楽居庵

私の備忘録

歳末雑感 あれやこれ

2012-12-30 14:35:42 | その他

四畳半のこと

紹鷗より利休に相伝した四畳半は好みとして草庵の小座敷となっている(究極、一畳半になったが)。大寄せ、小寄せ、茶事とさまざまな座敷を茶室として使われている昨今、茶をして、また茶に招かれた時の心の到るところは、四畳半の小間が落ち着いて集中できるのではないかと思うようになった。四畳半以下の小間での茶事の経験はないし、またそのような小間でも大勢が入室し名器、名物を手に触れることはむずかしい。茶室の空間に安定感、調和感があって心が満たされるのではないかと、それが四畳半と思うと至極納得がいく。

 ふるさと便

友人よりふるさと便のお知らせがきた。高知県は越知町横畠西部地区、人口302人、世帯数127戸、高齢化51%という年一回の集落あげてのふるさと便をゲットした。

昔なつかしい木箱に野菜(里芋、にんじん芋、生姜、切り干し大根)、番茶、ドーナツ、杵つき餅、カリカリ梅、大根の漬物、アメゴの一夜干し、そしておまけの正月飾りがぎっしりと。

 

早速ドーナツをほおばる、正しく手作りの素朴な味。夕食にアメゴを焼く、初めて食する仁淀川産の川魚は身が淡いピンク色をしていて思いの外美味。番茶は煎ると香ばしい香りがひろがる、長い日照時間と寒暖の差と風は自然の恵み。里芋は極上の白さ、正月用に白煮としましょう。

 おまけの正月飾りも生産者の笑顔とともに

 鼻煙壺のこと

鼻煙壺をコレクションしている知人が一冊の本にまとめた限定数わずかの私家版。話しは遡って1982年Hさんと台湾旅行した時の出合がそもそものコレクション第一だったと聞かされていた。そのとき「へえーそうだったの、知らなかったわ」と云ったか云わなかったか定かではない。

 

とに角今日に至るまでの購買力の凄まじさは、種々の写真を見るだけでもすごーい。小さな壷に入っている嗅ぎ煙草を蓋に付いている小さなスプーンで嗅ぐという、中国の工芸品である。

 私は「ハタ!」と思い当たった。「コレクションの一部をお借りできないかしら?」と、早速とはいうものの恐る恐るお伺い立ててみたところ、「お茶の方の興味を引くものかしら」と素っ気ない。私曰く「お茶の道具は工芸品なのよ、美しいもの、不思議なものはきっと関心があるわよ」と力説。

知人は「それでは、よろしければどうぞ」と快い返事を頂いた。さて会のお客さまの座にご披露する楽しみが増えた。

 サンタクロース

知合いの坊やにクリスマスプレゼントを買ったものの渡す機会を逸して手元に残ってしまった。長靴形の袋から次から次へ出てきた。ロシアのマトリョーシカ人形みたい、面白くて並べてしまったが、これはチョコレート、いつしかオオカミ人間に食べられてしまう可哀想なチョコ。

片付かぬいずこも同じ年の暮れ 楽居庵

 

 

 


蝋月茶会へ

2012-12-17 11:10:48 | 茶会

「師走の足音が聞こえてくる時節となりました」というご案内にて今年最後の蝋月の茶会に伺った。おだやかな昼下がり、待合には短冊「己巳歳 世の人のこころの花をあいてあいぬ 春くハヽれる春を待ちえし 光廣」、己巳(つちのとのみ)は寛永6年(1629年)で、己巳は字が似ているらしく春がふたつはいっているという仕儀らしい。この時代の伸びやかな個性ある書体とお見受けした。

 つくばいを使い、にじり口の正面に床のある四畳半台目に入る。床には、昨日はで始まり、宛先は宮内殿とあり、文中に政所さまと辛うじて判読できる消息の掛物、さてどなたが書いたか、判じ物のような消息はお手上げ。

前には古銅花入、小さくて口辺にるい座がちりばめられ繊細な耳が付いている。初嵐椿と青文字が見事!目を転じれば志野釉の香合、勿論桃山の時代、小さな伽藍の形のようにみえた。

  初嵐椿(椿の里HPより)

小粒のあられが鋳込んである釜、古備前らしき水指と茶入、風炉先窓に柄杓が荘られている。座も落ち着き一呼吸を整えているところへ席主がにこやかに入席される。「一年間お世話になりました」という席主と老茶人の丁寧なご挨拶に、壬辰の年も終わりに近づいてきた実感。

