
帯廣神社/北海道帯広市(Obihiro Jinja,Obihiro Hokkaido Japan)
2015年5月24日(日)、帯広市にある帯廣神社(おびひろじんじゃ)に参拝。国道38号沿いの大きな神社。国道38号をまたいで、茶色の第1鳥居、右に十勝開拓先駆者依田勉三の銅像のある中島公園、左に十勝総合振興局あり。国道38号を渡り、大きな社号標あり。白い第2鳥居、コンクリート板参道。右に大きな社務所、左に由緒看板。境内は大きな森だ。左に市制記念の馬の銅像、その横に大きな手水舎、ずっと左奥に土俵あり。その近くに木々に囲まれた池がある。ドングリを置いたリスの餌台あり。右に東屋と郷社昇格記念碑、「包丁塚、魚鳥供養之碑」、「神徳長照碑と碑文」あり。参道正面の神門(しんもん)をくぐり、奥に立派な黒屋根の社殿あり。右に参集所、左に祭務所あり。
獅子狛犬は神門の前に1対居た。
阿吽は正。逞しく丸い体型。タレ耳、タテガミはウズを巻きスジとなり流れ、小さな尾はウズを巻く。奉納年は大正4年(1915年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒080-0803 帯広市東3条南2丁目1番地
☆祭神
・大國魂神(おおくにたまのかみ)
・大那牟遲神(おおなむちのかみ)
・少彦名神(すくなひこなのかみ)
☆由緒
明治16年、静岡県松崎出身の依田勉三らが晩成社を組織してオベリベリ(帯広)に入植し、同18年より祭礼(天王祭)を営んだのが帯廣神社の創祀である。明治42年に社殿造営の議起り、町内会議の上で現在地に新たに神社を創立することを決定した。翌明治43年に仮殿を造営し、同年9月24日、札幌神社(現在の北海道神宮)より御霊代を鎮斎、爾来当社例祭日を9月24日とした。翌44年、無格社。大正7年に郷社、昭和5年9月には県社に昇格。昭和11年、天皇陛下行幸の際、御使御差遣せられ、幣帛料を賜わる。昭和35年、御鎮座50周年記念祭斎行。昭和51年7月には別表神社に加列せられた。翌昭和52年より、別表神社加列・御鎮座70周年の記念事業として、帯廣神社御造営奉賛会が設立され、昭和54年に新社殿他が造営され、翌昭和55年には社務所を改築し、同年9月に奉祝祭を斎行した。
☆地名の由来
・帯広市:アイヌ語のオペレペレケプ(河口がいくつにも分かれている川)がなまってオベリベリ、そして帯広(おびひろ)になったと考えられている。
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2015年5月24日(日)、帯広市にある帯廣神社(おびひろじんじゃ)に参拝。国道38号沿いの大きな神社。国道38号をまたいで、茶色の第1鳥居、右に十勝開拓先駆者依田勉三の銅像のある中島公園、左に十勝総合振興局あり。国道38号を渡り、大きな社号標あり。白い第2鳥居、コンクリート板参道。右に大きな社務所、左に由緒看板。境内は大きな森だ。左に市制記念の馬の銅像、その横に大きな手水舎、ずっと左奥に土俵あり。その近くに木々に囲まれた池がある。ドングリを置いたリスの餌台あり。右に東屋と郷社昇格記念碑、「包丁塚、魚鳥供養之碑」、「神徳長照碑と碑文」あり。参道正面の神門(しんもん)をくぐり、奥に立派な黒屋根の社殿あり。右に参集所、左に祭務所あり。
獅子狛犬は神門の前に1対居た。
阿吽は正。逞しく丸い体型。タレ耳、タテガミはウズを巻きスジとなり流れ、小さな尾はウズを巻く。奉納年は大正4年(1915年)。
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☆所在地
〒080-0803 帯広市東3条南2丁目1番地
☆祭神
・大國魂神(おおくにたまのかみ)
・大那牟遲神(おおなむちのかみ)
・少彦名神(すくなひこなのかみ)
☆由緒
明治16年、静岡県松崎出身の依田勉三らが晩成社を組織してオベリベリ(帯広)に入植し、同18年より祭礼(天王祭)を営んだのが帯廣神社の創祀である。明治42年に社殿造営の議起り、町内会議の上で現在地に新たに神社を創立することを決定した。翌明治43年に仮殿を造営し、同年9月24日、札幌神社(現在の北海道神宮)より御霊代を鎮斎、爾来当社例祭日を9月24日とした。翌44年、無格社。大正7年に郷社、昭和5年9月には県社に昇格。昭和11年、天皇陛下行幸の際、御使御差遣せられ、幣帛料を賜わる。昭和35年、御鎮座50周年記念祭斎行。昭和51年7月には別表神社に加列せられた。翌昭和52年より、別表神社加列・御鎮座70周年の記念事業として、帯廣神社御造営奉賛会が設立され、昭和54年に新社殿他が造営され、翌昭和55年には社務所を改築し、同年9月に奉祝祭を斎行した。
☆地名の由来
・帯広市:アイヌ語のオペレペレケプ(河口がいくつにも分かれている川)がなまってオベリベリ、そして帯広(おびひろ)になったと考えられている。
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