみましたが)きんとんの白と黒のモノトーンが想いを追善する。

 席主自らのお点前が静かに始まる。四方朱盆よりの茶入が仕服から出される。もとより唐物茶入である。

眼前で清められ、茶が掬い出される。招かれた客全員が席主の手元を見つめ続けるが、席主はいつもと変わらぬ自然体、そこに行き着くところはつまり師から五十数年導かれた姿なのであろう。

好みのあすかの白が本手斗々屋茶碗に練られる、この茶碗でご相伴に与る。緊張の中でも美味しさを味わうことができたのは望外の喜びであった。

 点前を終えられた主は掛物のお話しを、自分の理解の及ばないことを重々承知してこのような話ではなかったか、と前置きしながら……

 

一山一寧(1247-1317、1299年52歳の時日本へ、元の渡来僧)と独孤淳朋(1259-1336)の二人、寧一山が34歳、独孤が22歳の1281年夏安吾の公案に挑んだ。そのときから四十三年後、その公案を知った僧が二人の出会いを尺牘に書かれた、ということでしょうか。つまり席主の「師に対する追慕の念は同じです」と…私は感得したのだが自信ない…

 因みに独孤淳朋(どっこじゅんぽう)は今年春の王義之展で展示されていた“定武蘭亭序・独孤本”の独孤その人ではないかと。元時代の1310年、独孤は宋拓の定武蘭亭序を趙孟ふに譲り渡したとある。

 遠回りしてしまいました(Tさん、解釈が間違っていましたらお助けください)。

 一段落して茶入のお話しになりました。朝倉肩衝です、伝来がすごいです。朝倉義景の一乗谷滅亡後、信長-秀吉-家康-○-○-益田英作-赤星家(大正6年売立)-○と続く唐物です。

おだやかな姿をした肩衝で手取りがきわめて軽く、元時代でしょうか。寧一山と同時代の世界です。茶入に添う四方朱の盆は元、元の時代の盆の裏に釘を打っているのが特徴であるとのこと。

 茶杓は藤村庸軒作の豪快な銘・如意、生前おもいのままではなかったろうと推察される師を五十数年身近に仕えた弟子の敬慕を深く感じた一会でありました。

 引き出物の和歌集より一句を写させていただきました。

江月和尚へ 宗甫  今そしるわかるゝおりの袖のうへを 秋の野山の草木なりとは

 


東京茶道会 5月月釜:護国寺

2013-05-18 10:09:29 | 茶会

友人の券で入席した草雷庵の濃茶席が偶然知合いの方で、水屋の方々に挨拶。待合の掛物から期待が高まる。紅心宗慶のほととぎすの自詠と画、それでは本席とどのように呼応されているのか楽しみで入室すると、「雨後青山青転青」の墨蹟。

 ほととぎすの一声が届くような大膳の禅味あふれる一行。お話しによると、遠州公の二世は公務に忙しく書き物は少ないとか。

 昨夜来から降った雨上がりの護国寺の新樹にふさわしい墨蹟を拝した。記憶をたどると、この季節になると稽古場にこの禅語が掛けられていたことがなつかしく思い出された。それ以来、この禅語との出合いだったので鮮烈な印象だった。

 

目を転じると、柑子口の和物古銅花入に谷桑、突抜忍冬、山吹がさりげなく、朝採りの露を含んだ草花が生き生きと迎えてくれた。遠州の時代には和物の古銅が会記に登場していたようだ。唐銅よりも一回り、二回り小さな如何にも小間に納まりがよさそう。

 また香合が素晴しい。時代は明、宝珠形の龍が玉を抱えているような勢いが感じられて、5月の節句鯉が龍と化す、菓子銘が水の音(源太製)、清らかな水に渦を巻いているような朝一番の甘味と程よく練られた濃茶が美味しかった。

 高台の低い井戸釉の呉器、粉引、出雲焼、筆洗形の数々の茶碗は遠州好み、惜しげもなく手に取らせていただける大寄せの茶会が少なくなっているだけにうれしい。

 前に戻って、待合には又飛鳥川手の茶入の次第の一部が飾られている。牙蓋に遠州、利休、宗和の三つ、仕服は和久田金襴ほか二つ、引家には葛城と銘している。帰宅後飛鳥川と葛城の関連をひも解くと、“あすか川瀬々に波よる紅や葛城山の木枯しの風(新古542)”

とある。果たしてその歌を引用してよいのかわからないが、その葛城山にほととぎすの一声がこだましたのではないかと勝手な想像。

  本歌・飛鳥川

飛鳥川手本歌・飛鳥川茶入は遠州公がもっとも愛好した茶入とか、本歌の釉景は柿金気地釉中に黒釉が一筋なだれているので、茶会の茶入も改めて思い出してみると薄く黒釉が一筋流れている。飛鳥川手の良く判る茶入にめぐり合った。

 これで茶会の楽しさを充分味わったので散会しても良かったが、熱心な友人について江戸千家(弥生町)の薄茶席(不昧軒)へ。水指棚に青磁の瑞芝焼で共蓋、紀州の殿様治宝侯も好まれたという。

牡丹の間は池之端の江戸千家、名心庵好みの四方棚に胴に金彩で描いた稜花文様(?)の乾漆水指が珍しい。日本伝統工芸展にも出品されていた漆芸家の作品、月尾正之作とのこと。だいぶ前に制作されたとのことで漆もやわらかく、点前座を華やかにしている。現代工芸が伝統の中に活かされているシーンを楽しんだ。