 初雪きんとんが縁高に、口の中でとろけそうな味に初雪という銘を付けた菓子舗の主人の顔が浮かぶ。席主が一年を惜しむかのようにゆったりとゆったりと練られる。そして熱い濃茶を回し飲みしていく正客と連客の顔は満足げ、そして二椀目も沈黙の中練られる。そしておもむろに正客と席主との会話が弾む。何十年も正客を務めたであろう老茶人は実に清々しく尋ねられる。

 掛物は木下長嘯子筆(北の政所の甥で武将)、消息を意訳すると「昨日は政所様のご推挙によりお招きに預りありがとうございました。お礼は私の方にて致しますので…」という内容らしい。歌人としても有名のようで、最後に和歌が記されている。宮内殿も役職名らしいとのこと、どのような人物かわからない。表装は誠に立派でほの暗い茶室で梅と鶯の文様を刺繍している本金襴が遠目にも鮮やか、隣のご夫人が清水裂よ、と教えてくださったが『茶の裂地名鑑』によると北野裂かもしれないが定かではない。

 そうそう老正客は、「この掛物は一幅の絵のよう」と、席主は「この頃はそのように意識して書いたかもしれませんよ」と受ける。次客の男性曰く「このような語らいが出来るのは楽しいですね。お茶をもっと多くの方に知ってほしいですね」と。

 さて、いよいよ茶碗の拝見となる。熊川の約束通りの優品である。熊川なりの碗、端反の口造り、丸く張った胴、粘りのある細かな土、やわらかくなめらかな白い釉、細かい貫入、竹の節高台、丸削りの高台内、見込みの茶溜りは丸く、小さな丸の鏡、と非の打ち所のない真熊川に圧倒される。

 次の茶碗は奥高麗ともいいたいけれども唐津ですね、と主、含蓄のある説明。何人かの数奇者はこちらの方が好きですね、と云われたという。色目が何とも青みがかつてきめも細かく大ぶりで唐津でも初期の窯から出たのではないか、とも云われる。

 ひとしきり茶碗談義が終ると、茶入と茶杓が回ってきた。茶入は瓶子か梅瓶のような肩の張った古瀬戸、主は古瀬戸と云われる時代も200年続いているので、これはあえて室町の“ふる瀬戸”と云いたい、と伝来された道具の細かい解釈でもある。何とも景色がありなだれというよりいびつなまるの抜き、小さな茶入が大きく見える。皆さん、こんな景色のある茶入を見たことありませんね、と口々に。どのような銘が付いていたか知りたくてお尋ねすると、箱には、ただ有明(この字が当てはまるか不明)と銘してあるのみ、とのこと。

高揚した気分が収まるように釜の煮えも松風に、続いて薄茶を頂く。たたみ目16目位の大きさの屈輪盆にうさぎの落雁と有平糖が屈輪の朱とうさぎの白と常盤の有平糖が画のように収まる。半使、祥瑞、唐津、乾山、安南とたっぷりと美味しく点てられる。雪うさぎが屈輪盆から飛び出してお終い。唐津は小服で掌にすっぽりと入り、師走のひとときをゆっくりと味わった。

 その後、芳中筆の松に雪図、豊蔵の立鼓花入に水仙がすっきりと入った点心席へ、越の寒梅で一献頂きながら今日の一期一会の隣同士との話しに耳を傾けながら、本年最後の会を終えた。


修善寺茶会へ

2012-12-06 08:52:52 | 茶会

   

 修禅寺庭園・どうだんつつじの古木も見事に紅葉 

師走に入り茶の納会は修善寺温泉で、少人数で主催者も精鋭、お客さまも茶歴の長い方ばかり(勿論私はお邪魔虫?)。午後2時からの席入りの第一席はホテルのバーラウンジの立礼にて、主催者は全員男性、普段でも手馴れたしつらいに定評があり、ホテルの壁のインドネシアのタペストリーに「庭を清め時おりにごる心を掃き清めなさい」という歳末らしい掛物、九十一歳耳庵翁の前では素直になれる?

花入はT先生の自作、蓋と身の合ったスワンコロークの柿の蔕香合が即席の床にぴったり。

やはり何処でも何時でも茶は出来る心得のある方々の茶はすごい!

