共存共栄主義を世界中に広めよう

世界中の人間同士の共存共栄だけでなく、地球上のすべての生物との共存共栄を求めていくのが、今後の私達人間の役割なのです。

アヘン漬けとアルコール漬けとニコチン漬けは、同列である愚民化政策

2007年10月23日 05時25分15秒 | Weblog
かって中国人をアヘン漬けにして支那国民全体を愚民化して、支那国を完全支配しようとしたキリスト教徒国家がいた。
(イギリスこと大英帝国のお話だが)

それと同じくイギリスこと大英帝国の支配下にあるアメリカ政府と傀儡政権(自民党と各野党のこと)を使って、日本人を
アルコール漬けとニコチン漬けにして、日本人全体を愚民化させて支配しようとしているのだろう。

タバコの煙の有害さと自動車の排気ガスの有害さは同列だろう

2007年10月23日 05時11分52秒 | Weblog
タバコの煙の有害さと自動車の排気ガスの有害さは同列だろう。

がしかし、

石油資源のない日本は無公害の電気自動車普及政策に変えるべきなのだが、日本を裏で事実上支配しているイギリス政府とアメリカ政府が、日本を半永久的に石油依存症漬けにしておきたいがために、


※脱アメリカ支配や脱イギリス支配のキリスト教徒の白人支配から、日本が脱却する政権が誕生した時に、いざという時に、海上封鎖や経済制裁によって、石油資源の輸入禁止措置を取って、日本国内の経済活動に大打撃を与える戦略の、非常に効果的な兵糧攻め作戦にできるので、日本国内に電気自動車を普及させる政策を、キリスト教徒国家の傀儡政権(かいらいせいけん)である自民党と野党を使って取らせないでいる。

※日本の石油依存症漬けと同じ理由で、傀儡政権(かいらいせいけん)である日本政府に命じて、日本の全国各地に原発をたくさん作らせておいて、日本国民を原発電力依存症漬けにしておいて、日本に脱キリスト教徒政権が誕生しそうになった時の、いざという時には、日本の事実上の支配者であるキリスト教徒国家達の武力攻撃によって、原発を航空攻撃やミサイル攻撃で破壊するだけで、原発電力依存症漬けになった日本国民の生活と経済活動に大打撃を与えることができる。

(原発への攻撃破壊はテロリストや敵対国家の仕業にするプロパガンダは、支配下にあるマスコミを通じて当然のごとく行うが)


こうして日本国と日本人を愚民化教育で洗脳(キリスト教徒国家の白人国家は先進国とか文明国としてほめたたえる洗脳教育)しては、アジア地域へのキリスト教徒支配地域拡大のための、軍事力援助(日本の軍事力をキリスト教徒国家の勢力拡大に利用する目的)と、経済援助(日本をキリスト教徒国家の勢力拡大に必要な金づるとして)における橋頭堡(きょうとうほ)として利用し続けることができる。

愛煙家と愛酒家のみなさんは最低限のモラルを守ること

2007年10月22日 22時05分21秒 | Weblog
これでもあなたは喫煙者に知性とモラルがあると感じますか?

暴力団組員の99%は喫煙者
DQN中高校生の99%は喫煙者
犯罪者の90%は喫煙者
パチンコ中毒者の90%は喫煙者
麻薬中毒者の97%は喫煙者
喫煙者の離婚率は85%は喫煙者
子供を殺す親の95%が喫煙者
テレビに出る有名人の中で「こいつキチガイ発言をしてるな」と感じた有名人の95%は喫煙者


私はタバコ自由に吸う権利を規制するのは反対である。
もちろん酒を自由に飲む権利を規制するのにも反対である。

がしかし、無人島でたった一人で暮らす人以外で、たくさんの人々や生物が共存共栄していくための、物事には限度と最低限守らなければならないモラルというものが存在する。

愛煙家はこれまで最低限のモラルすら守ってこなかった。
(最低限のモラルとは、ポイ捨てをやめる事と吸っていい場所と吸ってはいけない場所の見極めと選択)

