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幸福感

2013-10-20 23:21:51 | 無題
幸福感について思うことが最近他にもあった。


好きな人と一緒に帰れた。

ただそれだけで、とっても幸せだった。

そうだ、それだけじゃなくて、

一緒に1対1でゲームをしたりした。

好きな人を独り占めできるってなんて素敵なことなんだろう。

よかったのは、相手がイヤそうなところを、みじんも見せなかったこと。


病気中だから、幸福なできごとに過敏になっているのだろうか、

私はそのとき、とっても幸福だった。


「今日はどうだった?」とその人に尋ねられた。

私は「今日もとっても楽しかった。」と自然と沸いてくる満面の笑みで答えた。

私は、はっとした。

今日もとっても楽しかった、と答えたとき、

”とっても楽しかった”が体にしみ込んでくるような感じがした。

そして、体の中で共鳴した。

とっても楽しかった、楽しかった 楽しかった 楽しかった とっても楽しかった

と。

共鳴しあって倍になって膨らんで、

より楽しかった幸福度が満ちあふれる感じがした。


言葉に出したことで、実感したんだ。


雅子さまと、やなせたかしさん―今だから共感できること

2013-10-20 22:12:45 | 無題
適応障害という名前の病気がある。

雅子さまはそれにかかられているとのことだ。



私はつい先日、急性胃炎になった。

しかしその原因はストレス性のものというのが、

検査結果でわかった。

細菌とかウィルスによるものではなかったのだ。


1週間、会社を休んだからか、

胃痛はだいぶしなくなった。

断続的に常時していたのが、

たまに起こるくらいになったのだ。

しかし、吐き気とめまいは今もしていて、

頭痛もたまにあり、

すっかり通例化してしまって、自分では忘れてしまっていたが、

食事をあまりとっていない。

食べられる日で1食。

それも家で食べられなくて、

大戸屋でなら食べられるという変な状況だ。

大戸屋のメニューには

母がつくってくれたバランスのいい食事、

油っぽすぎない、味の濃すぎない食事に近いものがある。

だからだろうか。


また倦怠感がひどいから、

食事のために買い物、用意、片付けが通してできない。

でも外食ならなんとかその場所に行って、

注文して待っていれば出てくる。

それで食べるだけの体力は残っているのかもしれない。


以前がんばって料理の材料を買いに行ったことがある。

たどり着くまではいいのだけれど、

どれにしようか決めることができない。

自分がなにを作ろうとしていて、なにが食べれそうで、

その今食べれそうと思っているものが帰ってからも食べれるとは限らない、

これにしようと思っても、ボーッとしてしまって、

買い物がはかどらないのだ。

その内、疲れて来て、

いつも通り、とりあえず、

ウィダーインゼリーとカロリーメイトだけを買って帰った。


自分の体調がどうなるか、自分でも予測がつかないのが一番苦しい。


夕方から夜中に掛けては、

朝から昼にかけての動けないほどの倦怠感が嘘のように、

前向きな発想や気持ちになる。


朝から昼にかけては、

なにをやっても無駄だ、というより、

なにをやっても叩かれる恐怖を感じて布団の中にくるまっている感じだ。

今は夜だから、

そんな感覚になるのは変だと自分でも思うけれど、

本当にそうなのだ。


夜はケロリとして(ちょっと体力が足りないが)

