共存共栄主義を世界中に広めよう

世界中の人間同士の共存共栄だけでなく、地球上のすべての生物との共存共栄を求めていくのが、今後の私達人間の役割なのです。

外は「春一番」のやさしい風が吹いているし。道歩く人達の「微笑み返し」も暖かくなってきた。

2008年03月17日 03時52分06秒 | Weblog
さて、これからは競馬とはどういう感じで付き合っていこうか?


毎週末予想するレースをさらに減らして買う金額もさらに縮小して、遠隔操作のなさそうなレースばかりを厳選して、細々と競馬と付き合っていくのか?

それとも、このタイミングできれいさっぱり競馬とは縁を切るか?

それとも、馬券を一切買わずにテレビでレースを見るだけの付き合いにするのか?


考える時間はたっぷりとある。


結論を出すにはまだ早いだろう。

とりあえずは、これまでの毎週末は競馬にどっぷりとつかった付き合いからは、大きく後退した自分が今週末から登場してくるだろう。


最近めっきりと暖かくなったし。


外は「春一番」のやさしい風が吹いているし。

道歩く人達の「微笑み返し」も暖かくなってきた。


今年の4月4日には、今や伝説のアイドルユニットとなった、キャンディーズ解散コンサート30周年を迎えて、当時のファンクラブ会員らが主催する30年前の当時を振り返るコンサートも行われる。

今週末は、「春一番」や「微笑み返し」を聞きながら競馬とは離れて、暖かい陽気の中で山歩きをするのもいいかなと思う。

30年前の中学生だったころを振り返りながら、キャンディーズ解散コンサートの決戦場となった後楽園球場に、生まれ育った九州の地から参戦できなかった、悔しさで一杯の自分に戻ってみようかなとも思う。

近年の売り上げが毎年のように年々低下する傾向にあせる胴元の姿勢が、遠隔操作レースの乱発を生む

2008年03月17日 03時49分09秒 | Weblog
というわけで、パチンコに続いて、競馬の世界にも遠隔操作の存在を確認した以上、パチンコに引き続いて競馬をやめる時期が来たのかと、自分自身の心に感じる。

競馬を始めたころの昔はよく平場レース(特別戦以外の500万下レースや1000万下レース)や、新馬戦や未勝利戦にも手を出して馬券を買っていた。
しかし、平場レースにはヤリヤラズ(わざと負ける八百長や勝って昇級したくない八百長)がレースが多すぎたので、八百長の比較的少ないメインレースや重賞レース専門の馬券買いに変えてきた。


それが、近年の売り上げが毎年のように年々低下する傾向にあせる胴元の姿勢と、ディープインパクト登場以降は、世間で大事件や大事故や起きた時のたまにしかなかった、時事に合わせたメインレースや重賞レースでの八百長演出イベントが、頻繁(ひんぱん)に発生するようになった。

そして重賞レースはおろか、滅多に八百長演出をしなかったGⅠレースやクラッシックレース(3歳馬限定GⅠレース)にまで、遠隔操作による八百長演出イベントで、100万越え馬券や10万越え馬券が、毎週当たり前のように何本も出るようになった。


遠隔操作による八百長を嫌って重賞レースやメインレース専門の馬券買いにしたのに、この分野にまで遠隔操作によるレースや、納得のいかない不可解なレースが増えてきた。

国内では当たり前の薬物使用馬も、海外の歴史ある凱旋門賞での薬物不正使用までは容認させてもらえず

2008年03月17日 03時46分20秒 | Weblog
スポーツ新聞や競馬テレビ番組で公開している、一般人への知名度の高い有名人達の競馬予想で、配当が10万を越えた時や100万を越える時の、大穴馬券が当たったケースは、いずれも私が八百長レースだなと判断したレースばかりである。


※昨年の皐月賞やNHKマイルカップが一番八百長演出レースだとわかりやすいケースで、一般にも名の知れた有名人馬主の馬に勝たせたり、100万馬券の超大荒れを演出している。

