欠席の会員の方より頂き4名で各席を回った。風の冷たく朝より茶室の外で待つのはつらいけれど、私より年配の方々が辛抱強く待っている。
その気配を感じて早めにどうぞという声がかかりほっとする。第一席は宗澄庵(三畳台目席)、官休庵千宗屋若宗匠席であるも所用のこと、今時の人であるので楽しみにしていたのに残念! 大寄せでは流派に従った道具組のようで、印象に残ったのは春日大社の油注花入に貝母が優しく、そして手にすっぽり入る小さな志野香合、一見わからないが底は正しく志野釉。
茶碗は銘が寒さくらという瀬戸筒の桜高台、土が軟らかいうちにきれいに搔き落として桜形にしているのであろうか、如何にも手の内にさくらが広がったよう、正客の男性が慈しむように手の中で温めている感じが伝わってきた。それ程手がかじかんで茶碗に温められた第一席であった。中京の志野流18世頑魯庵の箱書。
第二席の月窓軒広間は、小堀宗実遠州流家元席、“萬年祝融の峯に在り”の中に松の画が描かれている、宗中七十歳の堂々たる隷書の横物掛軸、幕末の8世。輪無し竹花入に山茱萸と加茂本阿弥椿が見事である。竹の青がまさって如何にも初春らしく鮮やかどっしりとしている。先代の紅心宗慶宗匠の茶花も他の追随を許さなかったことをなつかしく思い出した(数少ない拝見だったけれども)。
砂手御本の茶碗も良かった。朝鮮の御本手の茶碗のうち砂気の多いものを砂御本といわれた。確かに砂まじりで手触りもざらざらしている感じである。見込みに梅の絵付けがある。本来ならば綺麗寂びに適わないという感じがしないでもないが…
第三席は大日本茶道学会が不昧軒で、二月は会員だけの招待茶会とあって割合スムーズに入れるのは、寒さが厳しい季節だけにありがたい。清厳老師筆の横物墨蹟「處々園光」、難しいことはわからないがながめているだけで隅々まで光が満ちてくるという春の温かさが感じられる。
またまた茶碗に目がいってしまう。座った席の後ろが床の間で、そこに休意高麗(銘が花折)が飾られていた。休意という人の所持で形は明らかに熊川である。休意という方はどのような方なのか不明。
第四席の艸雷庵(四畳半台目席)は江戸千家(弥生町)川上閑雪家元、三畳台目席が待合、本席の掛物が如心斎筆の和歌“暁の月の……冬枯の木の間にやどる朝のさやけき”と読めないところもあって、変体かなはむずかしい! 七官青磁に牡丹が入り、やはり牡丹籠の牡丹は風炉で、炉は青磁がぴったりと贅沢な気分を味わう。
写真(四点とも):季節の花300より