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人と街

小さな発見

大田道灌の魅力

2008-02-26 23:50:58 | Weblog
山吹と大田道灌

伊勢原の糟屋館で主君の上杉定正に暗殺された太田道灌。

道灌といえば山吹伝説があまりにも有名。鷹狩の帰りに雨に遭った道灌が、農家の娘に蓑を望んだ。だが、娘が持参したのは一輪の山吹の花と歌!

「七重八重 花は咲けども山吹の 実一つだに なきぞ悲しき」の歌。

この聡明な女性は「蓑」と「実の」をかけて、蓑もない貧しい暮らしであることを歌で知らせたのだが....。道灌は歌を理解できなかった。
立腹して帰還した。
後に家臣に教えられて歌の意味を知った道灌は、いたく恥じ入り、その後は学問に大いに励んだと伝えられています。
心を打つ伝説である。蓑ひとつ無き貧しき農家と歌った心がにくい!



山火事

2008-02-22 14:46:28 | Weblog
2/22昼ごろ、ヘリコプターがグランドに発着。駆け付けたところ、山奥なので消防車が届かないので、市民グランドで、ヘリに消化用水を補給しての消火作業であった。 火災現場は、谷稲葉トンネルの南の山頂付近で、1,350平方が山火事で焼出した。

天までとどけ大阪城

2008-02-22 12:14:09 | Weblog
あまりに見事な大阪城!
我も何か残したい!築きたいものだ!
大坂城は豊臣秀吉が天下統一の拠点として築いた城である。
築城が開始されたのは、織田信長が本能寺の変にたおれた翌年、天正11年(1583)のことであった。
もともと大坂城の位置する上町台地北端部には、浄土真宗石山本願寺派の総本山大坂(石山)本願寺がが繁栄して、一向一揆の拠点として信長軍を容易に寄せつけぬほどの要害をかまえていた。
 しかし織田信長との長い戦いの末、天正8年(1580)に紀州に退去し、この時焼亡して八十余年の歴史を閉じた。
秀吉の大坂城は本願寺時代の遺構を活用して築造されたが、信長の安土城を模範としつつこれを超えることがめざされた結果、「大坂城」とも呼ばれた本願寺とは規模も構造もまったく異なる別の城ができあがった.
平成の大改修
 平成9年(1997)、大阪城の大規模な改修が完成した。
 外壁の塗り替えと装飾部品の修復、金箔の押し直しにより白壁と金箔の輝きで彩られた美しい姿がよみがえった。
 天守閣は、震度7の地震にも耐えられるように補強され、エレベーターの延長などにより、車椅子でも展望台へ出られるように改善された。閣内には、シアタールーム、ジオラマなどの設備もあり、歴史博物館としても充実した。

 

海は広い世界とつながっている!

2008-02-21 23:13:57 | Weblog
彼方は、海が好きですか?それとも山が好きですか?
水平線に、航行の船舶が見えないのが残念と言うか少し寂しいきがする!
私は、海が好きだ。広いから好きだ。又海の向こうに異文化があるから魅力を感じる。私の母は、山がすきだと!海の雄大さと山の優しさの議論をしたことがある。
山の文化も海の文化もかけがいのない宝物だ!
しかし山の文化には閉塞感がある。海の文化には無限に広がりを感じる。
母と私の議論はそこまでだった。

東京国際フォーラム

2008-02-21 22:54:40 | Weblog
国際フォーラム・どこまで進むのだ!驚きの国際フォーラムです。
驚きのため息!疲れのため息!ため息吐きながら、ラウンジまで登りました。
天井の鯨の骨が、歩道階段になっています。
都庁の移転後、ここが東京国際フォーラムとして新たに生まれ変わったことに伴い、平成8年5月、ゆかりの深いこの地に復帰することになり、以前と同様に、居城であった旧江戸城(皇居)を望んでいます。
製作者の彫刻家朝倉文夫氏は、第2次大戦中に旧東京市庁舎から撤去、供出された太田道灌像の作者渡辺長男氏の実弟です。

東京国際フォーラム

大小7つのホールと、数多くの会議室、展示ホール、ギャラリーなどを備えた、東京で初めてのコンベンション&アートセンター。
音楽、演劇、舞踊、映画、美術、商業イベント、国際会議などに使われています。

岡部藤枝合併調印式で中学生がメッセージ!

2008-02-19 12:20:18 | Weblog
調印式が厳かに終了した。所:岡部町・町民センター時間:10:00~ 調印式・来賓祝辞、静岡県知事石川嘉延の後、藤枝中学男子代表
岡部中学女子代表が、スピーチした。何と分かりやすく、希望に満ちたスピーチだった。参加した皆が感動したと思う。
大人は、複雑にわかり難く、説明が回りくどいのが実感!気を付けたい。

藤枝岡部合併調印式

2008-02-19 12:19:26 | Weblog
2008/2/19
藤枝市岡部町が合併調印式が厳かに終了した。
爽やかな、クラシック音楽が流れる中で、長い歴史を持つ岡部宿と藤枝宿が歴史文化を共有しながら、合併により新たな地方分権の時代に挑戦、調印式が終了した。
立会人の代表として感無量であった。