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楽居庵

私の備忘録

檜垣青子茶陶展&三斎流の添釜

2013-03-24 23:23:56 | 茶道具

先週日本橋三越で檜垣青子茶陶展が開催された。祖父は雲華焼土風炉師として知られた寄神崇白、如何にも京都の風土から生れた雲華焼の灰器を手に受けると掌にやさしく収まる。父は檜垣崇楽、その京都の洛西で茶陶を始めて40年にならんとしている檜垣青子氏の添釜に連日高名な茶人たちがお手伝いしている。

 

女性らしい感性にあふれた水指や花入、香合に菓子器など、どのような道具と取り合わせようかと楽しく話題性に富む作品の数々を作ってきた。しかし茶碗は一転して伝統の楽の技法を駆使しての結果、女性ならではの女性の手から生れた一点、一点が茶陶として生れたような気がする。

 作者も目録の中で「手に触れて、離れがたい、いとおしくなるようなお道具を」と述べているように、想いを心に秘めているようだ。以前入手した私の平水指もその想いにぴったり叶っている気がする。

あまたの作家たちの中から作品を選ぶとき、「手に触れて、離れがたい、いとおしくなるようなお道具を」という想いを語れる作家は少ないと思う。だから私は道具を購入する際の基準は、この一言が大事かと。機会を得て手に入れた人は、いとおしんでこそ道具が生き生きしてくるのではないかと…

 さて理屈はお仕舞い、個展の最終日を選んだのはこの日の添釜は「三斎流」で掛ると知って。三斎流は元首相細川護熙氏の先祖、細川三斎公を流祖とする。席主の梅村尚子氏は三斎流家元筋の方で檜垣青子氏と昵懇の間柄とのこと。

 

立礼の点茶盤ながら点前を拝見できるとあって座らせていただく。柄杓の構えは武士の所作、茶巾は大茶巾、席主は「利休流の茶道を最も忠実に伝えていて、三斎公以来変わらない点前です」と始終にこやかに説明される。

 

出された菓子は、次代を担う青子氏のご子息で良多氏の手作りとは! やはり茶陶をするには茶人としての修行も着々と、恐るべし、期待すべしの若き陶芸家である。この茶陶展にも肩をならべて出品している。

 

さざえ水指に赤楽茶碗、花入に菓子皿も青子作、茶杓は席主の父上で先代家元森山宗瑞、箱には奥出雲の実竹を以って作る、銘は八雲とある。この竹は出雲の山奥に自生している竹の根から採取したまれなる竹だそうで、宗瑞宗匠は分け入って分け入って探し出した形見とのことでした。三斎流の茶道を広められる席主の姿が印象的であった。

忘れていました、掛物は細川護熙筆、道元禅師のお歌「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり」でした。書にも一家を成す達筆で、成さなかったのは首相の座だけ?

 


茶杓を削る

2012-08-13 13:29:06 | 茶道具

先日畠山美術館にて「茶杓を削る」講座に参加した

講師は池田瓢阿(竹芸作家)先生とご子息の池田泰輔(竹芸作家)先生

生来不器用なので物作りはとうの昔にあきらめていたが、一度だけ茶会に使う茶杓を削りたいなあ、と考えていたところ、当代一流作家の指導の下、削るチャンスがやってきた

約200年前の近江の古民家の煤竹の材料が配られた。解体の進んでいる昨今、貴重な煤竹を削るということも魅力だった

ランダムに配られた煤竹の材料は、当然一つとして同じものはない、が一見して明らかにクセのある、景色がはっきりしている、逆樋であるといった杓の仕上がりが素敵と思われるようなものはこなかった…自分の技を棚に上げて…

さて櫂先はすでに撓められていて上り節、本樋が手元に、おだやかでやさしい雰囲気の杓である

全体の形を整えながら自分のしたい形に削っていく。先生の手元を見ると一気に刃物を押していく。決して柔らくない200年前の材料は、先生の手にかかると魔法のように削られていく

 徐々に茶杓らしい形になると、裏をかまぼこ型のように削り紙やすりで整える

切止は先生の手で三刀に、先生は「ここは削る楽しみの一つです」と見所を明け渡した私へのアドヴァイス

櫂先も勿論見所で、全体の印象から丸型を選んだ

おだやかでどこといった特徴のない茶杓にも切止の辺りに残照のような輝きがあるのが気に入っている。年齢にふさわしいかな?

