新. _ 植 物 紀 ・ s e e d .

復活、新植物紀!!

古典

2018-01-29 17:33:03 | 雑感
色川武大のエッセイを読んでいる。時代は古いものの、読ませる内容である。

落語について。文楽と志ん生は昭和の落語家のなかでは抜きん出ている。なぜなら古典に新たな解釈を加えて新境地を開いているからだ。

意外なことに古典芸能とはもっとも斬新でなくてはいけない。古典が古臭く、陳腐なものならば、すたれて途絶えてゆく。古典が古典として語り継がれていくためには、その時代ごとの要素を取り入れなければならないのだ。そこを勘違いすると、古典は途端に輝きを失う。

富貴蘭が廃れた原因はそこにある。旧態依然として、新しさがなく、古典としての存在意義がない。
古い勢力を一掃し、変革を起こす必要がある。まずは大量生産、大量供給を実現しないと。
昔、ある園芸業者が同じようなことを試みた。小売と卸の価格を安価で一致させた。徐々にインパクトが薄れ、丸くなってしまったが、素晴らしい活動だった。
友人をせっついて、1日も早く高級品種のコピーを普及させたい。
若者だけでなく、ベテランの協力も期待出来そう。考えることは皆同じというわけだ。うっとうしい連中が囲い込んでいる木をゲットして、いち早くメリクロンにかけたい。富貴蘭は簡単で誰でもできる。あとは普及あるのみ。

オペルクリカリア

2018-01-28 04:28:13 | 雑感
盆栽は最強の園芸コンテンツ。
蓄積されたの年月と技術が高く評価される。市場は世界に開かれており、知名度は抜群だ。大量生産ができないので価格も暴落しない。ティッシュカルチャーとは無縁なのだ。盆栽では伝統的な園芸管理が高く評価されている。

富貴蘭は数年で植物体が更新されるので年月や技術は蓄積されない。市場は確実に縮小傾向があり、斜陽産業といっても過言ではない。実生や茎頂点培養による大量生産が可能で価格は暴落しやすい。どんな品種でも年月とともに個体数は確実に増え、普及する。持てば持つほど価格は下がる。市場が拡大すれば需要が高まり価格は上がるが、今ではまったく期待できない。

趣味の園芸でオペルクリカリアが紹介されている。最近流行りの塊根植物として紹介されているが、凄まじいポテンシャルだ。ワシントン条約で規制されることで稀少性が増している。さらには樹木として年月や技術を蓄積できる。当然大量生産はできないし、実生品は太らない。おそらく、これからどんどん価値は高まる。しかし、市場に流通しなくなるだろう。
ブルータスや趣味の園芸をかじった程度の若者はオペルクリカリアに手を出すべきではない。確かに強健で育てやすいが上作が難しい。日照条件が足りず枝が徒長してしまうのだ。
生育環境なのか、縦長のものと丸型のものがあるように感じる。丸型に、枯死株が多いような…。
養生株は徒長枝を出すので縦長になり、現地採集株は丸型のまま。丸型は芋を切られたままなので傷みやすい。実は樹木というより、草本としての性質が強く、貯蓄根を切られると弱い。幹は緑色で光合成をしているようである。何にせよ、珍奇な植物である。

高級品種の茎頂点培養

2018-01-24 22:11:47 | 雑感
手持ちの木をいくつかのサンプルとして研究機関に提出した。

さて、うまくいくだろうか。高校時代の同級生たち、本業ではなかなかトップレベルとはいかないようだ。しかし、暇つぶしに富貴蘭のメリクロンにチャレンジしてくれている。ちょっとした小遣い稼ぎにはなるだろう。今まで、多くの素人園芸家が失敗してきたが、科学の専門家はどんな答えを導き出すか。

白牡丹や建国殿を量産したいと考えているが、それは二の次。黒牡丹や建国をフラスコ内培養し、芽変わりの確率を高める。短期間に大量の極小苗を選別し、新しい芸を探す。棚栽培で何十年とかかる時間を100分の1以下に短縮する。しかも、生物学のプロに依頼した。

