共存共栄主義を世界中に広めよう

世界中の人間同士の共存共栄だけでなく、地球上のすべての生物との共存共栄を求めていくのが、今後の私達人間の役割なのです。

学校でのいじめも大半が、肉食中心の生活をした子供による攻撃的な性格が原因

2007年08月31日 23時58分04秒 | Weblog
狩猟民族や肉食中心の人間に対して、逃げ腰や弱腰の態度だと弱い側と見られて攻撃され続ける。

アメリカ人がアメリカ国内で交通事故を起こしても、事故の原因を作った運転手は絶対に謝罪しないという話を聞いたことがある。
実際、植民地支配や奴隷貿易で他民族を暴力で支配し続けた欧米(おうべい)の白人国家が、今日に至るまで植民地支配した国家や奴隷にされた民族に対して謝罪(しゃざい)して賠償金を支払ったという例は一度もない。


狩猟民族や肉食中心の人間にとって、謝罪(しゃざい)するということは負けを認めた事になり、弱い側だと認めたことにもつながるので、欧米の周辺国の狩猟民族や肉食中心の人間の強い側から、支配されたり攻撃される理由を作ることとなるので、決して自分の非を認めようとしないのが狩猟民族や肉食中心の人間達である。

狩猟民族や肉食中心の攻撃的な人間の前で、弱気な態度を見せることは自殺行為

2007年08月31日 23時55分55秒 | Weblog
ライオンやヒグマの前で「ごめんなさい」「助けてください」「許してください」という弱気な態度を見せたり、背中を見せて逃げようとする態度を見せたりすると、たちまち弱い側(弱者・簡単に仕留めることのできる獲物)として見られて、ライオンやヒグマの攻撃本能がさらに増してくるだけとなる。

北朝鮮や韓国に中国から、大日本帝国が62年以上前の第二次世界大戦で行った侵略行為と蛮行(ばんこう)に対して、いまだに謝罪と賠償を求められるたびに、当時の大日本帝国とは体制も違う日本政府が、平身低頭(へいしんていとう)でペコペコ謝罪し続ければ、狩猟民族の子孫や肉食中心の人間が多い北朝鮮や韓国に中国から、日本は弱い側(弱者・簡単に仕留めることのできる獲物)として見られて、さらに謝罪と賠償の攻撃を、これから先もずっと受け続けることとなる。


※狩猟民族や肉食中心の侵略的な人間に土地を乗っ取られた、ネイティヴインディアン人(300年ほど前までは、アメリカやカナダなどの北米大陸内に各部族に分かれて数千万人はいたが、ヨーロッパ各地から侵略してきた移民の白人によって、皆殺しにされてほぼ絶滅させられた)やチベット人(チベット高原を中心に生活している民族で、仏教の教えを守り長年平和の民として存在していたが、約50年前から続く中国共産党人民解放軍の侵略によって、国は中国に併合されて消滅、支那系漢民族移民が多数入り込んで民族浄化政策の真っ最中)の受難の歴史を忘れてはならない。

狩猟民族の子孫や肉食中心の人間ばかりの国は、男まさりで気が強い女が多い

2007年08月31日 23時53分36秒 | Weblog
こうした態度は、日本国内にいる狩猟民族の子孫や肉食中心の人間ばかりの、在日朝鮮人、、暴力団に対しても同じことがいえて、日本政府が低姿勢の弱腰でいればいるほど、狩猟民族の子孫や肉食中心の人間は、より調子に乗って攻撃的になり、「差別をなくそう」とか「人権を守れ」だとか叫んでは、国からさらなる金(対策費予算)を引き出そうとしてくる。

肉食動物のライオンや肉食性が強いヒグマに獲物として狙われたら、たとえ負けて食われようが徹底的に戦う姿勢を見せて、最悪でも相打ちに持ち込んで、相手にもケガを負わせてやるといった強気な態度や見せて、背中を見せずににらみ合うと、強い側(強者・下手をすると反対に自分が殺される恐怖)として見られて、相手の攻撃意欲が減少してくる。

アメリカ人女性の大半の体が男並みに大きくて、性格が男っぽくて気が強いのは、
狩猟民族の子孫や肉食中心の人間ばかりの移民の国アメリカ国内において、弱い側の女(弱者・支配しやすい側・殺しやすい側)として見られて、殺されたりレイプや人さらい(拉致・誘拐)の被害に会わないように、自分の身を守るためである。