もちろん愛酒家にも最低限のモラルを守ってこなかった事は愛煙家と同罪である。


たくさんの人々が同じ空間で暮らすのに必要な、最低限のモラルとは何なのか?を、今一度、愛煙家と愛酒家のみなさんにじっくりと考えてもらいたい。

あなた達が最低限のモラルさえ守らなかったから、いろいろな規制法案が数多くできてしまい、世の中がどんどん不自由になって暮らしにくくなっているという現実を。今一度、愛煙家と愛酒家のみなさんにタバコを吸いながらや酒を飲みながらでもいいから、深く考えてもらいたい。

私は目撃した。

2007年10月22日 21時49分32秒 | Weblog
私は目撃した。

そこはとある小学校の裏門だった。
授業の合間だろうか?学校教員とおぼしき人物が三~四人。
小学校の裏門の外でタバコを吸っていた。

どうやらそこの小学校の中では禁煙らしく、愛煙家教師にとっては小学校の外になる裏門でタバコを吸うしかなかったのだった。
それは決まり事だから当然であるといえば当然だろう。

しかし、問題なのがタバコを吸った後の行為だった。
授業の合間は5分程度しかなく、愛煙家教師はドタバタしながら、わずかな休憩時間の合間に急いでタバコを吸うと裏門から小学校の中へ消えていった。
学校教員が立ち去った場所にはタバコの吸殻が何本も道端に落ちていた。
そればかりではない。道路わきの側溝の中には数え切れないほどのタバコの吸殻が散乱していた。

なんということだ。ここの愛煙家の学校教員はタバコのポイ捨てを毎日行っていたのだった。
小学校の中が禁煙なら、小学校の外の道端でタバコを吸うのはよしとしよう。

だが、学校教員ともあろう者がタバコのポイ捨てをするとは何ということだ!!!
携帯用の灰皿をなぜ持参しない?それでもおまえらは教育者の端くれなのか?

教育学部を出てそのまま教師になる学校教員には、社会経験が全くなく道徳心もモラルもないことは、以前から指摘されていた。
だが、こういう光景を目撃してしまうと、学校教員に必要な資質は何なのか?
教員免許を与えるにふさわしい人物とはどういう資質が必要なのか?を、これからの日本は真剣に考える時期に来ているのではないだろうか?

イエス・キリストの嘆き(なげき)3

2007年10月19日 05時12分50秒 | Weblog
こうしたユダヤ教徒がたくさん住む地域では、ユダヤ人でありながら他民族との共存共栄を求めてユダヤ教の教えを信じない人々や、ユダヤ人でもなくユダヤ教徒でもない他民族の住民らは、何かと迫害(はくがい)を受けては土地と権益をユダヤ教徒に奪われたり各種奴隷(かくしゅどれい)にさせられたりして、貧困と間違った考えが支配する環境下(かんきょうか)で苦しんでいた。

※各種奴隷とは、戦争捕虜(せんそうほりょ)による奴隷に、労働目的の奴隷や、人身売買(じんしんばいばい)によって売り買いさせられる奴隷らの事で、これらの奴隷にはあらゆる自由の権利は与えられずに、最低限の生きる自由と住む自由と、仕事を選ぶ自由に移り住む自由すら与えられずに、飼い主であるご主人様に逆らうことは一切許されずに、ご主人様の都合で勝手に殺されて処分されたり、自分の子供や家庭や財産をすべて奪われても何一つ文句は言えなかった。


こうした数多くの各種奴隷(どれい)と貧困(ひんこん)を生み他民族の存在や他宗教への存在を認めずに攻撃的な教義(きょうぎ)を信じるユダヤ教とユダヤ教徒の下では、たくさんの貧困(ひんこん)と数多くの奴隷が生まれる現実に反発して、イエス・キリストはユダヤ教とは正反対の教えである、他民族との共存共栄を求めたキリスト教の教えを中東地域で広める布教活動(ふきょうかつどう)に熱心になった。

