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今日から早や3月(弥生)「今日は何の日」を開いてみると様々な日があり変ったところでは“女のゼネストの日”で、過去の出来事を見ると近年(1999年)では“高校のパソコン授業の実習が必須科目が決定し2003年から実施”されたとある。 孫が何時の間にかPC操作が出来るようになったか不明であったが、高校で習得していたのだと感じた次第である。 長い間老夫婦だけの生活をしていると世情が疎くなり世間知らずの老人となるが、その孫の神戸高校の卒業式が今日あり家内と出席した。
行ってみると第62回の卒業証書授与式の立て看板があり62回目は戦後昭和23年の6・3・3制の学制改革からのものであり設立は明治29年(1896)で今年で115年目で戦後、旧制県立神戸第一中学と県立神戸第一高女と合併した歴史と伝統のある名門高校である。 輩出した卒業生は名だたる人物が多く、現在でも村上春樹・高島忠夫・扇 千景・小松左京・日野原重明・松下康雄~等と数多くの有名人がいる。 卒業生は男女354名で式は今様のもっとくだけたものと思っていたが厳粛・整然とした昔ながらの式であった。
平成7年の阪神淡路大震災の時卒業生は3歳で、震災当時の在校生のうち3名の命を落としているそうだが、殆んどの卒業生ががそれぞれの分野の大学進学するであろうが、同校教育は国立大学の受験を目指し、東京・京都・神戸・大阪大学を中心に毎年約200名の合格者を出しており、校風は旧神戸一中時代より質素剛健・自重自治で基礎を培ったもを更に向上させ、激動する国際社会に立ち向かう社会のリーダーとして期待されている。
省みると卒業式に出席たのは初めてである。子どもの卒業式は当時の社会通念として仕事まで休んで入学・卒業式に出るのは非常識とされていた時代であったしリタイアー後はその機会もなかった。 数十年ぶりで“君が代”と“蛍の光(別れのワルツ;スコットランド民謡)”を斉唱した。 両曲とも作詞が素晴らしい(“君が代”は異論を論ずる人もいる)歌であると改めて感じた次第である。
57年前、高校を卒業したが卒業式の詳しい記憶は殆んど無いが、いったん帰宅し小遣いを貰い当時の田舎町では喫茶店なるものはなく親しい友達と高校生は立ち入り禁止されていた飲食店でミルクセーキなるものを初めて飲んだのだけを憶えている。
・2,937歩
関東は岩槻市が人形作りの本場だから関東式が
多いかも、ウチノは京雛有職者作とありいかにも殿上人風です。昨今はデパートも人形店も流行がありなんでもありのようですね。後になりましたがお孫さんの伝統ある県立神戸高校ご卒業おめでとうございます。図らずも私の孫も三月五日泉丘高校を何とか卒業式を迎えます。本人も言っておりましたが三年間はアッという間だったと。進学校に入ったのに思いっきり遊ぶだけ遊んだコレからが本気出さんなんと、のん気な事をヌケヌケト言っておりました(マー)君も母校だし最後だなと言って卒業式に出席すると言っています。孫の成長は嬉しいことに違いないのにこの手から離れてダンダン遠くえと行き寂しさもあります。近況ご報告まで