こうした男まさりの気の強い女が多い民族の傾向は、狩猟民族の子孫や肉食中心の人間ばかりの欧米各国や、モンゴル高原、支那(漢民族)や朝鮮半島の民族などによく見られる現象である。

続きはまた明日

凶悪犯罪を犯す者や殺人を犯す者の99.9%は狩猟民族か肉食中心生活の人間

2007年08月30日 23時55分17秒 | Weblog
菜食主義者(ベジタリアン)の人の数が極端に少ないからとか関係なく、凶悪犯罪を犯す者や殺人を犯す者の99.9%は狩猟民族か肉食中心生活の人間である。

狩猟民族か肉食中心生活の人間は、とにかく弱い者を見つけたら支配したり、攻撃して殺したくなる習性を持つ。
狩猟民族か肉食中心生活の人間には、食生活の視点から弱肉強食という考えが浸透(しんとう)しているから、強い者が弱い者を支配するのは当然といった考えや、強い者が弱い者をいじめたり殺したりしても、それは当然の行為であり正しい事だと感じているので、罪への罪悪感も感じない。

肉食動物であるライオンの群れが狩りをする場合、獲物の群れの中で一番小さくて弱い獲物を探して攻撃して殺そうとする。
なぜなら群れの中で一番大きくて強いオスを獲物にしようと攻撃しても反撃されて狩りが失敗する可能性が高いので、狩りの成功率を上げるために、産まれたばかりの子供を連れた母子の獲物か、ライオンに追われて逃げる途中で親とはぐれた子供の獲物に狙いを定めて、集団で襲って狩りをしては殺して食べるのが当然の事となっている。

肉食動物にとって、小さい獲物や弱い獲物は、襲って殺すのが簡単な格好のエサでしかなく、メスを襲ったり子供を襲うのは卑怯(ひきょう)だとか、ズルいとか、汚いとかの、そういう正義感や情けを持とうとする考えは一切ない。


オスよりもメスの方が殺しやすいから襲って殺す。
大人よりも子供の方が殺しやすいから襲って殺す。
強いオスよりも弱いオスの方が殺しやすいから襲って殺す。

すべてはこの考えに沿って、弱い獲物を見つけたら襲って殺そうとするのが肉食動物の正しい考え方である。

弱肉強食の理論がある限り、人間は戦争を何度でも繰り返す

2007年08月30日 23時54分04秒 | Weblog
人間にも民族によっては長年の食生活の違いにより、猿の時代には草食性動物だったのが、完全な肉食中心の生活となった狩猟民族は、世界中に数多くいる。
それらの肉食中心の狩猟民族の正しい考えもまた、ライオンの行動と同じで、子供を連れた母子の獲物や、逃げ足の遅い子供の獲物や、群れからはぐれて弱った獲物を見つけたら襲って殺して食べたり、無抵抗の弱い人間の群れ(集落)を見つけたら、襲って殺しては土地や財産や食料や女を奪い続けてきた。


肉食中心の生活をする狩猟民族にとって、同じ言語を話さずに、同じ衣装を着らずに、同じ生活習慣でない群れの集落で暮らす人々は、すべて獲物(敵)としてしか見ずに、仲間と集団で襲いかかっては強奪行為(ごうだつこうい)や略奪行為(りゃくだつこうい)によって、土地、財宝、食料を奪い、捕らえた者を奴隷(捕虜)として労働に酷使(こくし)したり、女と子供はレイプの遊び道具に使ったりした。

こうして肉食中心の生活をする狩猟民族では何千年もの間、今日に至るまで他民族との戦争と侵略(しんりゃく)を何万回となく繰り返しては、勝った民族が負けた民族を、恐怖政治の下に置いて暴力と殺戮(さつりく)で、長年支配する歴史が繰り返されてきた。

そして学問の間でも、肉食主義の白人が世界中に暴力支配による植民地を拡大していく中で、人間社会においては弱肉強食の世の中を形成するのが正しいという考えが世界中に広がり、弱肉強食の理論は人間界だけでなく自然界すべての生物にも当てはまる事だと、学者だけでなく人間の誰もが間違った考えを持つように至った。


しかしこの弱肉強食の原理は、肉食主義の人間や肉食動物に限定される主観であり、自然界すべての生物にあてはまる原理ではない。
草食動物であるゾウとか牛の群れでは、他の弱くて小さい動物や小さな昆虫を見つけても攻撃して殺すような事はしない。