芽変わりフラスコのための種木が足りない。友人にヤフオクで代理入札してもらいたいが、最近は出品がない。
次の狙い目は大阪の大会。若者やら、先輩やらにお願いして、いい木をゲットしていただく。ベテランから掘り出しものを引いてきて欲しい。
切り刻んで培養して、格安にて売りさばいてやる。うまくいけば、結構儲かる。

いいものが出れば自分でやるし、普通のものが出たら全部流す。白牡丹なり、建国殿なり、今の市場価格の40分の1で流通させたい。それでも利益が出るように大量生産しなければいけない。韓国方式というやつだ。

伝統園芸の終焉

2018-01-21 15:43:37 | 雑感
いよいよ、園芸ジャパンの入荷がなくなった。名古屋丸善の話。なくなったというか、4冊の入荷が1冊になってしまった。立ち読みされた形跡もない。すでに趣味の山野草、山ミニは入荷がないので最後の砦である。

伝統園芸や園芸コレクションという季刊誌があるので、完全な敗北ではないものの、月刊誌の衰退は痛い。

趣味の園芸に始まり、園芸マニア、自然と野生蘭、趣味の山野草、園芸マニアックス、園芸ジャパンと読み継いできた。それが完全に途絶えようとしている。

園芸の敗北は、若手育成の失敗に起因する。本来、伝統園芸や山野草に入るはずだった趣味家たちが違う道に進んでしまった。

自分も1度は本格的に富貴蘭を極めようとした経験がある。しかしながら、断念。今では新しい園芸を模索している。
これから伝統園芸の暗黒期が始まる。雑誌による啓蒙が弱まる今、ネットが頼みの綱だが、発信力が足りない。
新しい若手の趣味家はますます遠のくだろう。
古来、松葉蘭は、長生蘭や富貴蘭よりも圧倒的に人気があった。しかし、今では見る影もない。
太平楽は建国殿と同じようにポスターが制作され、お披露目されているが、今や誰もその魅力を理解していない。そのうち、建国殿も同じ憂き目を見る。
黒龍角と青珊瑚の区別がつかないのと同じで、建国殿と羆の区別もつかなくなるだろう。そして多くの種が絶える。
松葉蘭では多くの種が絶えている。無価値なものを集め続けるような酔狂はそんなに多くはない。人からの羨望があるからこそ伝統園芸は成り立つ。付加価値とはそういうことだ。
雑誌の衰退、ネットの活用の不出来により、新しい趣味家の増加は皆無だろう。もし仮に新しい趣味家が加入したとしても、すぐにやめる。熱心であればあるほど早くやめる。往々にして熱意のある人間は品種に対する嗅覚や、人に対する嗅覚が優れている。すぐに富貴蘭が長くないことに気づくだろう。それに気づけないようでは何をやっても二流三流。

太平楽にしても、基本種を理解し、他種の芸を理解して初めてその特異性が理解できる。何も知らない素人からしたら、並ものと区別がつかない。そのうち、本芸ではない木と並みの木が入り混じり、誰にも分からなくなる。図鑑にも堂々と本芸でないものが出るようになる。こうなったら終わりだ。

伝統園芸は終焉を迎えようとしている。次世代の担い手がなく、今の現役プレーヤーたちで最後。富貴蘭ではいくつかの品種や系統が持ち主とともに闇に消えていくだろう。二十代の若手愛好家が増えるならば話は別だが、そんなアテはない。彼らは彼らで新しい世界観で動いており、独特の栽培センスを持っている。高山植物に近いものを都市部で立派に栽培している。脱帽しきりだ。

どんな植物にしても頂点を極めなければ意味がない。富貴蘭は老人達に譲ろう。何か新しい園芸を始めて自分が頂点に立たなければ意味がない。世界に目を向けるならば、サイテスとの闘いだ。稀少な植物はほとんどワシントン条約にカテゴライズされている。基本的にプラントハンターから購入することも無意味。自分の手で採るべし。誰も知らない植物を自分だけが育てる。人気が出てからでは遅い。

しかも、育てにくすぎず、育てやす過ぎないものが良い。富貴蘭のように育てやすいと、有象無象が群がり混沌とし、既得権益を主張するようになる。ある程度栽培技術や設備を選ばせるものが良い。増えやすいのは厳禁。もとよりサイテスのものが増えやすいはずもないが。

いずれ、自分が頂点に立つ日が来ると良い。