ところが現在のキリスト教はイエス・キリストが求めた本来のキリスト教ではなく、ユダヤ教と同じ思想の教えとなり、他民族を侵略しては征服して各種奴隷化と植民地化する目的に使われるようになった。
またユダヤ教徒やキリスト教徒からの侵略から土地と民族の自立を守るために、これまたユダヤ教と同じ目的で他民族や他宗教への攻撃的なイスラム教も生まれた。

続きはまた今度。

イエス・キリストの嘆き(なげき)2

2007年10月19日 05時11分59秒 | Weblog
キリスト教徒(主に白人)のやってきた暴力の武力による、他民族への侵略と虐殺(ぎゃくさつ)と征服(せいふく)と植民地化は、本当にイエス・キリストが望んだ事なのか?
いいや違う。

元々白人ではない中東生まれの中東育ちのイエス・キリストは、ユダヤ人でありユダヤ人の間で信じられてきたユダヤ教の教えには否定的(ひていてき)な人物であった。
その当時のユダヤ人はローマ人やエジプト人や他民族(中東地域のアラブ人など)からの侵略と植民地化によって、自分達の土地が奪われたり過酷(かこく)な税の取立てに苦しんでいた。

そこでユダヤ人達は、周辺地域の他民族からの侵略から自分達の土地と権益(けんえき=利益や自活権利の事)を守るために、ユダヤ人自らの結束力と団結力を高めるためにも、他民族の存在や他宗教の教えを完全否定する攻撃的で破壊的なユダヤ教の教えを広める事で、ユダヤ教を信じる人達をユダヤ人として認定して、そのユダヤ人らだけに土地とあらゆる権益を与える事にして、富と権力と武力をユダヤ教徒に集中させて、さらなるローマ帝国の拡大を狙うローマ人やエジプト人や中東の他民族からの侵略と征服による植民地化に対抗しようとした。

イエス・キリストの嘆き(なげき)

2007年10月17日 05時16分06秒 | Weblog
もしも、イエス・キリストが現在のキリスト教信徒達(主に白人)の行う行為を、生きて目撃することがあれば、嘆き(なげき)と悲しみの果てに、自ら死海(しかい=中東地域にある湖の名前)に飛び込んで自殺を選ぶに違いない。

(仮にイエス・キリストが死海に飛び込んで入水自殺しても、死海は海水よりも塩分が濃くて人間の体は沈まないのでおぼれ死ぬことはないが…)

はっきりいって現在のキリスト教は、イエス・キリストが生きていた当時に布教(ふきょう=教えを説いて各地を回る事)を行ったとされる宗教とは、まったくの別物である。

現在のキリスト教は名前としては一応はキリスト教なのだが、神からのメッセージを伝える役目の伝道師に過ぎないイエス・キリストを、この世で唯一絶対の神として崇拝(すうはい)し、イエス・キリストが権力者に逆らった罪として、手足に釘を打たれて十字架(じゅうじか)に磔(はりつけ)にされて処刑された姿を、肖像画(しょうぞうが)にして教会に飾ったり(かざったり)、首からぶら下げるネックレス型のお守り(自分はキリスト教徒であるという証明のために身につける装飾品)を大切にしたり、墓や協会や家の中の至る場所に十字架をキリスト教徒の証(あかし)として、飾ったり描いたり(かざったりえがいたり)している。

またイエス・キリストが処刑された死後、数百年も経った時のキリスト教の宣教師(せんきょうし)に過ぎない信徒が、各地の教会に送った文書の内容が聖書とされたりする。

どこのまともな思考を持つ人々の世界に、自分が崇拝(すうはい)する教祖(きょうそ)が権力者に逆らった罪人として処刑されたミジメな姿を、信徒の証やお守り代わりにして身につけたり、教会や家の中や墓に飾ったりするのだろうか?