まれに産まれたばかりの弱い子供を守ろうとする時には、相手がたとえ小さい動物であっても、群れのオスや母親は子供から遠ざけようと攻撃的になるが。

日本の憲法は弱肉強食の理論が応用されている

2007年08月30日 23時52分19秒 | Weblog
さらに、肉食主義の人間が考え出した法律にも、弱肉強食の理論が応用されていて、強い者順に階級が厳しく作られ、支配者(国王・皇帝・貴族・権力側の者・軍隊の司令官・特権階級・大富豪・大商人)が、支配されている側をどういう理由で殺しまくろうが、死罪などの重い罪に問われる事はなく、逆に支配されている側が支配者側の人間をたった一人殺しただけで、本人のみならず家族や一族まで皆殺しにされる重い罪に問われるようになる。

現在の日本や世界各国の法律(憲法・条例)においても、肉食主義の白人が考え出した法律を元に作られているので、随所(ずいしょ)に弱肉強食の理論が応用されていて、弱い側となる野生動物や家畜やペットが、強い側となる人間を襲ってケガをさせただけで、すぐに射殺処分か堵殺処分(とさつしょぶん)されてしまうが、強い側の人間が、弱い側の野生動物や家畜やペットを何十匹も残酷(ざんこく)に殺そうが、強い側の人間には重い罪には問われない。

強い側となる妊娠した母親(妊婦・にんぷ)が、弱い側となるお腹の中の胎児(たいじ)を中絶で殺しても、強い側の母親が殺人の罪に問われることもない。
強い側となる幼児のいる母親や父親が、弱い側となる幼児を虐待(ぎゃくたい)によって死なせても、強い側となる幼児のいる母親や父親が、凶悪な殺人犯として罪に問われることはなく、情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)によって窃盗(せっとう)程度の軽い罪に問われるだけとなる。

男尊女卑(だんそんじょひ)の思想によって、強い側となる男が、弱い側となる女を何人レイプしようが、10年前後の罪にしか問われない。

続きはまた明日

運を急激に下げない生き方をするには

2007年08月29日 23時58分06秒 | Weblog
連日のように運がゼロ(殺される・事故死)になった事件や事故が起きているが、このブログは運を上げるためのブログなので、殺人事件や悲惨な事故を取り上げて書き込みたくはない。

それでも犯罪や事故に巻き込まれて、突然、運がゼロ(殺される・事故死・病死)になった人と運がゼロにならない人との境界線は何だろうと考えずにはいられない。
ほんのわずかな運の流れの差で、運が突然ゼロになるものである。

人間も生き物として生まれた以上、ずっと生き続けていると死ぬ方向に向かっているのだから、いずれ運がゼロになるのは当然だが、歳を取るにつれて緩やかに運がゼロに近づいて寿命を迎える人もあれば、突然、犯罪に巻き込まれて不幸にも運がゼロになる場合もある。
愛知の女性拉致殺害事件の被害者、磯谷利恵さん(31)もその一人だろう。

日ごろから運が下がるような生き方をしていれば、運がゼロ(死)に向かって急激に近づいていくのは当然でも、運が下がるような生き方をしてもいないのに、突然、運がゼロ(死)になることもある。

船が沈む時に上へと逃げる行為で助かる場合もあれば、下へと逃げて助かる場合もある

2007年08月29日 23時57分00秒 | Weblog
嵐の中、旅客船に乗っていて大波を受けて船が沈みそうになると、乗客は我先にと船の甲板がある上へ上へと逃げて、救命ボートに乗って助かろうとする。
この行動は、運がゼロ(でき死)になろうとするのを防いで、運が上がる正しい行動を取ろうする行動である。

しかし、パニックになって甲板へ出ようと上へ上へと殺到する乗客を見て、中には上へ行くのをあきらめて、逆に下の船底の方へと逃げる乗客も何人かは現れる。
その時、突然巨大な大波を受けて船が転覆(てんぷく)すると、今まで海面の上に位置していた甲板が海面の底へ沈んで、上へ上へと逃げて甲板へ出ようとしていた乗客は、船が転覆したことで全員海中の中へと引きずり込まれて、でき死してしまう。