関西三題 大阪市立東洋陶磁美術館、京都・大原、京博「狩野山楽・山雪展」

2013-05-01 08:59:06 | 展覧会

 大阪市立東洋陶磁美術館へ

急きょ茶会で借りた掛軸を返しに京都へ行くことになったのは、友人夫婦が大阪の東洋陶磁美術館で鼻煙壷のコレクション(2008年沖正一郎コレクション鼻煙壷1200点の寄贈を受けた)を見に行くというので便乗した。彼女は米国居住の間にこのコレクション始めたというコレクターでもある。

   美術館の化粧室

京都国立博物館と日本経済新聞社が主催して安宅コレクション「東洋陶磁展」を開催した1978年、京都まで見に行き感激した。そして2年後の1980年、大阪市が安宅コレクションの寄贈を受けて、中之島公園に専門美術館を建設したが、生憎機会がなく実に31年振りに初めて美術館を訪れた。国宝油滴天目茶碗が自然光で見られる採光システムを実見した。

 

今回は特別展「フインランド・デザイン」と常設展と鼻煙壷コレクションを見て回った。「フインランド~」は、昨年?サントリー美術館で開催されたもの。常設展の東洋陶磁はなつかしく、とくに自然光の油滴天目茶碗はどのように見えるか楽しみであったが、この日は生憎の曇り空で鈍色の感じで金、銀、紺に輝く斑文が確認されにくかった。

 

8世紀の奈良三彩壷、加彩琵琶を持つ婦女俑など見飽きない名品の数々をこの美術館で鑑賞できたことが今回の収穫の一つ。日本陶磁室に「須恵器 皮袋形瓶」の展示、皮袋と聞けば中国元の時代、皮袋瓶を馬に付け草原を疾走した騎馬民族に思いがいく。これは胴部に突帯と竹皮管文を併用し縫い目を表現して忠実に写している。時代を遡ること6世紀の日本の古墳時代の実用、祭器とも、貴重な須恵器に出合った。

 

土佐堀川と堂島川に挟まれたこの美術館の周辺に、息をのむような純白の茨の薔薇が垣根に、ナニワイバラという銘で原種の薔薇は、大輪で一重咲き、以前読んだ梶村啓二著『野いばら』の一節を思いだしたりした。

 京都・大原へ

朝から雨、「張子のてる」とかつて云われたという友人は、「雨だから翠はしっとり、人出は少ないし、庭園の石は濡れているからこそ石本来の美しさがあるのよ!」という私の言い分に「それも一理あるわね」と、一路大原へ向かう。

  華篭と散華

三千院の往生極楽院、客殿、宸殿の堂宇を翠滴る青苔と杉木立、そして半月ほど早く咲いた石楠花を一人占め(いえ三人占めでしたが…)、国宝の阿弥陀三尊像が時あたかも1200年前のお姿でおわしました。

  極楽往生院より

それから勝林院、宝泉院へ、宝泉院の樹齢600年を誇る五葉松を柱と柱の間から眺める。八面六臂の阿修羅像のような松は、霧の大原の里に600年佇立している。丁度昼間だったので抹茶とお菓子のサービスを受ける。

 さて、お昼は芹生の花見弁当を頂いた後、ここから30分程の寂光院へ菜の花畑を抜けながら足を伸ばす。三千院も寂光院も高校の修学旅行以来かもしれないほど、なつかしき山里の地である。

  寂光院参道

建礼門院と後白河法皇が対面した「汀の池のほとり」に枝垂れ桜が散りかけ、華まん草の白、紅が雨に打たれて一段と色鮮やか、「ほら、雨もいいでしょう」と声には出さねど…

  華まん草

思いがけなかったのは、建礼門院八百年御遠忌に当たるという本年のこの日、薩摩琵琶の語りがあるという。

“祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す” 

   良き想い出になった。

これにて軽い森林浴のスケジュールをこなし、帰途京都ホテル・グランヴイアで箱詰めのケーキとコーヒーをご馳走になり解散。

 

「狩野山楽・山雪展」へ(京都国立博物館)

朝、見事な快晴、それではと予定のなかった本願寺の別邸「渉成園」へ徒歩にて。枳殻邸の由来とも謂われるからたちの生垣に白い花がチラホラと。からたちの花が咲いたよ しろいしろい花が咲いたよ”

すべて生きとし生けるものが清く思われる朝、ここよりまたトホで東山7条の京博へ、約30分の散歩。

 狩野永徳の後継者に連なる狩野山楽と山雪、パンフレットのフレーズ“これぞ永徳ゆずりの迫力の大画面、圧巻の障壁画群”、この一言の解説がすべてを語る。京都の寺に納まる山楽筆「紅梅図襖、牡丹図襖」(大覚寺)、「龍虎図屏風」(妙心寺)、山楽・山雪筆「朝顔図襖」(天球院)の金の輝きはいかばかりか、想像すると信長に追いつき追いこせの秀吉のよく言えばディレッタント的か?

明治初年、アメリカの中部(ミネアポリス美術館)と東部(メトロポリタン美術館)に分かれて渡った山雪描くところの襖の表と裏の襖絵(群仙図と老梅図)がここ京博で50年ぶりに再会、下手な表現だがこの老梅は老いていても老いていないし、群仙図は貴賓方の遊んでいるさまが手に取るように楽しい。

 

さて、京狩野派、山楽・山雪を堪能した後、歩いて数分の智積院へ。ここに長谷川等伯・久蔵親子の国宝障壁画「楓図・桜図」が収蔵庫に納まっている。先だって『等伯』を読んだだけに、是非とも。

 やはり長谷川等伯は安土桃山時代の巨人であり、日本の誇るべき美の継承者であると感動、確信。智積院の庭園も良かった。