昼間はなにかに怯え、体も動けなくなるなんて、

なにかのおとぎ話じゃないかと思うが、

本当にそうなのだ。

これはなったことがない人にしかわからないと思う。


検査結果が出たあと、

消化器内科の先生に、慎重に言葉を選びながら、

心療内科を受診することをすすめられた。

「かなりストレスがあるということだけど…」と。

「精神疾患があるというわけじゃないけれど、

このままMRIとか、いろんな検査を受けるより、

心療内科を受けてみることをおすすめします。」と。


私は静かにうなずいた。

うなずきながら、症状が出ていないのに、

症状が出ていると自分が症状を作り出しているのだろうか?と、

不安な気持ちになった。

でも、すぐについさっき見た、内視鏡画像の、

ところどころが出血したようにポツポツポツと赤くなっている自分の胃の画像と、

「これがひどくなると胃に穴が空いたり、胃潰瘍になります。」

と言った先生の言葉を思い出した。


私は自分で自分を疑ったり、追い込んでしまったりする傾向があると、

このときハッとし、悲しかった。

もっと自分を大切にして、自分を信頼してあげたい。


それでも、

これくらいの赤みや局所的な点在なら健康な人にもあり得るのではないのかと、

先生が「なんともなっていませんでした。心療内科へ行ってください。」なんて、

むごいことを言うのを避けるために、

なんともはなっていましたが、心療内科へとやわらげた流れにするために、

そのように解説してくれたのではないかと、

今、正常な胃と、急性胃炎の胃の画像をGoogleで調べている始末である。

結果、正常な胃はなんてきれいな薄ピンクの広がりなんでしょうねということで、

私の胃のそれとは違い、急性胃炎の画像に似ていることから、

ああ、やっぱり胃炎だったんだぁと、

嘘じゃなかったんだぁ、幻じゃなかったんだぁという、

変な安堵感を覚えています。


“妖精を見たんだけど、誰も信じてくれなくて辛い”の図を

よく映画とかで見ますけど、

ああいう感じですね。

1つストレスはクリアされました。

って、なに自分でストレスつくり出してんねん。


周りに自分を信じてくれたり、

信頼してくれたりする人が少ないと、

(そして信じてくれない人の方が日常的に関わる人たちで、

信じてくれたり共感してくれる人がまれに会う人や、

信じてくれると感じられる度合いが、

信じられていないと感じる度合いの方より弱いと)

自分まで自分を疑いはじめて、

周りに信頼されないというストレスに加え、

自分も自分を疑ってつくり出すストレスという

二重苦になりますね。


これは恐いことだなぁと思います。

また、そういう世界しか知らないときは、

それがあたり前と思っている状態なので、

逆に疑問すら浮かばず、

さほどストレスを感じなかったようにも思います。

それでもいつもどこか体調を崩していました。

風邪だったり、皮膚の疾患だったり、

目の突然のアレルギーで涙が出続けたり、

目の周りがカサカサになったり。

うつうつとした晴れない気持ちもつづいていて、

動画をネットサーフィンするのが帰ってからや、

休日の過ごし方でした。

また服もすごく探し回っていました。

安くいい服を買うためと当時は思っていましたが、

その後、去年までいた自分にあっていた会社に入社してから、

それらがパタッとなくなりました。

休日や帰ってからの過ごし方も、もっと健全なもので、

近くへ散歩に出かけるだけでも気分転換になりましたし、

なんならシャワーをあびるだけでも、

特別ななにかのように素敵なリフレッシュタイムでした。

あと食材をそろえて料理をしたり。

服も今あるもので十分と思えて、

一番違ったのは、

必要以上に自分を大きく見せようと”もっと自分が素敵に見える服”を

探しまわらなくなったことです。

そして、病院へ行くことがなかったこと。

風邪かな?と思ったときに葛根湯を飲んでおけば、

それで済んだことでした。

以前なら、市販の薬を飲んでもこじらせて、

治るのに相当時間がかかりました。


そして、そういう自分が自分らしくいれるところ、

私を肯定し、信頼してくれる人たち、会社があるということを知ったあとでは、

やることなすこと細かく指導が入り、

信頼してくれない組織に身をおくというのが、

大変辛いものになってしまったようです。


広い世界を知る前では、

おかしいな?と思っていても、

まぁ、こういうものかなで済んでいました。

けれど、

自分はこう思う、こうじゃないですか?と言ったことがとりあげられたり、

話し合いの一部や意見に入れてもらえる組織があるとわかった今では、

おかしいな?と思ったら、それは幾分かは聞いてもらう価値のあるもので、

頭ごなしに違うと断絶的に拒絶されるのは、

やはりおかしいと感じ、辛いことなのでしょう。



それとも、今までの否定や拒絶、断絶が、重なりあって、

もう耐えられないとこにきているということなのでしょうか。



それで雅子さまの話に戻るけど、

雅子さまはたしか外交官とかを目指していた人だよね。

それが皇太子様のプロポーズ一つで、

状況が変わっちゃって、

皇室に入ったらしきたりとかいろいろ大変だったと思う。

自分の価値観と、周りから押し付けられる価値観とかも違って、

自分が今まで評価されてきた能力を評価されない状況が続いたりすると、

拒絶反応を起こして、周りをシャットアウトしてくなるのが、

今の私ならわかる。


外交官を目指していたからとか、

価値観がとかは想像だし、細かい点は違うかもしれないけど、

「外交官の仕事を断念して皇室に入り、国際親善が皇太子妃の大切な役目と思いながらも、外国訪問がなかなか許されなかったことに大変苦労していました。雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と、