一方、下の船底の方へと逃げた乗客はひっくり返って上を向いた船底の中に取り残されるも、船底には空気がたくさん残っていて船は沈むことなく、船底に閉じ込められたまま救助隊が助けに来て、船底に穴を開けて助かることができた。

本来なら、船が沈みそうになっているのに、船底の方向へ逃げるという行動は、運をゼロにする行為(船もろとも海底に沈んで死ぬ)なのに、巨大な大波が船を転覆させてくれたおかげて、逆に運が上がって命拾いした。

このケースなどは、船が沈むから上へと逃げて運を上げようとする行動を取った乗客が死に、船が沈むのに下へと逃げて運を下げようとする行動を取った乗客が生き延びるという、運の逆転現象が瞬時(しゅんじ)に発生した。

犯人に殺されようとする場合、大声で誰かに助けを求める運を上げようとする行動を取ったのに、逆に犯人から逆上されて殺されてしまったケースがある。

またおとなしく犯人の言う事を聞けば助かると思い静かにしていたら、逆に犯人から殺しやすい状況ができたと思われて、簡単に殺されたケースもある。

命乞いをすれば助かると思って、犯人に対して必死に命乞いをしたら、犯人の残忍さに逆に火をつけて殺されるケースもある。

犯人に殺されそうになっても、その瞬間に取る行動ひとつで、運がゼロ(死)になるか、運が上がる(助かる)かどうかは、その時の犯人心理状態と殺される側の態度次第で大きく変わってくる。

この続きは明日

日本の運が上がれば、国民の運も上がり、私達一人一人の運も上がる

2007年08月27日 23時56分53秒 | Weblog
日本の運が上がれば、国民の運も上がり、私達一人一人の運も上がる。
誰もが運を下げるような生き方ばかりすれば、そこに負の連鎖(負のスパイラル)が発生して、何もかもがうまくいかなくなり、経済が停滞化して不景気による失業や生活苦、そして不平不満だらけのウソと犯罪に汚れた世の中が続く。


しかし、誰もが運を上げるような生き方をすると、そこに正の連鎖(正のスパイラル)が発生して、何もかもがうまくいき、経済が活性化して好景気が続き、雇用も安定して生活も楽になり、誰もが満足感と充実感のある人生を送れる世の中が続く。

国が決める制度(憲法・法律・条例)や政策をひとつ取ってみても、国民全体の運を上げるような配慮がされていれば、そこに正の連鎖(正のスパイラル)が発生して、何もかもがうまくいき経済も活性化する。

しかし、国が決める制度(憲法・法律・条例)や政策に、国民の運を下げるような配慮ばかりされていれば、そこには負の連鎖(負のスパイラル)しか発生せず、法を順守する正直者だけが損をして、法を無視するウソつきや法を都合よくねじまげる悪人だけが得をする世の中となり、経済も停滞化する。

消費税率を地域別に少しいじる政策を施すだけで、不景気な世の中を変えられる

2007年08月27日 23時55分51秒 | Weblog
「少年法」や現在の「結婚制度」などは、国民全体の運を下げる法律でしかなく、
ごく一部の特権を持った連中(警察・弁護士・裁判官・検察・権力者)だけが得をする制度である。


逆に「女神制度」は、国民全体の運を引き上げることの制度であり、女神制度と合わせて、さらに東京都市部の消費税率を25%にして、大阪都市部と横浜都市部の20%にして、全国の100万都市の消費税率を15%にして、全国の県庁所在地の消費税率を10%にして、それ以外の地域の消費税率を5%にして、離島や過疎地域の消費税率を0%にする政策を施せば、

たちまち、東京への一極集中の悪影響は消えてなくなり、過疎地域から大都市へ人口が一方的に流入していくことも消えて、日本中の過疎地域に人口の逆流入現象が起きて、深刻な過疎問題は一気に解決をして、過疎地域に暮らす人々の結婚受難時代にも終止符が打たれる。


各地域の現状に合わせて消費税率を少しいじる政策を施すだけで、都市部に集中して住んでいた貧乏な若者達が、消費税の全くかからない過疎地域へ住もうという流れが起きて、人の流れが都市部から過疎地域へと大きく動く。

過疎地域に住めば、物価も安く住宅費から生活費までの経費も低く抑えられるので、低所得の若者が消費税率の高い都市部から過疎地域へと、生活拠点を移していく。そして若者が増えた過疎地域では、安い労働力を求めて企業も移転をしてきて、過疎地域の経済の活性化が起きる。