キリスト教が破壊を目的とした宗教であり、世の中の終わりとそこからの復活を求める破滅宗教(はめつしゅうきょう)だからこそ、こうした

明日へ続く


喜怒哀楽(きどあいらく)が大きい人ほど活発的に動こうとするので魅力的になる

2007年10月15日 05時40分57秒 | Weblog
またまた書き込みしたくない病が出て、ブログの更新が一週間以上あいてしまった。

書きたい事は山ほどあるのだが、脳内で考えている事を全部書き込むには大変な労力がいる。
書く気力を呼び起こすだけの「怒りのパワー」「悲しみのパワー」「喜びのパワー」「憎しみのパワー」「楽しみのパワー」のいずれかを発生させないと、何か問題を提起して書き続けるという行動は起こせない。

人は怒りの時ほどよく動くものである。
人は悲しみの時ほどよく動くものである。
人は憎しみの時ほどよく動くものである。
人は喜びの時ほどよく動くものである。
人は楽しみの時ほどよく動くものである。

人は喜怒哀楽(きどあいらく)が大きい人ほど活発的に動く。
人は満足度が低い場合や満足を求めて活発的に動こうとする。

生物は満足(満腹)を求めて活発的に行動する

2007年10月15日 05時39分23秒 | Weblog
生物はお腹が減る(活動に必要な体内の栄養素が不足し始めた状態)と活発的に動く。ただしお腹が減りすぎると(活動に必要な体内の栄養素が完全に不足した状態)生物は動かなくなる。

他の生物や物質を捕食して体内に取り込むという空腹を満たす行為は、満足を求める行為であり、お腹が満腹になるための満足を求めるために活発的に動く。
ただし、あまりにも空腹であれば満足を求める行為すらも消え失せてしまい、ただじっとするだけの無気力となる。

砂漠で暮らす植物は雨が降るまで何年も活動をせずに地面の下でじっとしている。
砂漠にひとたび雨が降れば、たちまち水分を植物の体内に取り込んで活発的に活動を始めて、枯れた砂漠の大地に次世代の種子(しゅし)を残そうと花を咲かせる。

植物だって水をたっぷりと体内に取り込んで満腹になりたいという満足を求めている。植物にとって水を使わなければ光合成ができないからであり、光合成ができなければ栄養素も作れないし、次世代のための種子を作る花も咲かせられない。

みんなが満足できる時代を作ったら、みんな満腹感に満たされて眠ってしまう?

2007年10月15日 05時37分15秒 | Weblog
人も何かの満足を求めて活発的に動こうとするが、満足があまりにも不足しすぎると、都会や田舎でくすぶったまま何年もじっとしていることになる。

ほんの少しの世の中の不満なら活発的に行動して改善しようと考えるが、余りにもたくさんの世の中の不満が起きていれば、たちまち無気力となり何もせずに、地面の下でただじっと雨が降るのを待つだけとなる。(この場合は、雨が降るという気候の変化なので、人間社会だと環境の変化によって世の中が大きく動くきっかけとなる、激動の時代を待つ意味となる)


では今の日本の社会や世界中の国々はどうか?
今の社会体制で充分満足している人もいれば、満足せずに改善に活動的な人もいる。中には完全に満足できないで無気力となり、地面の下でじっとしながら、ひたすら雨が降る(激動の時代=革命によって時代の変化の到来)のを待ち続けている人も大勢いる。

どんな世の中であろうが。
必ず、誰かが満足をして満腹になって眠り続けて(満腹になると眠気が襲ってきて努力や改善の行動を取らなくなる)、誰かが満足をせずに活発的に行動を起こし続けて、誰かの満足度が完全に足らずに無気力となり地下でじっとし続けて雨が降るのを待ち続ける(激動の時代が来るのを待つ)。

私のたぐいまれな英知によって、みんなが満足できる時代を作れるのだろうか?
仮にみんなが満足できる社会を作り上げたとしたら、すべての人間の活動は低下して、努力や改善の行動を取らずに眠ってしまうのではないだろうか?