皇太子様が事実述べたことが、

そういったことを裏付けていると私は思います。


当時は、直接的、具体的でないお言葉で、

どういったことなのかよくわかりませんでしたが、

今はこの言葉の意味が大変よくわかります。

そして雅子さまの心情や、

細かいことは控えたいというのも共感できます。




プライドがどうとか、

自分の意思は殺して尽くすのがどうとか、

プライドが高いのがいけないみたいなことを思う人もいるかもしれないけれど、

自分で考えて、自分から進んで役に立ちばりばりやってきた人が、

自分の考えを押し殺して、人から言われたとおりにするっていうのは、

無理な話だと私は感じます。

せめて自分で考えて、自分から進んでやることも評価され、

人から言われたとおりのこともするというバランスがある状況なら、

まだよかったかもしれないけれど。


否定されたあとに、動いてもらうために、

否定されてきたことを、やってもいいよとか評価するよと言われても、

その組織に対する不信感はぬぐいされないわけで。

気持ちいいものじゃないです。

それどころか気持ち悪ささえ覚えます。



つい先日までは、

雅子さまが公務に何年経っても常任的に復帰しないことや、

あるときは大変幸せそうな笑顔を見せることもあるのに、

望んでいた外国訪問の公務へもなかなか行かないこと、

訪問しても全ての行事に出席しないことに、

少なからず疑問を抱いていました。


でも今はわかるような気がします。

私もデザインの仕事は今も好きですが、

あの会社に戻れと言われたら吐き気と胃痛がするほど無理です。

事実、先日電話で直接会って話したいといわれた際には、

自分の中ですごい拒絶反応が起こっているのを感じました。

せめて電話で話て、質問されることに答えた方がいいかなと、

体調が落ち着いている夕方に、

体力と勇気を振り絞るように電話しましたが、

結果、

直接電話すことも嫌だし、無理だなとわかりました。

退職届を郵送でも送らなければと思うのに、

思うようにできていません。

退職届けだけなら、

ネットにあるフォーマット通りかけば問題ないと思うのですが、

送付状や、診断書がいるかなど考えると、

また心療内科の診察予約がまだできていなく、

診察するまで(消化器内科の受付の人がいうには)

