母の困ったところは、
気分によって、してほしいことが変ることだ。
連絡をしてほしいというときもあれば、
連絡してきてほしくないように癇癪を上げるときもある。
私がプレゼントしたものを、
たいそう大事そうに、嬉しそうにしたり、
私が作ったものがほしいといったりするときもあれば、
なぜか、
それなら送ってくれなくてもいいとか、
突然興味を失ったのか、
いらないと言い出すこともある。
私が怖いのは、
私が心を込めてしたことも、
突然つっぱねられることだ。
そしていつしか私は心なんて込めることはなくなった。
「プロト版を送ってきたのかと思った。売り物みたい。」
そう言ったことがあった。
売ってはいないし、
プロト版ではなく、手作りだ。
そう言うと、ふぅ~ん、へぇ~とその点は興味なさそうに答えた。
私がその作品について少しでもエピソードを話すと、
突然さえぎるように、ああ、はいはいとなって、
私はひどく傷ついた気持ちで、
黙ることにすると脳から口へ命令を送る。
そして、そのとき感じたことは、
・プロト版でもいいのか、ということ。
次にハガキを送る機会があった。
端にサインが入っていてそれだけが印刷で切れてしまった。
「作ったものがほしい」
そう言っていたから、ハガキを送るのにこれがちょうどいいやと思った。
真心込めて作ったものは、
なぜか傷つけられる結果になるので、
そのようなものがちょうどいいと思った。
なにか傷付けられるような対応を取られても、
既に損傷しているものなのだから、
自分の中ではいくぶんか整合性つくと思えた。
手作りしたものの話をするといつも、
「どこかへ、売ろうとしているの?」
と聞かれる。
売れたらいいなぁとは思うけど、
そんな勇気も営業力もないと正直に思っていることを話すと、
ふぅ~んと答える。
母は編み物や裁縫が得意で、小さい頃は私の服も作ってくれた。
服を作らなくなってからは、さしこを趣味にしていた。
ハンドメイドサークルといってブログやバザーで売っているものと同じくらい、
それ以上にうまくできているし、
好きでしょっちゅう作っているみたいだから、
売ってみたら?とか教室を開いてみたら?とすすめたこともあった。
「いやぁ、私はいい。そんなのいい。」
私はそんなことできないと恐縮なのか逃げるようにいうので、
そっかぁと、もったいなく思ったこともあった。
母はそれなのにもっと小難しく元手のいることで、
お金を得ようとして、うまくいかず、
お金が得られないむしろ損をしたと不満を漏らしていた。
「作ったものを、バザーとかででもいいから売れたらいいなぁ。おもしろいだろうなぁ」
小さい頃私は、何度かそう話したことがある。
ハンドメイドのいろんなものにはまって作っては、
そういうこともしてみたら、楽しそうだなぁといっていた。
母はその度に、
「作ったものを売りたいの?」
と聞き返してきた。
うーんと答えると、ふ~んといって終わるこの会話は、
私と母の会話ではめずらしく着地点のない、
なんの目的かわからない、目的なんてないような、
不思議な感じだった。
なんだろう?と毎回思っていた。
「え?なんで?」
と突っ込んだこともあったが、
母は別にと答えて、それ以上どうやっても聞き出せなかった。
昨日、ひさしぶりに電話して、
ハガキの話をした。
また同じようなやりとりがあった。
すると今回は進展が見られた。
その会話直後は、また不思議な感じで終わったのだが、
会話が進むにつれて、
突然、
「あんた作ったものを売ってやっていこうと思ってるんじゃないでしょうね。」
といつもの甘い考えしてるんじゃないという決めつけがはじまった。
まず、作ったものを売って生活しようとは思っていないし、
そういう生き方自体も簡単だというような甘い考えはもっていない。
2つも自分の根本的な考えに反することで、決めつけられ、
私の人格までも否定しはじめるくだりは、
唖然としていまう。
私は自分が作ったものを、お金をいくらかでも出してもらってくれるという行為自体が、
大変、有意義で、幸福感があることだろうなぁということを思っていた。
純粋に楽しそうだなぁというのがあった。
だから商業的にや工業的にどうこうということはなく、
“自分のつくったものを売り・買い”という点が楽しそうと思っているだけで、
儲けがどうこうというのはなかった。
そのことを以前、その不思議な質問をされたときに、
話しかけたことがあった。
でもすぐにうやむやに遮られ、聞く気ないと態度を取られたので、
話すのをやめた。
それに自分の中の純粋におもしろそうとか、
いつかしてみたらと希望を持っていることに、
ずかずか土足で入ってきて、踏みあらされて、
ただ空想するのさえ許されないようになるのが嫌だった。
それで伝えなくてもいいかと話さずにいたのに。
それなのに、この仕打ち。
決めつけられ、
しかもそれが悪いこととハキとしないことで、
悪いことと決めつけられた挙げ句、
すべてを否定されることを、
あなたは受けたことがあるだろうか?