最後にこの茶杓を見極められた先生はローソクの火で中節を蟻腰に撓められた。そうすることにより茶杓に動きが出てきてように感じられた。逆樋の竹は直腰(節裏を真直ぐに削る)に作ることも約束と知り、これから茶杓一本に込められた軽くて重きものへの関心が深まることを期待したい

昼食をはさんで白竹の材料で共筒を製作、といっても筒と栓が配られ草削りをする

さて共筒となると銘が必要になってくる。おもむろに硯箱が出され私も皆さんも一斉に「エッー」

「家に持ち帰ると書かないのですよ」と、畠山の学芸員がやさしくすすめると筆をもたれる方で一番に書いた方の銘「蝉時雨」

   銘「蝉時雨」逆樋  各々の作品を並べて

完成の茶杓は銘とともに並べて先生に見ていただくことに、銘を付けたその由来を述べるとともに先生の感想などをうかがう。「この茶杓惜しい茶杓だな」と見所や景色のある茶杓の感想を言われたり、「何故竹生島の銘をつけられたのですか」などなど、一つひとつ丁寧に見て回られた

私は来年の茶会で使うかもしれないその時まで内緒(たいした銘ではないけれど)、その時まで座右において、私のところにやってきた茶杓を美杓にしたい

 銘を書くときの指導(池田瓢阿先生)


天神山山荘へ

2012-04-29 22:30:24 | 茶道具

一年に4月のみ公開の山荘庭園があると聞いて、夫を口説いて車で出かけた

朝の関越はバス事故で高速道路は使えず一般道路で昼前に到着

噂にたがわず原富太郎三渓翁縁の庭園は、若葉の美しい誠に心が洗われる山荘であった

豊かな水が流れる神流川(かんながわ)の自然を庭園に取り入れた景観を私は見たことがない

         

  

  

散策するうちに、琴の音がひそやかに流れてきた

山田流筝曲、千鳥の曲であった

緑がシャワーのようにあふれる山荘で爪弾く琴、そして尺八に耳を傾ける

帰途、立ち寄った地元のJT直売所で買った毛鬘草(鯛釣草とも)は山のような一束で何と200円!  茶花を稽古されている友人が近くに入れば届けたのに、と鯛釣草を前にとりあえず盛り花

 

 

 

 


渡辺喜三郎、守屋松亭と堀越宗円

2011-11-23 13:39:38 | 茶道具

副題:眞泉堂と「塗師・渡辺喜三郎展 -めぐる人々と」

渡辺喜三郎という名の塗師を記憶にとどめたのは、確か「女流茶人堀越宗円小伝」(竹内範男著)のグラビアに載っていた朱面壁棗と松棗の写真を見たときだったのかもしれない

 

そして確か皇居三の丸尚蔵館の宮中展示物にも喜三郎の名があったと記憶している

名工だったのでしょう

 

偶然にも先日の茶会で七代喜三郎の香合を手に取らせていただいた

それは、会も終わりになり片づけしていたところの床に、“月影”を詠った和歌(武者小路実陰筆)が掛けられていた席の香合が喜三郎の朱丸香合だったか

 

棗は朱長棗に歌が書かれていて、これも宗円が好んだ守屋松亭作だった

お席に入れば席主のお話も伺えたろうに、と友人と悔やみながらの一瞬の出合いであった

 

      台所に一輪山茶花を

展示に話をもどすと、喜三郎をめぐる一人として、喜三郎の棗に松亭が花のしを蒔絵した棗に目をひき付けられました

どうしてこのようなみやびのなかに静謐な美が生れるのか、

すでに売却済でしたが(勿論私には手が届かないものですが)、新しく所蔵者になられた方の席にどのように取り合わせられるのか、そのほうに想いがいくばかりでした

 

また、展示の中に朱面壁棗(七代喜三郎)もあり、小伝では宗円好みとありました

 

眞泉堂・五十嵐隆行店主によりますと、真塗棗を取り上げられ「喜三郎は木地を10年ほど乾燥させたのち、50個を挽かせ(挽師の挽いたものは光にかざしてみると透けるくらい薄作であったと製作工程の棗をみせてくださった)、その後半分ほど捨て、また半分、半分と最後には2個しか残らなかった」

 

また、注文して後20年後にお届けした時、注文主はすでにお亡くなりになられていました」というお話でそのくらい清作年数をかけたとのこと

 

明るい店内での名品は、また流転しながら、また愛蔵されながら時と場を得ていくのであろうか

時と場を得ずして、美味しいお抹茶とお菓子とカタログだけいただいてしまいました

 


7/18 なでしこジャパン 優勝! 世界ナンバー1

2011-07-18 11:48:59 | 茶道具

なでしこジャパンが予選を経て立ち上がってくるにつれ、俄然面白くなってきた

夜も明けぬ朝まだき、電気の消費量がグーンと上がるのも仕方がないとばかり、応援

 

私は実は、2対1で負けるのではないかと内心は予想

そういうわけではないが、前半はまだうつらうつらの状態、後半もようやく2対1になったとき

目はパッチリ、らんらんとしてきた

 

結果はPK戦で見事な金メダル!本当におめでとう!