何週間かかかるかもしれないのに、

電話越しで急いでいる様子というか、

逃さないような常軌を逸した上司に、

診断書が必要でしたらあと何週間か待ってほしいというのが、

通じるのかという、あらゆる不安で、

押しつぶされそうです。

電話越しで、その人はまったく私の病状の悪さを理解していない様子で、

理解を示そうとすらしていませんでした。

ただ半笑い、半キレで、要求をしてくるばかりでした。

「メール1つで済む訳ないでしょ。

社員なんだから常識で考えてわかるでしょ。」

と言われて、正論なんだけど、常識的なことができない状況だから、

会社に行けないんだけどなぁと思いながら謝りました。

そしてはなから郵送で退職届を出すつもりがあることを伝えると、

ああ、じゃぁまた上司達と話し合ってみるけどと言ったり。

なにを話し合う必要があるのかと私は思い不安になりました。

もう働ける状態じゃないから退職届け等を出して辞めるといっているのに、

話し合う余地などないだろうと。

この人はそんなことも自分で判断つかないのかなぁと思いました。

また上司達と話あったら連絡するからと言って電話を切る様子が、

弱っている私にはやくざのような恐ささえありました。


電話の話の中で、“常識”というものを持ち出されましたが、

そんなことをいうなら、

社内に犬がいると求人広告の段階で明示するのが常識であり、

面接の段階で伝えるのは常識ではないだろと思いました。

伝え忘れたまま入社させ、

私に向かって犬の手を上げてバイバイしてきたり、

慣れるよ、ほ~ら、ほ~らと嫌がる私に犬を近づけたりしてきて、

犬が苦手だということを再三伝えたのに、

改善せず、犬は走り回り、むしろ、

ストレスの原因をより強める状況だったことで、

ストレス性急性胃炎になってしまっているのに、

常識を求めるとか甚だおかしいと思います。

常識ができていないのに、

常識を求めるとはこれいかに?と。



冷静に客観的に見れば、


こんなことなら私と同じ日に入社する予定だった人みたいに、

バックれればよかったと思います。

その人は連絡がつかないまま、それっきりでした。

まじめに対応しようとすればするほど、

常識的に振る舞うことを気をつければ気をつける程、

精神的に追い込まれていきました。



突然辞めることになった社員に、

雇う側は迷惑な人と感じるのはわかりますが、

その原因となったのは会社側なのだから、

しょうがないだろうと思います。

そう思っても、

吐き気とめまいはとまりませんが、

少しは私の胃痛は収まるわけです。

もちろん常識では退職届は直接上司に手渡すのが理想ですが、

そんな状況ではないことを、

上司はわからないというのが、

余計私のストレスになっています。


これからも治療は続くのに、

保険証を切り替えなければならないというのもやっかいです。

役所にいくのも、切り替えの手続きをするのも、

その1つ1つが、まるで富士山の山頂を目指すがごとく、

遠く果てしなく、気が遠くなるほど大変なことなのです。


月曜か、火曜日には退職届が届いていないと、

元上司たちは気が狂ったように、

バッくれたとか、非常識だとかいうでしょう、きっと。

そしてしつこく電話やメールを厳しい口調でしてくるでしょう。

でも、なにをしても、叩かれる感じがします。

社内で私の悪口を散々言うでしょう。

面接に訪れた人について批判していたのを聞いた事があります。

一般社員である私がそんなことを耳にする状況というのは、

よくないでしょう。

しかもその内容はその人が語る口調、言い回しほど、

悪くないのです。

でも上司がいっていることだから、聞いている人は、

そう、ですねぇとか答えるしかないといった感じです。



入社した日は、オリエンテーションで、

次の日から実案件をやり、

教えなくても仕事を進められているから楽だと、

先輩から言われました。

私より3ヶ月前に入社した人は、

コーディングもデザインもまだまだで、

未経験ということでした。

6ヶ月前に入社した人もそんな感じです。

この3ヶ月程、私は他の新人さんより手間が掛からなかったと思います。

先輩は追い抜かれるのでは、私よりできるみたいでと、

上司と1対1の面談で話したそうです。

上司が私との1対1の面談で話していました。

(それもどうかと思いますが。)

だから私は教育費が回収できていないということはないと思います。

これだけが自分に救いです。


最後に、やなせたかしさんのインタビューを昨日読んだので、

そのリンクを貼っておきます。

http://www.1101.com/yanase_takashi/2013-08-12.html

これを読んでいて、通じるものがあると、感じました。

このリンクが貼ってあったサイトには、

やなせさんがタダ働きさせられていて、

本人もおかしいなぁと思いながら引き受けていたという点で、

ただ働きさせるのはよくないとか、

それを求めた公的自治体や団体について、

批判がされていました。

タダ働きさせられていたなんて、

悲惨は話ですよね。


タダ働きを求めたことについて批判しているサイトでは、

共感する意見がコメントに多くありましたが、

それを受け入れたのだからいいんじゃないかとかいう意見が

コメント欄に少なからずありました。



なにが通じると感じたのか、自分でもうまく言い表せないですが、

おかしいなぁと思いながら、

それを受け入れていたという点です。


みなさんはどうでしょうか?