 

でも眼目は、長年自らの眼で収集してきた中国、朝鮮、日本の古陶磁で茶を一服。勿論茶は修練しているのでお話しされながら数々の茶碗、茶入などのお話しがまた楽しい。こうして使うには200個位の数が手元になければ、なんて恐ろしいことを言われる。

 

一つだに持てない私はどうしてくれる!と。時には石油缶、ダンボール箱に入っていたものを確かな鑑識眼、鑑賞眼を養い、破損していたものは自ら金繕いして持ち出される。南宋の海渡り、覆輪を施した茶碗、スワンカローク、高麗末~李朝初期、灰釉で多分付け高台の桃山以前のもの、江戸初期の古美濃とか、濃茶と薄茶を頂く楽しいひとときであった。

 さて次に向かったのは客室の広間で煎茶席、「どの部屋でするのかわからなかったので急きょこのようになりました」と言われるが、見事に煎茶席の雰囲気に短時間で変身。獅子ユズという名のユズが目を引く。ひとしきり食べられるのかしら、この大きさで木にぶる下がったらどうなるのかしらという話しで盛り上がる、文旦という仲間とのこと。

煎茶を二煎、舌に玉露を味わいながら紅葉饅頭を。

次の席はトルコ?人に扮した日本人が入れて下さったトルコ茶を味わう。“ウルターナムアッサラム”と書かれたアラビア語は日本語に訳すと“和敬静寂”。ナツメヤシの実を入れた菓子器は宋時代の海上がりで底に貝殻が付着している。5億年前のオウム貝を風炉にして銀器のポットから湯を注ぐ主はスルタン王のよう。

 

三席回って夕食までの時間、温泉の掛け流しで一年の身の濁りを清めたが、心は除夜の鐘まで待たねばならない?

         

       源範頼の墓の散紅葉         修禅寺の今年最後のもみじ

 


教授拝命披露茶会へ

2012-12-05 11:27:09 | 茶会

Yさんのお誘いで東京は羽根木公園へ、梅林の見事な公園内に星辰堂と日月庵の茶室がある。梢の木々の葉は潅木の植栽に被うばかりに積もっている。東京の冬も“おさおさ劣るまじ”という実感。

広々とした陽の当たる縁側で待つことしばし、一陣の風が木々に残っていた葉を吹き降ろす。公園ならではの銀杏落葉の風情を楽しむ。

 

今日はMさんの教授拝命披露のお祝いの会、広間は長板の硯屏荘りの設えである。長板中心に青磁らしき硯屏に柄杓をかけて、鈴木日々庵(鈴木宗保師)よりMさんの先生の先生にあたる方が伝授されたという点前を初めて拝見する。大勢の目がお振袖のお嬢さんの手元を見つめる。

 

点前は荘りの柄杓を取り蓋置を引いて始まる。柄杓の柄を朱に塗ってお祝いの気分が盛り上がる。清・嘉慶年製(1796-1820)の共蓋水指の四方に四神獣(龍、鳳凰、亀、麒麟)を染付で、小振りで長板に収まり具合が良く、中国の至宝を持ち出されたお祝いの会にぴったり。

 正客のYさんは席主のMさんとの出会いのエピソードを語られる。講習会でホテルの同宿は二人だったので親密さをまし、それから修道者同士の交流が始まりこの度のお祝いに駆けつけられた由、ご縁とは不思議なもの、私がお連れした友人もYさんと旧知で再会に喜びあった。

 

さて前後するが、濃茶席の先生はMさんの師。清厳老師の横物「僧問蜜庵如何是正法眼 庵云破沙盆」、古銅のソロリに師走より使える水仙が目に新鮮に映る。いよいよ炉の季節になじみ火を囲み、床に水仙が置かれるという炉にふさわしき花に出合ったのはご馳走。桃山時代の香合、師らしい格式のある床荘りの四畳半台目席であった。

 先ほどの風で公園の石畳は一面の落ち葉、冬の弱い日差しの中まだ日暮れには早いので銀座・谷庄東京店「歳末茶道古美術展」へ(12月8日迄)。丁度数寄屋橋では6億円の歳末ジャンボ発売中、友人が「当たったら棚のここからここまで全部買うわ」なんて冗談に言ったりして…

 一服頂いた蕎麦茶碗は?百万円とか、「やはり宝くじの世界ね」と云いつつ、茶の話の続きに不二家の甘味処に、話しに花が咲いたのでありました。