日本女性も強くなった

 

そこで、見事な優勝をした大和撫子を讃えて、

24日に控えている朝茶事には、撫子模様平茶碗で洗い茶巾、

そして手に入れば撫子の花を使いたい!

 

学名は、Dianthus superbus var. longicalycinusで、気高い、堂々とした、という意味だそうだ

なでしこジャパンにふさわしい学名である

 


被災に遭われた人自らの支援茶会

2011-06-06 22:04:25 | 茶道具

友人のSさんが3.11宮城県の山元町で震災に遭われた。

我が家の朝茶事にお招きしたり、時にはお点前もされたりして遊んだ仲間である。

その後、山元町を第二のふる里にして公民館でお茶を教えられ、

その地で文化活動を盛んにされていた矢先の震災であった。

Sさんは5月に埼玉は東松山に移られ、不自由な生活を強いられていたにもかかわらず、

昨日5日、支援茶会を持たれた。

下記に、Sさんの案内文を

「どんな状況下であろうとも美しく咲き誇る草花を見て、私も被災者でありますが東日本大震災支援

『いたみわけ茶会』を開催することに致しました。

 53日避難所を訪ねた時には、皆さん助け合い心を許し合い元気にしていました。

現在は仮設住宅に次々入居できているそうです。今回の会費の中から500円を義援金とし、

ラジカセとCDを購入し、山元町の友人に送り現地の皆さんが町民体制を復活させ、

元気で復興していけるよう願いつつ、関東の地から見守り続けたいと思っております」

           

Sさんの茶道具は勿論のこと、すべてが流された状況の中から、多くの方々の支援を受けて

もたれた「いたみわけ茶会は、一言素晴しい茶会であった。

かくもどうし ようもない状況の中から会を立ち上げたSさんから、参加した我々の方が勇気をもらい、

何よりも人間の尊厳さ、美しい心のあり方に感動した。

そして、Sさんを支えている力の源は、明らかに“茶”であった。

茶はこのような形でSさんを励まし、そして茶への復活の予感すら感じた一日であった。

写真の花は、東松山の近所で山野草を栽培されている方より分けて頂いた鉄線と木香とのこと、

「鉄線一輪だけではなく、多くの方々より支えられてきましたので枝物を添えられました」と

話された。

 


Uさんの数奇屋袋と焙烙に歌を

2011-04-23 21:02:52 | 茶道具

芸大美術館「香り かぐわしき名宝展」(開催中)に再び訪れ、Uさんと鑑賞した

Uさんは花月の会に時々名香を持ってきてくださり、その時々の香りを味わわせてくださった

その香は、そのUさんのご友人から頂いたお香で、その方は和歌も詠まれ、書も流麗に書かれる達人でいらっしゃるとのこと

お香道をなさる方は、たしなみ深き方が多いと伺っている

 

この日Uさんより手作りの袋物を頂いた

以前に牡丹唐草紹紦で天目茶碗の袋を所望し、この度も同じ布地で仕立てて頂いた

 

 

会場を一緒に回っていたところ、三人連れの女性がUさんのコートを見て

「着物の生地で仕立てられたのですか?」と尋ねられた

ご自分の若き頃の着物をリフォームなさるほどの腕前の方である

 

そして、一枚の写真を下さった

それは以前、四君子会で後炭をされたときの焙烙に「歌を書いてください」と

急に言われて、皆さんと真っ青になりながら書いた写真であった

 

その日は名残の雪で露地の腰掛は水ぬるみ、春の兆しが感じられた日であった

そんな歌を詠んでみたのだけれども、日頃の不精進はいかんともしがたく

今更、どうすればどうなるものでもなく、年の功で?開き直るしかないわ

  

         

 


薄茶で一服

2011-04-06 06:16:57 | 茶道具

茶会や茶事などで手に取りやすい茶道具のなかで

比較的茶碗が多いのではないかと思う

そして、茶碗は四季折々の季節感を出しやすい身近な道具かもしれない

まして、当たり前だけど抹茶をいただくのが茶碗

 

茶会、茶事で、また古美術商や茶道具屋さんでいいなあ!良いなあ!好いなあ!

