先週日本橋三越で檜垣青子茶陶展が開催された。祖父は雲華焼土風炉師として知られた寄神崇白、如何にも京都の風土から生れた雲華焼の灰器を手に受けると掌にやさしく収まる。父は檜垣崇楽、その京都の洛西で茶陶を始めて40年にならんとしている檜垣青子氏の添釜に連日高名な茶人たちがお手伝いしている。
女性らしい感性にあふれた水指や花入、香合に菓子器など、どのような道具と取り合わせようかと楽しく話題性に富む作品の数々を作ってきた。しかし茶碗は一転して伝統の楽の技法を駆使しての結果、女性ならではの女性の手から生れた一点、一点が茶陶として生れたような気がする。
作者も目録の中で「手に触れて、離れがたい、いとおしくなるようなお道具を」と述べているように、想いを心に秘めているようだ。以前入手した私の平水指もその想いにぴったり叶っている気がする。
あまたの作家たちの中から作品を選ぶとき、「手に触れて、離れがたい、いとおしくなるようなお道具を」という想いを語れる作家は少ないと思う。だから私は道具を購入する際の基準は、この一言が大事かと。機会を得て手に入れた人は、いとおしんでこそ道具が生き生きしてくるのではないかと…
さて理屈はお仕舞い、個展の最終日を選んだのはこの日の添釜は「三斎流」で掛ると知って。三斎流は元首相細川護熙氏の先祖、細川三斎公を流祖とする。席主の梅村尚子氏は三斎流家元筋の方で檜垣青子氏と昵懇の間柄とのこと。
立礼の点茶盤ながら点前を拝見できるとあって座らせていただく。柄杓の構えは武士の所作、茶巾は大茶巾、席主は「利休流の茶道を最も忠実に伝えていて、三斎公以来変わらない点前です」と始終にこやかに説明される。
出された菓子は、次代を担う青子氏のご子息で良多氏の手作りとは! やはり茶陶をするには茶人としての修行も着々と、恐るべし、期待すべしの若き陶芸家である。この茶陶展にも肩をならべて出品している。
さざえ水指に赤楽茶碗、花入に菓子皿も青子作、茶杓は席主の父上で先代家元森山宗瑞、箱には奥出雲の実竹を以って作る、銘は八雲とある。この竹は出雲の山奥に自生している竹の根から採取したまれなる竹だそうで、宗瑞宗匠は分け入って分け入って探し出した形見とのことでした。三斎流の茶道を広められる席主の姿が印象的であった。
忘れていました、掛物は細川護熙筆、道元禅師のお歌「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり」でした。書にも一家を成す達筆で、成さなかったのは首相の座だけ?