
昨晩は深夜まで飲み過ぎたせいか食欲が無く和洋のバイキングで蕎麦を食べたが食欲が出てきてお代りををした。 今日の行程は母校の見学と越後の造り酒蔵、市島酒造の見学である。
観光ホテル前でバス乗車組が記念撮影後ホテルのサービスでバスで母校へ向かう。 母校へは15分程で到着した。
故郷の街中は時代と共に昔の面影ないがバスから眺める山河は変わりはない。 高校前は会津街道に面しているが当時は杉並木の街道だったが杉は1本もない。 明治維新前の戊辰戦争では新発田藩は奥羽越列藩同盟に組みしていたが新政府の官軍に寝返り会津街道を官軍と侵攻し名城の会津鶴ヶ城(藩)は陥落した。
校舎では別室で副校長から高等学校の現況などの説明を受けて同窓会の事務局長と同窓会館へ行ったが拙者だけ校舎の周りを写真を撮るため同行しなかった。 母校は明治29の設立で県の下越地方で有数の進学校で校風は「質実剛健文武両道」をモットーであるが帝国主義時代は男子校は同様な校風をモットーにしていたが戦前の旧制中学時代は柔道やボート部は全国制覇を数度果たしている。 学校の前に食品雑貨店があり入ると神戸ではボトル入りの水が無かったのに新発田では水を売っていた。 店のおばさんは大昔大津波があり二王子岳の山麓10km以上離れた五十公野(イジミノ)まで押し寄せ多数の犠牲者が出たと教えてくれた。
神戸に帰ってから調べてみると成る程、9~11世紀に越後沖に大地震が度々発生し1045年に紫雲寺浜から大津波が押し寄せてきた云い伝えがあり、この大津波は水に浸かること七日六夜と「鶴牛山下録」(越後大津波)にある。
いま日本はマグマが活性化期に入ったと物理学者は述べている。 鹿児島の新燃岳の噴火があり、富士山や白山も何時爆発しても不思議ではない時期だと云われているし東海・東南海や南海地震も同様で日本の21世紀は自然災害の世紀と思われる。
少し横道にそれたが新潟は米処で灘・伏見・広島や北陸と同様に造り酒蔵の多いが新発田にも銘酒の酒蔵があり母校見学後バスは諏訪神社の近くの市島酒造へ向かった。
私も先年、卒業50周年で現役生の卒業式に招かれましたが、講堂しか見ていません。
多分貴母校のように立派なものでないと思います。