若いころ、トリエンナーレが始まった。
そもそも先鋭的な芸術は大嫌いだ…
クソの足しにもならん。
興味もなかった。しかし、今年のトリエンナーレは、すさまじい。
表現の不自由展 その後
というテーマの展示で朝鮮の慰安婦像のレプリカ、そのとなりには空席の椅子が飾られた。
この挑発的な作品は見事に表現の不自由さを見せつけてくれる。
社会現象にまで成長し、作品自体は取り除かれたにもかかわらず、存在感を増している。バンクシーをも凌駕している。
この現象から、何をくみ取るべきか?
レプリカたったひとつで、揺らぐ社会。たった1人の作品に意のままに操られる知性の危うさ。
しかし、1番感動するのは、これが捨て身の覚悟を持った作品ということだ。
これだけの動揺を招いた作者の安全は保障されないだろう。
表現の不自由展 その後
これからどうなるのか?気にせずにはいられない。
これほどまでに主催者や、作者に支配されたことはない。
どうなる、表現、どうなる、芸術、どうなる、日本。
そもそも先鋭的な芸術は大嫌いだ…
クソの足しにもならん。
興味もなかった。しかし、今年のトリエンナーレは、すさまじい。
表現の不自由展 その後
というテーマの展示で朝鮮の慰安婦像のレプリカ、そのとなりには空席の椅子が飾られた。
この挑発的な作品は見事に表現の不自由さを見せつけてくれる。
社会現象にまで成長し、作品自体は取り除かれたにもかかわらず、存在感を増している。バンクシーをも凌駕している。
この現象から、何をくみ取るべきか?
レプリカたったひとつで、揺らぐ社会。たった1人の作品に意のままに操られる知性の危うさ。
しかし、1番感動するのは、これが捨て身の覚悟を持った作品ということだ。
これだけの動揺を招いた作者の安全は保障されないだろう。
表現の不自由展 その後
これからどうなるのか?気にせずにはいられない。
これほどまでに主催者や、作者に支配されたことはない。
どうなる、表現、どうなる、芸術、どうなる、日本。
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