※他にも二年連続で八百長演出レースとなった昨年の有馬記念や、素人ファンが大勢いた薬物使用で勝ち続けたディープインパクトの出走したレースなど。

※ディープインパクトなんか、日本国内のレースにおいてのみ有効な不正な薬物使用(ドーピング)に加えて、他の有力馬が究極仕上げとレースでの本気走りを遠慮してくれたおかけで勝ち続けた事が、凱旋門賞で牝馬に負けたうえでの、薬物不正使用による3着失格ではっきりした。


(薬物を使って、どれだけ能力アップしても海外の6歳牝馬にすら力負けするディープインパクト。国内のレースでは当たり前に使用できた薬物ドーピングも、さすがにJRAの圧力や、社台ブランドに武豊の威光も全く通じず、海外の歴史あるビッグレース内での薬物不正使用までは容認させてもらえなかった。)


これらの八百長演出レースで勝たせてもらったり2、3着に来た馬はいずれも実力と格が備わっていないので、その後のガチンコレースに出走すると、格下の馬が集うGⅢレベルやオープンレベルすら勝てずに、成績が低迷することで、実はあのレースで、こんな弱い馬が勝ち負けできたのは、八百長演出だったと誰でも理解できるはず。


テレビでよく見かける一般人にも知名度の高いお笑い芸人コンビの片割れが、毎週末メインレースだけを予想して某スポーツ新聞に掲載しているが、このお笑い芸人が予想で当てた大荒れレースは、いずれもが八百長演出臭いレースばかりである。
他にも競馬予想を主体にしたテレビ番組で予想を公開する、一般人にもそこそこ知名度のある同じくお笑い芸人が、予想で当てた大荒れレースも、いずれもが八百長演出臭いレースばかりである。


これらのケースはいずれもが、本人の知らないうちに、一般層に競馬に興味を持たせて新規客を呼び込むためと、新規客においしい思いをさせて常連客に仕立て上げるために、勝手に広告塔にされて、遠隔操作(八百長レースの演出)で大穴予想が当たっているとケースだと推測する。

新規客を呼び込むための広告塔には、一般人への知名度の高い有名人の競馬予想を利用した遠隔操作手法

2008年03月17日 03時42分17秒 | Weblog
中央競馬における遠隔操作のたぐいを説明するはずが、いつの間にか分派した宗教対立へと話が大きくそれてしまったので話を元に戻そう。


今回、競馬においてどういった手法で遠隔操作が行われたかを、番号を並べてわかりやすく推測すると。


<競馬に新規客を呼び込むための広告塔の役割を果たしてくれる、一般人への知名
度の高い有名人の競馬予想を利用した遠隔操作手法>

①一般人への知名度の高い有名人達の競馬予想の中から、100万馬券や10万馬券を越える、大荒れを期待した予想の時だけをピックアップ。

②ピックアップする条件は、競馬の事を詳しく知らない素人発想に近い予想をする一般人への知名度の高い有名人とする。

③競馬歴が長くなる人ほど、そうした知名度の高い有名人達の競馬予想を、競馬を知らない素人だとバカにして予想の参考にしなくなるし、買い目を真似して馬券も買わない。

④こうして、一般人への知名度の高い有名人達の競馬予想を参考にしたり、買い目を真似をして馬券を人は、競馬をよく知らない素人ばかりとなる。

⑤100万馬券や10万馬券を越える、大荒れを期待する有名人の競馬予想に合わせてレース着順を、遠隔操作手法で演出する事で、この有名人の競馬予想はよく当たると、スポーツ新聞やテレビや週刊誌で大々的に取り上げられる。(ガチガチの低配当レースをどれだけ当てても話題にはならないため)

⑥一般人への知名度の高い有名人の話題に釣られて、競馬に全く関心のなかった層も競馬に興味を持つようになる。

⑦一般人への知名度の高い有名人の競馬予想に丸々乗っかるだけで、何十万円もの大金を楽して手にできて儲かると、皆が思うようになる。

⑧物は試しにと、実際に一般人への知名度の高い有名人の競馬予想に丸々乗っかって馬券を買う一般人競馬素人が、数多く出てくる。

⑨そうした知名度の高い有名人の競馬予想に丸々乗っかっただけの、競馬素人や競馬歴の浅い新規客のみに、遠隔操作(八百長レースの演出)で10万円越えだの100万越えだのの、ビッグ配当を実際にプレゼントする。