そしてどう感じるだろうか?
私はまるで、
生きることも許されない、
無能で、
荷物で、
邪魔な人間、
人殺しのような犯罪を犯したヒドい人間のように、
あの考えも、この考えも、
あの行動も、
代替え案で勝手に提出される方法も私には難しく、
八方ふさがりになる感覚だ。
母は、私のすべてを否定したあと、
すぐに代替え案を提示する。
「こうした方がいい」ならまだマシで、
「こうしなさいよ。」と命令口調で言われる。
それは経験済で、難しいことを伝えると、
癇癪を起こし、
「なに言ってるの!?あんたねぇ自分が―」
とマシンガンのごとく人間否定がはじまる。
すみからすみまで、重箱のすみをつつくように、
私に関するすべての記憶を総動員させて、
攻撃できる理由になるものはすべてだし、
こじつけしてでも、
私をやっつけてしまつもりなのか、徹底的にだ。
私はそこで、私をどうしたいのか分からなくなり、途方に暮れる。
言うことをきいてやっても、
私に合っていなくて人生遠回りをした経験から、
ああそうですねといって、
ここまでがんばってきたものを認めてもいない人のいうことを、
聞く必要があるだろうか?
ここでも、
世間のいうところの
「親のいうことはきくもの」
というのが、私と戸惑わせる。
考えないようにしても、
どこかで責める自分がいる。
だからといって、はいそうですねと言うことを聞いたところで、
もう経験済みなのに、
同じ道を通って失敗するなんて、
そんなバカな話ーそれこそ無能な話があるだろうか。
母とは関わらない方がいい。
自分の精神を安定させるにはそれが一番いいと、
結論づけて、
随分連絡を取らないでいた。
すばらしい人達と出合って、
したかった仕事ができるようになり、
辛いことがあっても、
充実した日々をすごせるようになってきて、
私の心に少し余裕が生まれたように思えた。
母に幾分でもなんらかのなにかをしたいと思うようになった。
なんらかのなにか―
母は大変気難しい人で、
人からプレゼントをもらっても、
なんでこんな物よこしたんだ、私のことを~だと思ってる、バカにしてるんじゃないと、
腹を立てているところを、
何度も見てきた。
私は端から見て、
ステキなプレゼントに見えたし、
趣味が合わないのにしょっちゅう送ってきて迷惑とかなら、
そのことをあとでやんわり伝えれば?と言っても、
気が収まらないみたいで、フンッとプレゼントを投げうった。
私はたいそう驚いて、
どういうことなんだろう?と考えても、―母はこうだから?がいろいろ浮かぶ
複雑過ぎて母の本当の気持ちにはなれなかった。
どうしてそう思うのか聞いても答えないのだ。
気に入らないおもちゃを買い与えられた子供のように、
プレゼントを前にふてくされて機嫌をおもいっきり損ねているだけだ。
かといって、
母がお気に入りのなにかをプレゼントされたような風を見せたところを、
私は見たことがないように思う。
どんなものも、どこかしらケチをつけるのだ。
こんな物にお金を使うなら―と言い放つこともある。
大変コワい人だ。
それなのに、自分にはネガティブな話があるときにしか、
人は連絡してこないと不満そうにいう。
ポジティブな話をすると、
ひがむからできない。
母の話を聞こうと話をふっても、
私のことはいいのと言って口を固く閉じる。
もう連絡のしようがないのだ。
母は友達とも遠縁になった。
いつだったかその友達の1人が危篤になった。
みんな声を掛け合って一緒に病室に行ったのに、
母は田舎に帰っていたのに声をかけてもらえなかった。
母は怒って全員と絶好した。
母が唯一大事に思えていた、その危篤の友達はこの世を去った。
気分によって、してほしいことが変ることだ。
連絡をしてほしいというときもあれば、
連絡してきてほしくないように癇癪を上げるときもある。
私がプレゼントしたものを、
たいそう大事そうに、嬉しそうにしたり、
私が作ったものがほしいといったりするときもあれば、
なぜか、
それなら送ってくれなくてもいいとか、
突然興味を失ったのか、
いらないと言い出すこともある。
私が怖いのは、
私が心を込めてしたことも、
突然つっぱねられることだ。
そしていつしか私は心なんて込めることはなくなった。
「プロト版を送ってきたのかと思った。売り物みたい。」
そう言ったことがあった。