おかしいなぁと思いながら、

こんな悲惨な状況を受け入れて過ごしてしまっているという点。


おかしいなぁと感じている自分が正しいのか、

要求してくる相手の方が正しいのか、

渦中にいるとわからなくなることってありますよね。



やなせさんのそばに、

タダは困ると一緒になって言ってくれる人や、

共感してくれる人がいて、

やなせさんが意思をはっきり表明できる状況だったらなぁ、

もしくは代わりに言ってくれるエージェントがいれば

よかったなぁと思います。


大人なんだから自分の意思は自分ではっきり言えばいいと

簡単に考える人もいるかもしれませんが、

自分の意見に賛同してくれる人が周りにいなかったり、

力の強い立場の人から当然のごとく言われると、

それが普通なのかな?と心は揺らぐものです。


アンパンマンが売れ、その印税だけはちゃんと入ってきていたことは、

本当に(生活面において)救いだったなぁと思います。




実際にその人の立場になってみないとわからないことって、

いっぱいあります。

人間はストレスでこんなにも心身ともに壊れ、動けなくなったり、

違う面や場面ではケロッと元気な風になるのだというのが、

今回の発見です。



正社員と非正社員

2013-10-20 18:57:56 | 無題
正社員になって変わったことといえば、

アンケートを記入するときに、

正社員のところにチェックを入れられることだ。

そこにチェックをすると、

「「ああ、私正社員なんだ。」」って、

まっとうな人間になったんだっていう感覚が走るだけで、

普段は、私は正社員になったんだぞという気概はない。


前の会社にいたときは、

この会社で働いているんだぞという気概やハリみたいなものがあった。

正社員じゃないのに、誇りみたいなのが沸いた。


アルバイトでも週5日働ければ、

まともな会社なら、雇用保険や社会保険に入れてもらえる。



同じようにまじめに働いていた。

責任感も変わらず、他の人が気にしないようなところまで気にしていた。

正社員だろうと、非正社員だろうと仕事に対する姿勢は変わらず、

まじめに取り組んでいた。


少し違うところがあるといえば、

正社員だからというより、その企業の特色から、

デザインの追求より効率化や早さを重用しされていたから、

職種として楽だったこと。

デザインで出ない知恵をしぼるような、

うんうんうなる状況にならないところが楽だった。

同時にここにこのままいても、

デザイン力が落ちるだけだなと思った。


そういえば、直属の上司だった人は、

面接時に、あなたのやりたいことに対して、仕事内容がつまらないかもしれません

といった趣旨の説明をしていた。

言ったとおりになったなと今思う。


私はそのとき、仕事内容がつまらないかもしれないということより、

「「自分の仕事をつまらないと思っている上司の下で働くのかぁ」」と

一瞬、ネガティブに考えたけれど、

入社してから楽しい方へ変えていけばいいとポジティブに考えるようにした。

選り好みをしても仕事決まらないだろうからなぁと。



ファイナルファンタジーが新しく発売されるキャンペーンを見た。

すごく背景やキャラクターが綺麗だった。

私はそのとき思った。

”きれいなものを見ていたい”と。



入社してから、社内でつくられた制作物をたくさん見る機会があった。

きれいなデザインのものもあったけれど、

背景の色と文字の色のコントラストが足りなすぎて、

読めないようなデザインをしているサイトが多いことに疑問があった。

可読性がまずあって、

さらに綺麗な配色や読めるような工夫を施すのがプロのデザイナーだと

私は思う。

ポスターのように目を一瞬で引きつけてるために、

意図的にわざと読みにくくする手法なら別だが、

大事な情報(営業時間とか)が読みにくいことになっていたから、

私はがっかりだった。

情報が整理されていなくて、

情報がたくさんあるように見せているのにも疑問だった。

使い勝手が悪いサイトだと感じた。



でもそれに気づいたときには、

もう発言する気も失せていた。

なにか教えられることがあったらぜひセミナーを開いてほしいと、

目標を立てる面談のときに言われたけれど、

申告しなかった。


以前の会社だったら考えられないようなことだ。


正社員であっても、発言や提案が頭ごなしに否定されるような組織では、

まったく幸福度が違う。


でもそれでも、在籍しつづけて、楽しそうにしている人たちもいる。


人の価値観はそれぞれだなとより実感した。



夜中の3時かぁ。

活動できる時間が夜の8時頃~3時じゃ、辛いな。

もう眠いし。

朝8時、9時頃に目が覚めるけれど、

吐き気とめまいでまた横になる、眠る、起きる、なにか食べて薬飲まなきゃ、

吐き気、めまい、横になる、眠い、寝る、起きる、薬飲まなきゃ活動できない・・・

活動しなきゃ―退職届、病院に予約、フリーランスで働く準備

気持ちばかり焦って、

でもこれまでのことが頭をよぎって、動けなくなる。

余計焦る。

夜7時頃に、なんとか起きて、頓服の吐き気止めを飲み、

なにか食べなきゃと食べて、食後に飲む薬をやっと飲む。

少し動けるようになる。

気分も少し前向きになる。

1つやることを終わらせる。疲れる、夜中2時、3時になっているのに気づく。

眠くなる。

寝る。


最近はこんなのの繰り返しだ。



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ここまで書いて、もうちょっとなにかしようとしている内に眠ってしまった。

次の日=今日、現在になってから

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