⑩有名人の予想に丸々乗っかっただけで、ビッグ配当が当たって大儲けした素人や新規客達は、いずれも気分が良くなり脳内快感が高まった事になる。

⑪有名人の本人すら知らない所で広告塔に勝手に仕立て上げられ、大穴予想が遠隔操作(八百長演出レース)で当たったとは思わずに、また一人また一人と、その有名人予想に乗っかって大儲けしただけの有名人信者が、いつの間にか毎週末競馬にドップリとはまる常連客へと生まれ変わる。

イギリス軍とアメリカ軍共同によるイラク侵略戦争と進駐政策は、十字軍遠征の継続に過ぎない

2008年03月17日 03時36分43秒 | Weblog
またイラク侵略戦争開戦の理由作りにした、ニューヨーク同時多発テロも、アメリカ政府やアメリカ軍部中枢による、大衆の被害心理をコントロールした遠隔操作のたぐいである。


そもそもイギリス軍とアメリカ軍共同によるイラク侵略戦争と進駐政策は、何千年も続くキリスト教徒とイスラム教徒の対立の延長線の出来事であり、かってはキリスト教徒ローマ兵やキリスト教徒フランス義勇兵を中心とした、中世の中東地域への十字軍遠征戦争とアラブ世界侵略の継続を、今度は軍事力に勝るようになったイギリス国内のキリスト教徒勢力と、アメリカ国内のキリスト教徒勢力が引き継いだ十字軍遠征の継続に過ぎない。


イギリス軍とアメリカ軍共同による、フセイン大統領政治打倒をスローガンに掲げたイラク侵略戦争とイラク国内の石油利権確保は、現代版十字軍遠征である。


もちろんかっての大英帝国(現在のイギリス)が主体となった、国連を巻き込んでの中東におけるイスラエル建国政策も、聖地エルサレムを半永久的に確保したいキリスト教徒勢力と、同じく聖地エルサレムを死守したいイスラム教徒勢力との、何千年にも渡る対立の一環に、同じくエルサレムを聖地とするユダヤ教徒を、橋頭堡代わり(最前線で消耗してくれる消耗兵士の役割の事)に使うためである。



このキリスト教、イスラム教、ユダヤ教のいずれもが、エルサレムが聖地であるという事実は、かってこの三つの宗教は同じひとつの宗教から派生した物だと考えていい。


つまりは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の三つに分裂した宗派内(内ゲバ紛争)での主導権争いの戦争や紛争を、他民族や世界各国を巻き込んで、何千年も繰り返しているわけである。


一言で言って宗教信者はバカの集まり。


「バカは死ななきゃ(殺されなきゃ)治らない」のことわざが、ピッタリあてはまるのが宗教にドップリと漬かった宗教信者達である。

ユダヤ人科学者に、ノーベル賞受賞を乱発させるのも遠隔操作の一種

2008年03月17日 03時29分05秒 | Weblog
世界の金融を牛耳るユダヤマネーを背景にした、ユダヤ人(正確には純潔のユダヤ人は存在してなく、混血のユダヤ教徒の事)科学者に、ノーベル賞受賞を乱発させては、ユダヤ人は天才や頭の良い人が多いというウソのイメージを、世界中の民衆にに印象つけさせるための遠隔操作のたぐい。


※ユダヤ人には、ノーベル賞を数多く受賞できる天才や頭の良い人が多いというイメージが、まったくのデタラメである証拠は、ユダヤ人国家(ユダヤ教徒の国家)によるイスラエル占領地でのパレスチナ領土侵略政策の横暴さと野蛮さを見てもわかるはず。


あのユダヤ人だらけのイスラエル占領地(ユダヤ人入植地)で、パレスチナ人に対する、ユダヤ人の知能の高さを全く感じさせない、野蛮な占領政策。(侵略政策)

イスラエルの背後にいるアメリカの軍事力と最新兵器の武器供与を背景にした、ユダヤ人のパレスチナ人に対する横暴さと暴力的な軍事力使用(イスラエル人が10人殺されたらパレスチナ人やアラブ人を何百人も殺す報復戦争)のいったいどこを見れば、ユダヤ人は天才や頭の良い人が多いというイメージがあるだろうか?