売ってはいないし、
プロト版ではなく、手作りだ。
そう言うと、ふぅ~ん、へぇ~とその点は興味なさそうに答えた。
私がその作品について少しでもエピソードを話すと、
突然さえぎるように、ああ、はいはいとなって、
私はひどく傷ついた気持ちで、
黙ることにすると脳から口へ命令を送る。
そして、そのとき感じたことは、
・プロト版でもいいのか、ということ。
次にハガキを送る機会があった。
端にサインが入っていてそれだけが印刷で切れてしまった。
「作ったものがほしい」
そう言っていたから、ハガキを送るのにこれがちょうどいいやと思った。
真心込めて作ったものは、
なぜか傷つけられる結果になるので、
そのようなものがちょうどいいと思った。
なにか傷付けられるような対応を取られても、
既に損傷しているものなのだから、
自分の中ではいくぶんか整合性つくと思えた。
手作りしたものの話をするといつも、
「どこかへ、売ろうとしているの?」
と聞かれる。
売れたらいいなぁとは思うけど、
そんな勇気も営業力もないと正直に思っていることを話すと、
ふぅ~んと答える。
母は編み物や裁縫が得意で、小さい頃は私の服も作ってくれた。
服を作らなくなってからは、さしこを趣味にしていた。
ハンドメイドサークルといってブログやバザーで売っているものと同じくらい、
それ以上にうまくできているし、
好きでしょっちゅう作っているみたいだから、
売ってみたら?とか教室を開いてみたら?とすすめたこともあった。
「いやぁ、私はいい。そんなのいい。」
私はそんなことできないと恐縮なのか逃げるようにいうので、
そっかぁと、もったいなく思ったこともあった。
母はそれなのにもっと小難しく元手のいることで、
お金を得ようとして、うまくいかず、
お金が得られないむしろ損をしたと不満を漏らしていた。
「作ったものを、バザーとかででもいいから売れたらいいなぁ。おもしろいだろうなぁ」
小さい頃私は、何度かそう話したことがある。
ハンドメイドのいろんなものにはまって作っては、
そういうこともしてみたら、楽しそうだなぁといっていた。
母はその度に、
「作ったものを売りたいの?」
と聞き返してきた。
うーんと答えると、ふ~んといって終わるこの会話は、
私と母の会話ではめずらしく着地点のない、
なんの目的かわからない、目的なんてないような、
不思議な感じだった。
なんだろう?と毎回思っていた。
「え?なんで?」
と突っ込んだこともあったが、
母は別にと答えて、それ以上どうやっても聞き出せなかった。
昨日、ひさしぶりに電話して、
ハガキの話をした。
また同じようなやりとりがあった。
すると今回は進展が見られた。
その会話直後は、また不思議な感じで終わったのだが、
会話が進むにつれて、
突然、
「あんた作ったものを売ってやっていこうと思ってるんじゃないでしょうね。」
といつもの甘い考えしてるんじゃないという決めつけがはじまった。
まず、作ったものを売って生活しようとは思っていないし、
そういう生き方自体も簡単だというような甘い考えはもっていない。
2つも自分の根本的な考えに反することで、決めつけられ、
私の人格までも否定しはじめるくだりは、
唖然としていまう。
私は自分が作ったものを、お金をいくらかでも出してもらってくれるという行為自体が、
大変、有意義で、幸福感があることだろうなぁということを思っていた。
純粋に楽しそうだなぁというのがあった。
だから商業的にや工業的にどうこうということはなく、
“自分のつくったものを売り・買い”という点が楽しそうと思っているだけで、
儲けがどうこうというのはなかった。
そのことを以前、その不思議な質問をされたときに、
話しかけたことがあった。
でもすぐにうやむやに遮られ、聞く気ないと態度を取られたので、
話すのをやめた。
それに自分の中の純粋におもしろそうとか、
いつかしてみたらと希望を持っていることに、
ずかずか土足で入ってきて、踏みあらされて、
ただ空想するのさえ許されないようになるのが嫌だった。
それで伝えなくてもいいかと話さずにいたのに。
それなのに、この仕打ち。
決めつけられ、
しかもそれが悪いこととハキとしないことで、
悪いことと決めつけられた挙げ句、
すべてを否定されることを、
あなたは受けたことがあるだろうか?