と気に入る茶碗は、時代の古色の中にも品格があり、端正な風情である

 

長い歴史の中で人手に渡っても、流転してきても、大事に使用され

時には収める箱の数が増えてくる茶碗もある

茶碗は時代と共に風格がでてきて、かっての所蔵者のあれこれを思い浮かべたり

 

そのような茶碗は残念ながら願ってもやってこないが、私に出来ることもある

それは気に入った茶碗を大事にするあまり箱に仕舞っておくのではなく、

出来るだけ抹茶を点てていただくことだと思う

 

茶会、茶事で使っていたものも、その回数はわずか…

30年、時々出しては続けて1ヶ月位抹茶を点てている

その度毎に茶碗は変化を増してきて、下の茶碗のようになってきた

 

         

 

茶碗は「今高麗茶碗 銘・忘水」という

 

遠州所持の古井戸茶碗に「忘水」という銘の茶碗がある

『遠州蔵帳』『古今名物類聚』に載っている

 

因みに、「忘水」というのは、野中に人知れず絶え絶えに流るる水をいう

この茶碗の景色から名づけられたという

 

私の茶碗もそのような景色が出てきているようで、これから楽しみの茶碗の一つ


茶道具、古美術、日本陶芸のオークション

2011-04-04 08:46:45 | 茶道具

過日、毎日オークションの主催者からカタログが送られてきたので

部厚いカタログを眺めているうち興味がわいてきた

 

開催日は生憎所用があり、下見もせず委託入札で注文を出したところ、

幸か不幸か(?)茶入を落札してしまった

 

期待を膨らませて届いた道具を見ているうちに、茶入の本体はまあまあだったが、

牙蓋は欠けていてばっちい!(私は汚いものはダメなのだ)

そして袋も薄汚れていてこれも私のおめがねに適わない!

(古くても使用状態が良いものならいいのだけど…)

 

仕方がない!取り替える他はないと考え、

袋は私の風通の古帛紗を持参して友人に依頼したところ、洗練された趣になった

 

牙蓋は象牙専門店に見積りでは、8万円位なるという

そこまでして、と思い馴染みの茶道具屋さんに茶入に合う牙蓋を探して合せた

 

今は茶入の出番を楽しみにしているところ

 

               上野国立博物館裏庭の桜

 

次に同じ過ちはしたくないと思ったが、この日も生憎時間がとれず、

下見はできなかったが、入札時間に会場に入った

 

初めてのことにて、ドキドキわくわくしながら見ていると、

数十秒に1点の割合で次から次へと落札されていく

その速さといったら! 見学だけで終わった一日でした

 

三回目の今回、ある物を落札したかった

カタログでは5万円~10万と出ていたが、会場では4万円からスタートした

あれよあれよという間に5万、6万、8万、10万と

数秒間で12万!と競る声が私の席の後ろで聞こえてきた

 

どうしてもということではなかったので途中で降りたが、

欲しいと思えばどんどん競られていく渦中を

一瞬経験してしまった(怖い!)

 

ただ、数時間の会場滞在であったが、

物には物の価格幅があり、天井知らずに上るものではなく

(勿論バブルのときのゴッホのひまわりのような数十億という絵画もあるが)

慣れたプロ(?)は降りるときを心得ているようだ

 

物には需要と供給のバランスで売買されるのもこの世界の常識、

感触としては、一時期よりかなり下がっている気がしないでもない

 

博物館、美術館、古美術の本物を沢山見て、触ってセンスを養うことも大事

まあ、私も大分いろいろ勉強させていただいた結果の結論でした

                                                                                                 上野国立博物館裏庭の桜  


粉引茶碗

2010-06-07 09:04:19 | 茶道具
最近この粉引茶碗で薄茶をいただいている
30年前にチャリティーで求めた原清作の茶碗は、当初名のごとく粉をひいた真っ白な茶碗であった

時々出しては薄茶や濃茶を練ったりしていたのが時とともに変化が出てきた
特に口辺辺りが薄紫に色ずき、青葉若葉の季節には誠に映りが良い

また見込みも貫乳が細かくはっきりしてきて、時代の変化を感じてきた
少し離れてみると、意外と高台が小さくしまっていて女性的な姿

この茶碗は持ちやすいので、昨年2月の小寄せの濃茶席でも使った
これから何年使えるかわからないが、もっともっと使って茶にかなう茶碗にしたい

茶陶はしまっておくだけでは、道具の持つ本来の力が発揮できないのではないか
もっとも新しい衣服を身に着けるとき、「体は一つしかないのだから」と家人はよく言う

だから手元にある道具をせいぜい愛用したいが、カタログや案内がくると、
ついジーっと眺めてしまうこの頃である