またヒトラー率いるナチスドイツに、ユダヤ教徒は600万人も虐殺されたという過大な被害宣伝手法も、遠隔操作のたぐいである。

ヨーロッパ全土からかき集めても、それだけの数のユダヤ教徒はいないはず。
独裁者ヒトラーの政策に反発するドイツ人や、ナチスドイツが占領したヨーロッパ各地で、反ナチス運動を展開した各国の民族も強制収容所送りにされたので、それらもすべてユダヤ教徒に仕立て上げての600万人という数字だろう。


そもそも、これらの人間が殺された直接の死因は、食料供給不足による病死や餓死であり、戦争末期の敗戦濃厚な国では、食料を含む物資の供給ルートを、戦勝国からの無差別破壊攻撃(空爆)によって途絶えさせられているので、戦争末期の敗戦国では、病死者や餓死者が続出するのは当然なのである。

(戦争末期の敗戦国では、ドイツ国内やドイツ軍占領地及び、最前線で戦うドイツ軍兵士だけでなく、日本国内や日本軍占領地及び、最前線で戦う日本軍兵士にも、食料不足による病死や餓死が続出していた。)

遠隔操作の手法が行われる目的の共通点は以下の通りである

2008年03月17日 03時21分58秒 | Weblog
競馬の世界ではどのようにして遠隔操作が行われて、新規客のみに10万円以上の大勝ちをさせて、毎週のように馬券を買い続ける常連客へと開拓していっているのか、私なりの推測と予想を交えて書き込もう。


遠隔操作の手法のたぐいの目的は、いずれも新規客を常連客へと変えて、最終的には金づるにするためだと、目的はすべて共通している。


遠隔操作の手法が行われる目的の共通点は以下の通りである。
1,新規客を常連客へと変えたい。
2,新規客を常連客へと変えるために、偶然や幸運を装った故意の演出を多用する。
3,新規客のみにおいしい思いや大儲け(気分良くさせて脳内快感を高めさせる)をさせる。
4,偶然や幸運を装った故意の演出によって、新規客を常連客へと変えるために投じた金額より、何百倍や何千倍もの金額を常連客から回収する。


この、楽をしておいしい思いができたという脳内快感は、どんな動物にもあてはまる習性である。


とある動物がある場所で、苦労せずに楽にエサにありつけると、だまされたとは知らずに何度もその場所に集まってくる。
同じ場所で魚に撒餌(まきえ=エサをまくこと)し続けて、エサほしさに魚がたくさん集まった所で網を入れて一網打尽にする漁なんかも、遠隔操作のたぐいである。


遠隔操作は何もパチンコ屋や日本国内の話ではなく、世界中のどこでも見られる手法であり、宝くじも含めたギャンブル産業全般、プロスポーツ産業全般、金集めが目的だけのうさん臭い宗教屋でも遠隔操作のたぐいが行われているし。
客から金をだまし取るのが専門の詐欺企業や悪徳企業でも、遠隔操作のたぐいが行われている。

ホストクラブにはまって借金を増やし続けて、最終的には風俗産業で働いて返すはめになるバカ女も、初めて行ったホストクラブでおいしい思い(イケメンホストからチャホヤされる=召し使いを何人も従えた女王様気分に浸れる)をさせられた遠隔操作のたぐいである。


また株屋の世界でも遠隔操作は当たり前であり、情報操作によって大衆心理を自由にコントロールしたい、政党政治屋や官僚組織、テレビ新聞雑誌のマスコミ各社に、軍隊や警察にも、遠隔操作のたぐいが行われている。

さらには保険屋や法律屋に裁判所、はたまたはその辺の商店でも、常連客を増やそうと、新規の客だけにおいしい思いをさせて常連客に変えてやろうと、遠隔操作のたぐいが日常的に行われている。

遠隔操作は何のために行われるのか?