そしてどう感じるだろうか?
私はまるで、
生きることも許されない、
無能で、
荷物で、
邪魔な人間、
人殺しのような犯罪を犯したヒドい人間のように、
あの考えも、この考えも、
あの行動も、
代替え案で勝手に提出される方法も私には難しく、
八方ふさがりになる感覚だ。
母は、私のすべてを否定したあと、
すぐに代替え案を提示する。
「こうした方がいい」ならまだマシで、
「こうしなさいよ。」と命令口調で言われる。
それは経験済で、難しいことを伝えると、
癇癪を起こし、
「なに言ってるの!?あんたねぇ自分が―」
とマシンガンのごとく人間否定がはじまる。
すみからすみまで、重箱のすみをつつくように、
私に関するすべての記憶を総動員させて、
攻撃できる理由になるものはすべてだし、
こじつけしてでも、
私をやっつけてしまつもりなのか、徹底的にだ。
私はそこで、私をどうしたいのか分からなくなり、途方に暮れる。
言うことをきいてやっても、
私に合っていなくて人生遠回りをした経験から、
ああそうですねといって、
ここまでがんばってきたものを認めてもいない人のいうことを、
聞く必要があるだろうか?
ここでも、
世間のいうところの
「親のいうことはきくもの」
というのが、私と戸惑わせる。
考えないようにしても、
どこかで責める自分がいる。
だからといって、はいそうですねと言うことを聞いたところで、
もう経験済みなのに、
同じ道を通って失敗するなんて、
そんなバカな話ーそれこそ無能な話があるだろうか。
母とは関わらない方がいい。
自分の精神を安定させるにはそれが一番いいと、
結論づけて、
随分連絡を取らないでいた。
すばらしい人達と出合って、
したかった仕事ができるようになり、
辛いことがあっても、
充実した日々をすごせるようになってきて、
私の心に少し余裕が生まれたように思えた。
母に幾分でもなんらかのなにかをしたいと思うようになった。
なんらかのなにか―
母は大変気難しい人で、
人からプレゼントをもらっても、
なんでこんな物よこしたんだ、私のことを~だと思ってる、バカにしてるんじゃないと、
腹を立てているところを、
何度も見てきた。
私は端から見て、
ステキなプレゼントに見えたし、
趣味が合わないのにしょっちゅう送ってきて迷惑とかなら、
そのことをあとでやんわり伝えれば?と言っても、
気が収まらないみたいで、フンッとプレゼントを投げうった。
私はたいそう驚いて、
どういうことなんだろう?と考えても、―母はこうだから?がいろいろ浮かぶ
複雑過ぎて母の本当の気持ちにはなれなかった。
どうしてそう思うのか聞いても答えないのだ。
気に入らないおもちゃを買い与えられた子供のように、
プレゼントを前にふてくされて機嫌をおもいっきり損ねているだけだ。
かといって、
母がお気に入りのなにかをプレゼントされたような風を見せたところを、
私は見たことがないように思う。
どんなものも、どこかしらケチをつけるのだ。
こんな物にお金を使うなら―と言い放つこともある。
大変コワい人だ。
それなのに、自分にはネガティブな話があるときにしか、
人は連絡してこないと不満そうにいう。
ポジティブな話をすると、
ひがむからできない。
母の話を聞こうと話をふっても、
私のことはいいのと言って口を固く閉じる。
もう連絡のしようがないのだ。
母は友達とも遠縁になった。
いつだったかその友達の1人が危篤になった。
みんな声を掛け合って一緒に病室に行ったのに、
母は田舎に帰っていたのに声をかけてもらえなかった。
母は怒って全員と絶好した。
母が唯一大事に思えていた、その危篤の友達はこの世を去った。