2008年03月17日 03時19分20秒 | Weblog
遠隔操作は何のために行われるのか?
新規の客を開拓して常連客にするために遠隔操作が行われる。


初めてその店のパチンコを打ちに来たような一見のお客さんを逃がさないために遠隔操作が行われる。


そのパチンコ屋で運悪く大負けしてしまうと、二度とそのパチンコ屋には出入りしなくなる一方で、初めて行ったパチンコ屋や、初めて打ったパチンコ台で、連チャン大当たりの嵐で運良く大勝ちしてしまうと、その客は大勝ちした時の快感記憶が脳中から消えずに、再び大勝ちしたパチンコ屋や、大勝ちした台ばかりを狙って足しげく通う習性がある。

パチンコ屋店内に張り巡らされた防犯カメラを漬かって、新規の客かどうかを品定めしてパソコンボタンプチッと押す遠隔操作によって、お座り一発怒涛の15連チャンや、10万円以上の大勝ちをさせれば、その新規客は大勝ちした快感記憶を頼って、次の日もまた次の日も同じパチンコ屋や、同じ台を打ち続けることとなる。
こうして遠隔操作によって、また一人の常連客(店にとっての金づる=カモ)が誕生することになる。


常連客になった後は、ごくたまに遠隔操作で大勝ちさせてやるだけで、カモにさせられた客は、勝った時の金額の何百倍や何千倍もの金額をパチンコ屋におさめ続けて回収させられる。


これらと同じ遠隔操作の手法が、競馬の世界にも露骨に使われ出したと、昨日のレースを見てはっきりと感じた。


パチンコ屋と同じく、初めて競馬に手を出す新規客を、毎週のように馬券を買ってくれる常連客に変えるために、競馬の世界でも昔から行われてきたはずだが、客にバレないようにこっそりとやり続けていたのだろう。

それが近年の馬券売り上げの低迷と、年々低下し続ける馬券売り上げに胴元があせりだしたのか、毎週のように露骨な遠隔操作が行われていると感じるようになった。

パチンコに続いて、ついに競馬の世界にも遠隔操作が蔓延(まんえん)してきた

2008年03月17日 03時16分13秒 | Weblog
昨日の日曜日は自分自身の心の中で、競馬予想と馬券買いの終焉(しゅうえん)を感じた一日だった。


私が始めて競馬に手を染め出したのは、就職のために東京に上京して1年ほど経った20歳過ぎのころと記憶している。


今から約25年前の話になる。


競馬を初めて始めたころは、シンボリルドルフは登場しておらずミスターシービーがデビュー直前のころだったと、不確かな記憶を頼りに思い出している。


あれから25年。


毎週の週末は競馬にどっぷり漬かった生活とも、そろそろ終わりが近づいて来たなと、昨日の東西メインレースを見て感じた。

今はもう年に1~2回程度しかやらなくなったパチンコの世界は、昔はそれこそ競馬のようにどっぷりと漬かった毎日だった。
パチンコをやめた理由は、遠隔操作の存在にはっきりと気づいた5、6年前だっただろうか?


自分は勝つために本気でパチンコ台に向かっては打ち続けて、負けては失敗した方法を反省したり、さらなるパチンコ攻略の研究に没頭したりとしていたが、そんな自分をあざ笑うかのようにパチンコ屋の奥の部屋では、ボタンをちょこっと押すだけの遠隔操作によって、打ち手の客にバレないように出球を調整している。
パチンコ屋の売り上げが減ってくると、遠隔操作がますますひどくなってくる。

葬式や告別式は、いつも悲しい顔をする必要はない

2008年03月06日 00時15分38秒 | Weblog
「死とは悲しいもの。」
「葬式ではしゃいではいけない。」

間違った古い教育を受けた人は、必ずこういう思い込みをしたがる。


死んだ人に対してなぜ葬式をするのだろうか?
死んだ人と何らかのつながりがある人が、一ヶ所に集まってなぜ告別式をするのだろうか?


葬式とはなにか?
葬式とは死んだ人に対して最後のお別れをいう場である。

だが葬式の目的とは本当にそれだけだろうか?
いいや違う、もっと大きな目的が葬式や告別式にはある。

死んだ人が本当に喜ぶのは、自分の死によって、いままで疎遠だった人達が一ヶ所に集まって、互いに再開を喜び合い親交を深めてくれることである。

葬式や告別式によって、みんなが自分の死を悲しんでくれるのもうれしいが、自分の死を通じて、疎遠だった人達の久しぶりの再開や、親交のきずなが深まってくれることの方が、さらにうれしいだろう。
自分の死も、まんざら無駄ではなかったと、死者は満足してあの世へ旅立っていける。